幸田露伴の『七部集評釈』をいまの言葉に訳してみる。読みやすいように段落も増やしておく。
評釈冬の日
「冬の日」は尾張五歌仙という。尾張で芭蕉、荷兮などがものした俳諧連歌の歌仙五巻と追加でなっているからそういう。題が「冬の日」であるのは、俳諧がみな冬の季をもってはじまり、当然冬にあたっているからである。冬の日の次に世に出た春の日は、「春めくや人さま/”\の伊勢まゐり」、という荷兮の冒頭の句にちなんでいることは明らかである。冬の日の題になんの疑いがあろう。
ところが、第五の巻の、「霜月や鶴のつく/\ならび居て」、という荷兮の発句に芭蕉がつけた脇句の、「冬の朝日のあはれなりけり」、から名づけたという者もある。思い過ごしの考えである。また、この集第一の巻の発句、「木枯らしの身は竹斎に似たるかな」、というところから、昔狂歌を好んだ竹斎に思いを及ぼし、かつ、頭に「狂句」の二字を冠し、句の前書きにも、「狂歌の才子此国にたどりしことをふと思出て」、とあることなどから、「宮柱ふろ吹たべて酒飲めば冬の日ながら熱田なりけり」、という古狂歌にちなんで、「冬の日」と名づけたと説く者もある。
この集は熱田でできあがり、かつまた、俳諧に遊ぶ人たちがしたことであるから、あるいはそういうこともあるかもしれない。しかし、ただ安らかに冬の日の景物を詠ずる句で各巻がはじまることから、「冬の日」と名づけたと理解していいだろう。
0 件のコメント:
コメントを投稿