1978年のイギリス映画。
傭兵たちの話。
好きだった。特にリチャード・ハリスがお気に入りで、イーストウッドの『許されざる者』で再会したときは嬉しかった。
2015年1月31日土曜日
2015年1月30日金曜日
ケネス・バーク『恒久性と変化』27
論理に関する保留
感情と論理との区別、直感と理性との区別は、その他との関わりでどれだけ役に立つとしても、ここでは考える必要はない。鳥の一団にとって、そのうちの一羽が飛び立つときに続けて飛び立つことは本能であり――同様にまったく論理的な振る舞いである。一般的に言って、自分の身を守る助けとなるやり方で出来事に反応しているのであり――最初に飛び立った鳥が間違っていたり、ひねくれていたにしろ、それ以上に論理的な振る舞いは考えられない。
より微妙な性格を識別することを学習すれば、より正確な反応ができるかもしれない。例えば、若い鳥はより飛び立ちやすいことを知り――神経質な若鳥の行動はその近くにいる鳥によって斟酌され、そうした無反応に集団が応じることもあるかもしれない。こうした場合、しるしの読み取りはより正確にはなっているが、より論理的になっているとは言えないだろう。我々の考え方からすると、論理とは、言語化による再定位或は確認を意味していると思われる。即ちこうである。我々はある問題を特殊な形で言明し、この特殊な言明のなかで問題を探るときに論理的(ロゴス、言葉)である。鳥の振る舞いは、彼らが実際に再定位のなんらかの提案をあらわし、それを実行できたときに論理的となろう。そして、薄暗闇のなかでぼんやりと外套掛けを見て、それを泥棒だと解釈して逃げだしたとしても、なんら非合理的なところなどない。
我々の言葉の意味においてはっきり非合理的な過程だと言えそうなのは、次のような家庭での出来事である。いたずら好きの娘婿がパイプを拳銃のように握り、曾祖母に向けて「手を挙げろ」と言う。いたずらは思ったよりもうまくいった。老婦人は大いに驚き、銃を下ろすように叫んだ。いたずら者は銃ではなく、ただのパイプであったことを示す――彼女は厳格にこう答える、「ああ、私にはわかっていたよ、でも人はそうやって撃たれるもんだよ」と。
彼女の恐れは論理的であり――その憤りも論理的だが、その言語化については、どうすれば適切と言えるのか、私には定位の形を想像できない。彼女は、たとえ弾が込められていないと思われても、武器を人に向けるべきではないことの理由を述べている。彼女の考えによれば、そうした武器は結局のところ弾が入っていることをしばしば証明するのである。それ故、武器を使ったいたずらは人の命を代償とすることもある。それ故、彼女の恐れと憤りは正当化される。しかし、人はパイプで撃つことはない。彼女の反応はもともと彼女によって特徴づけられた状況に対するものであり――義理の息子によって別に特徴づけられた状況に対するものではない。それは、彼女が息子の言語化を無視した限りにおいて非合理的である。もし彼女が、銃は突然パイプに変わりうるものであり、いまは明らかにパイプであるが、自分に向けられていたときは銃であったと信じているなら、非合理的とは言えないだろう。
非合理的だとして最も責められるのはこの二番目の種類に関するもので、そこでは前提の不一致が隠されており、互いを非合理的だと責める対立者同士は、実際には学生めいた三段論法的な律儀さで前提から結論に向けて進んでいる。こうした事例は、特に、西洋の調査者が未開部族の行動に論理的欠如を発見する場合に見受けられる。実際には、未開人は部族の合理化によって確立された因果的結びつきをもとに、極めて論理的に行動している。我々は我々の検証の技術によって、合理的な枠組みを問いただす根拠を提示することはできる――しかし、自分が正しいと感じる根拠に基づいて行動している人間を非合理的とは呼べない。
