ペネロペ・クルスがどうも顔立ちとかたたずまいが好きではないので、大好きとまではいかないのだけれど。
話は叔母の葬式から始まり、働かない夫と娘がいるペネロペ・クロス一家へと移り、夫が血はつながっていないとはいえ、娘を襲い、はずみで娘が刺し殺してしまう、と急展開する。
そのことを告げられた母親(ペネロペ・クロス)が死体をどう処分するかといった話になると思いきや、大林宣彦の『異人たちとの夏』みたいな映画となるがそれも違っている。
フェリーニも飽きることなく「女の都」を描いたが、自身の投影であろうマストロヤンニ的な人物が必ず登場し、男性の欲望(懲罰を含めて)を離れることはなかった。
『ボルベール』にはそうした男性の欲望は欠けている。
欲望がないから罪も罰もない。
映画の後半で、ペネロペ・クロスと母親との間にあったわだかまり、隔絶の理由が語られ、それは驚きでもあれば、陳腐なものでもあるのだが、珍しいのはそれが映画をどんな方向に動かすでもなく、淡々と受け入れられることにある。
ここにある「女の都」は何事も包み込むだけのまったく無道徳な世界であり、先頃亡くなった野坂昭如の『骨餓身峠死人葛』の世界と似ている。
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