2014年1月24日金曜日

ブラッドリー『論理学』8

 ブラッドリーが扱った問題は大別して三つに分かれる。倫理学、論理学、形而上学である。著作もこの順序で著されている。倫理学に関する著作は、イギリスの観念論学派のうちでももっとも早い時期に刊行されたもののひとつである。


 §8.観念と事実との区別は重大だが、論理的な目的のために観念と感覚とを心理学的に区別することは大した問題ではないと言える。イメージや心理学的観念は論理学にとっては感覚的実在であるに過ぎない。感覚が捉える感覚対象に過ぎない。どちらも事実であるが、どちらにも意味はない。どちらもあらわれから切り取られたものではないし、あるつながりとして固定されたものでもない。心的出来事の流れにおける自分の場所、時間やあらわれとの関係に無関心でもない。別の場所、別の空のもと異なったときを過ごす存在に遣わされた属性ではない。その生は周囲の環境と分かちがたく絡みあっており、感覚される個々のものとともにあるので、その性格は一つの糸が断ち切られただけでも破壊されてしまう。その持続において移ろいやすく自ら崩れていくのと同じように、個物としては当てにならず、実在にしては人を迷わせ欺くものであるが、ある意味ある仕方でそれはその通りにある。それらは存在をもつ。思考ではなく与えられたものである。しかし、もし我々が観念を意味として使うなら、観念は与えられるものでもあらわれるものでもなくつかみ取られるものである。それは現にあるものとしては存在し得ない。時間や空間に場所を占める出来事でもあり得ない。それは頭のなかの事実でも頭の外の事実でもあり得ない。単に観念だけをとるなら、それは分離された従属物、切り離された寄生物、宿り主を捜す身体のない精神、具体的なものからの抽象、それ自体ではなにものでもない単なる可能性である。

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