それでは、老嬢は、恐れに心を奪われており、それに従えばまさしく出来事の性格は彼女が解釈したとおりだとしてみよう。娘婿が銃ではなくパイプだと示したのは、彼女の反応に根拠がないことを示すことで、状況を再定位する試みだとしよう。このことについて、彼は本質的には成功しておらず、というのも、彼は彼女が恐れるべきではない理由を彼の観点から提示したが、彼女の恐れが憤りの十分な根拠であるという事実に対して、憤るべきではなかった理由を提示することはできなかったからである。かくして、彼女の言語化は、怖がらせたことに対する憤りを正当化するという意味においては非論理的であり、本来的な恐れだけが極めて適切に言葉にあらわされている。
間違った象徴化のもと、彼女が実際になにを言っているかといえば、「私はそれが銃だと思い、銃を向けられたから憤った」ということである。しかし、無害だとわかったいたずらに対して憤りを示すことに居心地の悪さを感じた優しい老嬢は、叱りつけることで示そうとはしたものの、その言語化から憤りに関する部分を完全に除外した。それ故、すべてが終ったあとにも、銃を向けたという実際には行なわれなかった不法行為を理由に責めようとすることで、完全に間違った発言をする。
かくして、言語行為が語り手の定位のなかにおいてさえ不適切で、非合理的だと認められるとき、定位一般の論議に言葉が大きな助けとなりうるかどうか我々は疑問を感じる。定位のシステムというのは、正確さの多少はあるにしても、ある出来事を選び出し、それが有益か、中立的か、危険か判断することにある――そして、危険がわかっていて破滅的な行動を取る男は、ラベルに薬とある瓶に入った毒薬を飲んで死んだ男に対してより非論理的な振る舞いをしたわけではない。
この意味において、新たなやり方で出来事の性格づけをしようとすることは、宗教、精神療法、科学のどの名で行なわれるにしても、人を改宗させようとすることである。それは、我々の定義によれば、既に確立した結合を攻撃する限りにおいて不敬虔である。それは、合理化によって我々の反応の性質を変えようと試みる。
例えば、ユダヤ教とキリスト教の合理化のなかでは、それより以前の異教的な聖なる売春は罪として再定位化される。食事療法の理論でも、同じように新たな禁止事項や規定があって、無関係、有益、危険についての我々の考え方が再定位化される。マルクス主義では、新たな意味が、広範囲にわたる複雑な生産、配分、道徳のネットワークのなかから特殊な注意、特殊な要因を引きだす助けとなっている。こうした試みのすべては(十九世紀は、我々を変える範囲については様々であるが、無数の新たな定位を生みだした)、我々の敬虔な定位に狙いを定めており、我々が疑問に付することなく放置しておいた最後の究極的な仮定を狩り出すのである。
感情と論理との区別、直感と理性との区別は、その他との関わりでどれだけ役に立つとしても、ここでは考える必要はない。鳥の一団にとって、そのうちの一羽が飛び立つときに続けて飛び立つことは本能であり――同様にまったく論理的な振る舞いである。一般的に言って、自分の身を守る助けとなるやり方で出来事に反応しているのであり――最初に飛び立った鳥が間違っていたり、ひねくれていたにしろ、それ以上に論理的な振る舞いは考えられない。
より微妙な性格を識別することを学習すれば、より正確な反応ができるかもしれない。例えば、若い鳥はより飛び立ちやすいことを知り――神経質な若鳥の行動はその近くにいる鳥によって斟酌され、そうした無反応に集団が応じることもあるかもしれない。こうした場合、しるしの読み取りはより正確にはなっているが、より論理的になっているとは言えないだろう。我々の考え方からすると、論理とは、言語化による再定位或は確認を意味していると思われる。即ちこうである。我々はある問題を特殊な形で言明し、この特殊な言明のなかで問題を探るときに論理的(ロゴス、言葉)である。鳥の振る舞いは、彼らが実際に再定位のなんらかの提案をあらわし、それを実行できたときに論理的となろう。そして、薄暗闇のなかでぼんやりと外套掛けを見て、それを泥棒だと解釈して逃げだしたとしても、なんら非合理的なところなどない。
