『鬣』第28号に掲載された。
視点を変えて考えてみよう。芸の達成は、作品の発生と同等の現象だと考えてよいのだろうか。単なる言葉の連なりがどこかで詩や小説になり、或はどこかで笑いや涙を、つまりは感動を伴った余剰の意味を生みだす作品になる、そうした変化と芸の達成は同じものなのだろうか。大根役者の芝居が名優と同じ台詞を語っていながら、なんの感動ももたらさないように、内容としては同じでありながら、感動をもたらす作品と退屈でたまらぬ作品があり得る。外国文学の翻訳のことを考えればわかりやすいはずだ。Iを「僕」と訳すか、「俺」と訳すか、或は「私」と訳すか、いずれかによって感動の質は変わるだろう。例えば、レイモンド・チャンドラーのフリップ・マーロウが自分のことを「わて」と言ったなら、『長いお別れ』はよほど変な印象をもたらす作品へと変わるだろう。
単なる言葉の羅列と文学との相違が、我々の住まう意味の網の目に関わっていることは確かである。日常的に、ルーチンに消費される意味とは異なる何らかの新たな意味の布置があらわれたときに、我々は作品の誕生を感じ取る。そうした布置の変化が最も明瞭なのが悲劇と喜劇である。
身体的に言えば、横隔膜の震えが笑いであるように、意味の引き攣れが笑いを生みだすと言ってもいいかもしれない。数ある落語のなかでも最も奇天烈なものの一つに「あたま山」がある。けちん坊がもったいないからとサクランボの種まで飲み込んでしまう。すると頭のてっぺんに桜の木が育ち、満開の桜の花が咲く。花見客が大勢訪れ、どんちゃん騒ぎやら喧嘩やらうるさくて仕方がない。そこで桜の木を引っこ抜いてしまった。ところがそこにできた穴に水がたまり、池となり魚が棲むようになる。今度は釣り客が集まり、船を出すわ網を打つわで、これまたうるさくてしょうがない。そこでこの男世をはかなんで自分の頭の池に身を投げてしまった。
この噺のもとになったのは安永二年の『口拍子』にある次のような小咄である。
神田にお玉が池といふ有り。誠はあたまの池なり。昔、この辺に住みける人の親父のあたまに池ができて、鮒や金魚が大ぶん住んで珍しいことゆへ、遠近より群衆をなして見に来る。息子、外聞かた/\気の毒なれば、見物の来ぬやうにしたいと思ふ折ふし「私は山の手から承り及んで、親父様のあたまの池を拝見に参りました」息子「遠方からせつかくお出なされましたが、親父様、世上の沙汰を気の毒に思はれまして、夜前、あたまの池へ身をなげられました」 (武藤禎夫編『江戸小咄辞典』)
お玉が池というのは、かつての神田松枝町(昭和四十年代の初めまでこの町名があった)、いまの岩本町にある地名で、神田駅の東、秋葉原駅の南に位置する。江戸時代の初めには実際にお玉が池という池があったというが、三代将軍家光の寛永年間には既にその存在が不明となっているという。それ以前は桜ヶ池と呼ばれていたその池の池畔の茶屋にお玉という看板娘がいたが、二人の男に言い寄られ、どちらとも決めかねるままに池に身を投じてしまった。それからお玉が池と呼ばれるようになったという。つまり、この噺は、「お玉が池」と「あたまの池」というごくくだらない駄洒落の発想から生まれたのだ。
『江戸小咄辞典』の「鑑賞」によれば、この小咄には『徒然草』第四十五段からのヒントもあるという。良覚という怒りっぽい僧正があった。坊の近くに大きな榎木があったので、「榎木の僧正」と呼ばれた。そのあだ名は面白くないと、榎木を切り倒してしまった。だが、切り株が残っていたので今度は「きりくひの僧正」と呼ばれる。ますます腹が立つので切り株を掘り起こして捨ててしまった。その跡に今度な大きな堀ができたので「堀池僧正」と呼ばれるようになった、という話だ。もっとも、この挿話は落語の「あたま山」や引用した小咄の類話としてあげられているもう一つの話の方により大きな割合で取り入れられている。
そちらの話(同じく安永二年の『坐笑産』にある「梅の木」)では、道楽者と信心深い二人の浪人が隣り合わせに住んでおり、信心深い男の頭に見事な梅が咲き乱れる。多くの見物人が訪れ、敷物代で大いに儲かる。それを嫉んだ隣りの浪人が、夜中忍び込むと梅の木を根こぎにして盗んでしまう。盗まれた浪人はがっかりするが、やがてその穴が池となり金魚が湧きでるようになる。隣りの浪人、再び忍び入り、煙草のヤニを投じ金魚をすべて殺してしまう。浪人はいよいよがっかりして、家主のおかみさんに頭の池に身を投げることを告げる。自分の頭にどうやって身を投げられるものか、とおかみさんに言われた浪人は、「イヤその儀も工夫致しおいた。お世話ながら煙管筒を仕立てるやうに、足から引つくり返して下され」と答えた。
