2015年12月10日木曜日

現実暴露と詩的なもの

『ニューヨーカー』や『タイムズ文芸付録』のようなアメリカやイギリス(多分ヨーロッパ中でそうなのだろうが)のちょっと洒落た雑誌には必ず詩が載っている。

日本の新聞にも俳句と短歌が載っているが、読者からの投稿によるもので、プロの俳人や歌人が必ず掲載されるスペースが与えられているのかどうか、よく知らない。

文学は後退して何一つ容赦することがない現実暴露の過程となり、詩的なものという概念はこの過程によって台無しにされた。ベケットの作品の抗い難い魅力を作り上げているのもその点にほかならない。

とアドルノは書いたが、言い換えれば文学と詩的なものが同じ土俵の上にあることを意味している。

そうでなければ、ベケットが詩的なものを台無しにすることもないはずだからである。

ベケットをモダニストとして扱うなら、日本にモダニズムは存在したのだろうか。



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