我々の言葉の意味においてはっきり非合理的な過程だと言えそうなのは、次のような家庭での出来事である。いたずら好きの娘婿がパイプを拳銃のように握り、曾祖母に向けて「手を挙げろ」と言う。いたずらは思ったよりもうまくいった。老婦人は大いに驚き、銃を下ろすように叫んだ。いたずら者は銃ではなく、ただのパイプであったことを示す――彼女は厳格にこう答える、「ああ、私にはわかっていたよ、でも人はそうやって撃たれるもんだよ」と。
彼女の恐れは論理的であり――その憤りも論理的だが、その言語化については、どうすれば適切と言えるのか、私には定位の形を想像できない。彼女は、たとえ弾が込められていないと思われても、武器を人に向けるべきではないことの理由を述べている。彼女の考えによれば、そうした武器は結局のところ弾が入っていることをしばしば証明するのである。それ故、武器を使ったいたずらは人の命を代償とすることもある。それ故、彼女の恐れと憤りは正当化される。しかし、人はパイプで撃つことはない。彼女の反応はもともと彼女によって特徴づけられた状況に対するものであり――義理の息子によって別に特徴づけられた状況に対するものではない。それは、彼女が息子の言語化を無視した限りにおいて非合理的である。もし彼女が、銃は突然パイプに変わりうるものであり、いまは明らかにパイプであるが、自分に向けられていたときは銃であったと信じているなら、非合理的とは言えないだろう。
非合理的だとして最も責められるのはこの二番目の種類に関するもので、そこでは前提の不一致が隠されており、互いを非合理的だと責める対立者同士は、実際には学生めいた三段論法的な律儀さで前提から結論に向けて進んでいる。こうした事例は、特に、西洋の調査者が未開部族の行動に論理的欠如を発見する場合に見受けられる。実際には、未開人は部族の合理化によって確立された因果的結びつきをもとに、極めて論理的に行動している。我々は我々の検証の技術によって、合理的な枠組みを問いただす根拠を提示することはできる――しかし、自分が正しいと感じる根拠に基づいて行動している人間を非合理的とは呼べない。
それでは、老嬢は、恐れに心を奪われており、それに従えばまさしく出来事の性格は彼女が解釈したとおりだとしてみよう。娘婿が銃ではなくパイプだと示したのは、彼女の反応に根拠がないことを示すことで、状況を再定位する試みだとしよう。このことについて、彼は本質的には成功しておらず、というのも、彼は彼女が恐れるべきではない理由を彼の観点から提示したが、彼女の恐れが憤りの十分な根拠であるという事実に対して、憤るべきではなかった理由を提示することはできなかったからである。かくして、彼女の言語化は、怖がらせたことに対する憤りを正当化するという意味においては非論理的であり、本来的な恐れだけが極めて適切に言葉にあらわされている。
間違った象徴化のもと、彼女が実際になにを言っているかといえば、「私はそれが銃だと思い、銃を向けられたから憤った」ということである。しかし、無害だとわかったいたずらに対して憤りを示すことに居心地の悪さを感じた優しい老嬢は、叱りつけることで示そうとはしたものの、その言語化から憤りに関する部分を完全に除外した。それ故、すべてが終ったあとにも、銃を向けたという実際には行なわれなかった不法行為を理由に責めようとすることで、完全に間違った発言をする。
かくして、言語行為が語り手の定位のなかにおいてさえ不適切で、非合理的だと認められるとき、定位一般の論議に言葉が大きな助けとなりうるかどうか我々は疑問を感じる。定位のシステムというのは、正確さの多少はあるにしても、ある出来事を選び出し、それが有益か、中立的か、危険か判断することにある――そして、危険がわかっていて破滅的な行動を取る男は、ラベルに薬とある瓶に入った毒薬を飲んで死んだ男に対してより非論理的な振る舞いをしたわけではない。