『口拍子』のものとは異なり、落語の「あたま山」と「梅の木」には木を引き抜いた跡に池ができるというくだりがあり、『徒然草』とのより近しい類縁性を示している。また、自分の頭の池に身を投げる方法も説かれている。煙管筒とは、その名の通り煙管を入れる筒で、通常刻み煙草を入れるための袋と対になっている。煙管筒は木製のものが多いが、布製や革製の場合、細長く縫い合わせた袋状のものを最後にひっくり返すことになる。それを「煙管筒を仕立てるやうに」と表現したのだろう。
川戸貞吉の『落語大百科』によれば、典型的な小咄である「あたま山」を一席の落語として演じたのは、彦六の八代目林家正蔵(いまのこぶ平の正蔵ではなく、前の木久蔵である林家木久扇がよく真似をする方の正蔵)だけだったそうだ。そういえば、話自体にはなじみのある「あたま山」だが、落語として聞いた覚えがわたしにはない。それはともかく、正蔵も自分の頭に身を投げる方法について次のように説明していたという。
「そうだねェ、お前わからなけりゃァ、絵解きをして聞かしてやるがね、あのねェ女の方が紐なんぞを縫ってることがあるだろう」
「へえへえへえ」
「最初縫うときにァ、針目を上にして、ね?チクチクチクチク、いま運針というがねェ、針をこう運んでるだろう」
「へえへえへえ、へえ、そうですねェ」
「縫い上がるとどうするィ?物差しをあてがって、ひとつこう、ひっくり返すだろう、な?そうすると、細紐がこう出来上がるねェ」
「へえへえへえ」
「あれとおんなしだァな」
「どういうわけでおんなしですゥ?」
「困ったねェ、お前わからないかい?――」
「わかりませんねェ」
「だからさァ、かりにね、頭の、池だねェ、頭に池があるとする」
「へえへえへえ」
「これをお前、人間がめくれめくれていきゃァみんな入っちまう」
人間を裏返すという発想は「梅の木」と同じである。ちなみに、アカデミー賞短編アニメーション部門にもノミネートされた山村浩二の『頭山』(2002年)では、釣り客や水遊びをする者たちの騒ぎに耐えきれなくなった男が夜のなかをさまよっていると、池に行き当たり、その池を覗き込むことが頭池を覗き込むことでもあって、合わせ鏡の間に身を置いたように、無限の反復に捕らわれるというような解釈になっていた。しかし、この解釈はわたしには疑問だった。「あたま山」の最後の面白さとは、トポロジーの面白さであって、無限の生みだす面白さとは自ずから性質が異なっていると思われるからである。
悲劇よりいっそう定めがたいのが、喜劇というジャンルの定義であろう。アリストファネス、シェイクスピアから、ワイルド、チャップリン、キートン、マルクス兄弟、モンティ・パイソン、森繁久彌の社長シリーズや『男はつらいよ』まで包含するような定義がいったい可能なのだろうか。
アレンカ・ジュパンチッチは『仲間どうし』という喜劇論で、真の喜劇と偽物の喜劇とを区別している。ジュパンチッチには『リアルの倫理』というカントとラカンについての、またニーチェについての著作があり、おおよそカント、ヘーゲル、ニーチェ、フロイト、ラカン、ジジェクといった思想圏内にいる人物である。その喜劇論の出発点はヘーゲルの喜劇論にある。
ヘーゲルによれば、叙事詩、悲劇、喜劇は宗教と同じく、精神の偉大な達成である。というのも、いずれにおいても、普遍的なもの、本質的なもの、絶対的なものが扱われているからである。叙事詩では、吟遊詩人たちによって神々や英雄たちの行為が物語られる。悲劇では、運命や死といった普遍的、絶対的なものが上演され、表現される。
ジュパンチッチが言うには、ヘーゲルの喜劇論の特異な点は、ヘーゲルが、喜劇においても普遍的なもの、本質的なもの、絶対的なものとのつながりを手放さなかったことにある。ごく通俗的な喜劇観に従えば、喜劇こそは、普遍的なもの、本質的なもの、絶対的なものからは抜け落ちてしまう日常の細部がそうした大問題に対して反旗を翻し、それらを切り崩して勝利を収めるものだということになろう。ところが、ヘーゲルは、ちょうど悲劇の演者が必然や運命という巨大な力のごく小さな一部であるように、喜劇における日常の具体的な細部は普遍、本質、絶対を切り崩す否定という絶対的な力が顕現したものであり、この否定こそが喜劇の生みだす普遍であり、本質であり、絶対だと言うのだ。
喜劇は普遍の土台を切り崩すものではなく、普遍(自ら)の具体への反転である。それは普遍に対する異議申し立てではなく、普遍そのものの具体的な労働或は作業なのだ。或は、これを一言で言えば、喜劇とは作業中の普遍である。この普遍は活動している存在として表象(再現)されているのではなく、まさにいま働いている。(アレンカ・ジュパンチッチ『仲間どおし』)
これだけでは具体的にどういうことが言われているのか定かではないが、真の喜劇と偽物の喜劇との区別の仕方を見ると、朧気な視界が徐々に晴れていくことになろう。
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