1953年の短編。殺人の発生を防ぐために、科学者たちがウオッチバードという機械を発明する。要するに機械仕掛けの鳥で、殺人を犯すときにあらわれる微細な化学変化を感知して、スタンガンのようにショックを与えて、殺人を未然に防ぐ。
最初は良好な結果があらわれていたが、このロボットが学習する機能を与えられていることから問題は拡大し、とんでもない方向に逸脱していく。殺人とは有機体が有機体を殺すことである、そう解釈されたとき、もちろん狩猟も漁業も農業も許されなくなる。機械もまた電源を切ることが許されなくなる(車やラジオを見ればわかるように、静かになり、暖かさを失い、死んだと同じような状態になるから)。食物の連鎖が大きく崩れ、餓死する人間が急増する。
大統領によって、この機械を停止するよう命令されるが、なにを置いても「殺人」を阻止することを優先することがプログラムされているこの鳥は、おとなしく停止に従うわけがない。最初からこの計画に懐疑的だった主人公(だが、はっきりと問題を言葉にすることはできなかった)は、技師に命じて、鳥たちを捕獲し、破壊する機械仕掛けの鷲を製作する。
鳥たちはみるみる捕獲され、今度こそ問題は解決するかに思われるのだが、殺すことを防ぐためにつくられた鳥がもたらした結果を思うと、殺すためにつくられた鷲がこれからどうなるか憂鬱な気分になるのだった・・・・・・
デュ・モーリアの原作はほぼ同じ時期なので、影響関係はないだろうが、ヒッチコックの『鳥』(1963年)を連想させる。鳥を極端に怖がる者があるが、M・ポングラチュ、J・ザントナーの『夢占い事典』(河出文庫)によると、鳥は両性的象徴(スワンベルグの絵が思いだされる)で、死をあらわすこともあるという。
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