この意味において、新たなやり方で出来事の性格づけをしようとすることは、宗教、精神療法、科学のどの名で行なわれるにしても、人を改宗させようとすることである。それは、我々の定義によれば、既に確立した結合を攻撃する限りにおいて不敬虔である。それは、合理化によって我々の反応の性質を変えようと試みる。
例えば、ユダヤ教とキリスト教の合理化のなかでは、それより以前の異教的な聖なる売春は罪として再定位化される。食事療法の理論でも、同じように新たな禁止事項や規定があって、無関係、有益、危険についての我々の考え方が再定位化される。マルクス主義では、新たな意味が、広範囲にわたる複雑な生産、配分、道徳のネットワークのなかから特殊な注意、特殊な要因を引きだす助けとなっている。こうした試みのすべては(十九世紀は、我々を変える範囲については様々であるが、無数の新たな定位を生みだした)、我々の敬虔な定位に狙いを定めており、我々が疑問に付することなく放置しておいた最後の究極的な仮定を狩り出すのである。
2015年1月29日木曜日
ブラッドリー『論理学』113
§8.「欠如」と「対立」との区別(シグヴァルト128頁以下)も、我々が述べたことの本質を変えはしない。欠如の判断においては、「赤」という述語は、主語となるものには赤がないことによって否定される。主語はまったく色のない暗黒かもしれない。しかし、「赤」が、主語が「緑」であるために否定されたのだとすると、排除し合う対立する性質が現前することになり、判断は現にある対立に基づいていることになる。この区別は、後に別の文脈で見ることになるが、最も本質的なものである(第六章、第三巻II.第三章§20参照)。しかし、いまの我々の問題には関係ない。どちらの場合にも、主語はある性質をもつものとされている。つけ加えられることでも削減されることでも個別の性格は破壊される。もしある物体が色がないために赤ではないなら、色をつけ加えることは我々がいま見ている物体を破壊することになろう。公平に言って、この述語が受け入れられれば、主語はもはやあるがままの主語ではなくなるだろう。もしそうなら、結局どちらの否定も矛盾する性質や性格から始まっていることとなろう。
2015年1月28日水曜日
幸田露伴『評釈冬の日』しぐれの巻28
けしの一重に名をこぼす禅 杜國
前人が解したところでは、一休禅師がまだ成道していないとき、艶書に罌粟の花一輪を添えて、「本来の面目坊が立姿一目見しより恋となりけり」と詠じた面影だという。一休のこと、世に多く逸話が伝えられているが、みな浅はかな作りごとで、信じるにたるものが少ない。その作したものは詩集『狂雲集』二巻、『骸骨草紙』、『仏鬼軍』などがある。後人が選した『可笑記』、『狂歌咄』のたぐいは、基づくところがないとは言わないが、単に小説である。「一目見しより」の歌、これらの書に載っているだけで、いま自分の書棚にはないので確証はない。
一休は高須の里の遊女、地獄となじみであったと伝えられている。その真偽は知るよしもないが、一休は寒中の枯れ木のような堅物ではなく、「今夜美人若約我、枯楊春老更正稊」の詩があり、その他、「美人の陰に水仙香の香有り」など、種々放縦の文字を『狂雲集』にとどめた人であって、かつまた、摂津の桜塚の岐翁紹偵はまさしく一休の子であるが、その紹偵が一休の像に付けた賛にも、「尺八声ゝ吹又吹、婬坊酒肆一生棲、瀟洒途轍少人𨂻、眼見東南竟北西」とあり、実に常識や凡庸さのなかった人物なので、虚実取りあわせ、「あだ人と樽をひつぎ」の前句に、「けしの一重に名をこぼす禅」と付けたのだろう。
