2013年11月25日月曜日

コーマック・マッカーシー『血と暴力の国』



 2005年刊行。コーエン兄弟の映画『ノーカントリー』(2007年)の原作。

 テキサスの荒野で狩りをしていた男が、銃撃戦があったとおぼしき場所に出くわす。そこで麻薬と札束の詰まったバッグを見つける。狩りの経験もあり、ヴェトナム戦争の帰還兵でもあり、クレバーでもある彼は、面倒を背負い込むことになるとわかってはいるが、自分の力で処理できると考えて、金を持ち去ってしまう。

 ところが、撃たれて死にかけていた男が水を欲しがっており、それが気になって、ちょっとした出来心というか、慈悲心というか、水をもって現場に戻ったことがきっかけになって、身元がわれ、シュガーという殺し屋に追われることになる。

 この殺し屋の造型が見事で、感情をまったくあらわすことはないし、金で買収されることもない。邦題では「血と暴力」とあるが(訳者である黒原敏行のあとがきによれば、原題の、No Country For Old Manはイェーツの『ビザンティウムへの船出』が出典だという)たしかに血と暴力はふんだんにあるのだが、暴力にありがちな衝動性はまったく欠けている。

 この独特な殺し屋の雰囲気は、引用符のない会話、極端に比喩の少ない直截的な文章の魅力とともに、結末近く、殺し屋を追う保安官と検事との会話にあらわれているだろう。

 あれはまあ幽霊みたいなもんだ。
 みたいなものなのか幽霊なのかどっちだね?
 いやあの男は本当にいるよ。いないのならいいと思うが。本当にいるんだ。
 検事はうなずいた。幽霊ならあんたも心配する必要がないんだがね。
 おれはそのとおりだと言ったが、その後それについて考えてみて思ったのはあの検事の問いに対しては、この世界である種のものに出食わしたとき、あるいはある種のものがいるという証拠に出食わしたときにこれは自分で立ち向かわないほうがいいと気づくことがあるが実際あれはそういうものの一つだったんだと思うという返事をすべきだったということだ。あれは頭の中にいるだけではなく本当にいるんだと答えたとき結局のところ自分が何を言ったのかおれにはよくわからない。

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