いまでは何が楽しかったのかよくわからないが、子供の頃好きでよく将棋の棋譜を並べていた。当時は、中原誠がめきめきと頭角をあらわしていた頃だったが、大山十五世名人の棋譜を並べることがもっとも多かったように思う。子供心にも変な将棋で、金が敵陣近くまでいったかと思うとするすると自陣へ戻るのだった。
並べたからといって強くなるわけではなく、手順は(中盤くらいまでは)すいすいと一人で進めることができるのだが、適当な対戦相手がないためもあって、たまに相手がいるととたんに弱さが露呈するのだった。
そんなわけで勝負はまったくしなかったが、本はそれ以後も時々読むし(『羽生の頭脳』は内容はまったく理解できなかったが、文章がうまいのに舌を巻いた)、テレビやネットでの観戦は好きな方である。それゆえ、プロ棋士の顔はほとんど見知っていると思うが、大盤解説や将棋祭りを除くと、生で見たことがある棋士は二人しかいない。
ひとりは米長邦雄で、新宿の喫茶店の入り口ですれ違った。二人目は先崎学八段で、神田のそば屋で見かけた。
生で見たたった二人が師匠とその弟子なのだから、米長邦雄には縁が(一方的な)あるが、実はあまり好きな棋士ではない。矢倉戦のおもしろさがわからないこともあったが、人柄の怜悧な感じが何となくよいイメージをもてなかったのだ。
団鬼六がこの本を書いたのは、米長邦雄が名人位を奪取したときだから、1993年である。団鬼六のエッセイに登場する人物は、根本敬の本に出てくる人物ほど振り切れていないが、どこか奇妙な味をもつ人間ばかりで、普通は避けてしまいそうなそんな人間たちをなぜか受けいれてしまう団鬼六の妙な人間性もあきらかになるような仕組みになっている。
米長邦雄は、特定の神に限定されるわけではないが、女神の信奉者で、女神は謙虚と笑いを好み、卑を嫌うとのことである。神であるのと同じくらい女性としての要素が強いわけで、帰依すれば報われるという単純なことでもないらしい。どれだけ首尾一貫したものかはわからないし、あたら女神など信奉したばかりに、一期しか名人をとれなかったといえないこともない。
いずれにしても、米長邦雄が団鬼六向きの妙な人物であることがわかる。
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