こぼすは流すといっているようなものである。『和漢文操』、『雲鈴行状記』などを引いて、死を予知して仏花をいけて大いに祝い、罌粟の花の散るように成仏しようと杯膳のあいだに座を占めた生死を達観した居士だ、などと『婆心録』の解するのは、必ずしも当を得ていないように思われる。前句が豪放狂逸の態なので、一休のように不羈の禅僧の面影を借りて点出したと解するのが穏やかである。
前人が解したところでは、一休禅師がまだ成道していないとき、艶書に罌粟の花一輪を添えて、「本来の面目坊が立姿一目見しより恋となりけり」と詠じた面影だという。一休のこと、世に多く逸話が伝えられているが、みな浅はかな作りごとで、信じるにたるものが少ない。その作したものは詩集『狂雲集』二巻、『骸骨草紙』、『仏鬼軍』などがある。後人が選した『可笑記』、『狂歌咄』のたぐいは、基づくところがないとは言わないが、単に小説である。「一目見しより」の歌、これらの書に載っているだけで、いま自分の書棚にはないので確証はない。
一休は高須の里の遊女、地獄となじみであったと伝えられている。その真偽は知るよしもないが、一休は寒中の枯れ木のような堅物ではなく、「今夜美人若約我、枯楊春老更正稊」の詩があり、その他、「美人の陰に水仙香の香有り」など、種々放縦の文字を『狂雲集』にとどめた人であって、かつまた、摂津の桜塚の岐翁紹偵はまさしく一休の子であるが、その紹偵が一休の像に付けた賛にも、「尺八声ゝ吹又吹、婬坊酒肆一生棲、瀟洒途轍少人𨂻、眼見東南竟北西」とあり、実に常識や凡庸さのなかった人物なので、虚実取りあわせ、「あだ人と樽をひつぎ」の前句に、「けしの一重に名をこぼす禅」と付けたのだろう。
こぼすは流すといっているようなものである。『和漢文操』、『雲鈴行状記』などを引いて、死を予知して仏花をいけて大いに祝い、罌粟の花の散るように成仏しようと杯膳のあいだに座を占めた生死を達観した居士だ、などと『婆心録』の解するのは、必ずしも当を得ていないように思われる。前句が豪放狂逸の態なので、一休のように不羈の禅僧の面影を借りて点出したと解するのが穏やかである。
2015年1月27日火曜日
2015年1月26日月曜日
ケネス・バーク『恒久性と変化』26
やむを得ない労働と象徴的労働
単調な骨折り仕事は純然たるやむを得ない労働であり、象徴的労働は個人の最も深いところにあるパターンに従ったものだと認めるれば、やむを得ない労働と象徴的な労働とを区別できる。象徴的労働はより敬虔である。例えば、どこかに行かねばならず、目的地へ行くあいだにあるために山に登るのであれば、それは「やむを得ない労働」である。同じ行動でも、山が登り手に対してなんらかの深い意味合いをもっており、登るという行為そのものがある種の達成なら、それは象徴的であろう。登山家の経験を読んだことのある者なら、その区別がわかるだろうが、登山家の場合、登山にありがちの危険は単に堪えられるものではなく、求められるものである。非凡な達成というのは、芸術的、科学的、政治的、商業的のどんな場合であっても、恐らくはやむを得ない側面と象徴的な側面とが一人の人間において結びつくことで生まれるのだろう。
例えば、ロックフェラーは単に金儲けをしただけではなかった。彼の努力にはなんらかの形でピューリタンの道徳規範が含まれており、経済的帝国を建設しようとする彼の絶え間のない労力は功利的な必要性を遙かに超えでている。彼は単なる仕事をしていたのではない――召命に応じていたのである。同様に、レーニンのような職業的革命家の場合、変わることのない仕事への献身は、プロレタリアート独裁が彼にとって単なる手段ではなく、なんらかの形で彼の最も根本的な正当化のパターンや自尊心に深く関わっていたことを示しているだろう。それが子供時代の経験のパターンに結びついていることもあり得ることで、哀れなゴーゴリは、早い時期に、彼の風刺小説が大きな成功を収め、父親に対する忠誠を裏切ってしまったと感じてから自分の心を見失ってしまった。レーニンの場合、手がかりは恐らく兄との関係にあって、兄が殺されたあとレーニンはその重要な意見を取り入れたのである。
要約すると、どんな種類のものであっても、大いに献身が認められるところには、敬虔の領域がある。ジャーナリストの場合のように、今日多くの人間が自分の仕事に嫌悪感を表明しているが、それもある種の裏返しにされた敬虔さであろう――一般紙が純粋に実用的なスタイルで書かれているのに対し、しばしば赤新聞が労働者向けの強い個性的なスタイルを示しているのも偶然ではないと思われる。
赤新聞の作者たちがその努力のなかに道徳的要素を蔵しているのは明らかである――というのも心底において彼らは自己を軽蔑しており、こうした自己嫌悪は基本的に道徳的だからである。それ故、それに見合った不浄な献げものをする祭壇をもっているのである。下劣な社説が実際には響きをもち、大声で朗読でき、リズムと精神をもつ一方、一般紙の毎日の義務的な報告が電話帳のように素っ気ないものだと気づかない者がいようか。一般紙の実用的なスタイルは基本的に夢中になることを欠いている――作者は単なる観察者である。しかし、根本において軽蔑する新聞の仕事をするなら、書く度に常に道徳的問題を扱うことになり、その記事は雄弁の退化した形でしかないにしても、道徳的刺激のしるしを見せることになる。
同様に、心理学者は人間の仕事に潜むシンボリズムのパターンをあらわにする者として詩人の仕事に取り組むが、機械的な発明にも同じようなことがあらわれていると想像できよう。心の分裂によって苦しんでいたハート・クレーンにとって、ブルックリン橋は統一のシンボルだった――どうして心の底から強く橋をつくりたいと願っている技術者にとって、橋が同じような非功利的意味合いをもたないことがあろうか。
単調な骨折り仕事は純然たるやむを得ない労働であり、象徴的労働は個人の最も深いところにあるパターンに従ったものだと認めるれば、やむを得ない労働と象徴的な労働とを区別できる。象徴的労働はより敬虔である。例えば、どこかに行かねばならず、目的地へ行くあいだにあるために山に登るのであれば、それは「やむを得ない労働」である。同じ行動でも、山が登り手に対してなんらかの深い意味合いをもっており、登るという行為そのものがある種の達成なら、それは象徴的であろう。登山家の経験を読んだことのある者なら、その区別がわかるだろうが、登山家の場合、登山にありがちの危険は単に堪えられるものではなく、求められるものである。非凡な達成というのは、芸術的、科学的、政治的、商業的のどんな場合であっても、恐らくはやむを得ない側面と象徴的な側面とが一人の人間において結びつくことで生まれるのだろう。
例えば、ロックフェラーは単に金儲けをしただけではなかった。彼の努力にはなんらかの形でピューリタンの道徳規範が含まれており、経済的帝国を建設しようとする彼の絶え間のない労力は功利的な必要性を遙かに超えでている。彼は単なる仕事をしていたのではない――召命に応じていたのである。同様に、レーニンのような職業的革命家の場合、変わることのない仕事への献身は、プロレタリアート独裁が彼にとって単なる手段ではなく、なんらかの形で彼の最も根本的な正当化のパターンや自尊心に深く関わっていたことを示しているだろう。それが子供時代の経験のパターンに結びついていることもあり得ることで、哀れなゴーゴリは、早い時期に、彼の風刺小説が大きな成功を収め、父親に対する忠誠を裏切ってしまったと感じてから自分の心を見失ってしまった。レーニンの場合、手がかりは恐らく兄との関係にあって、兄が殺されたあとレーニンはその重要な意見を取り入れたのである。
要約すると、どんな種類のものであっても、大いに献身が認められるところには、敬虔の領域がある。ジャーナリストの場合のように、今日多くの人間が自分の仕事に嫌悪感を表明しているが、それもある種の裏返しにされた敬虔さであろう――一般紙が純粋に実用的なスタイルで書かれているのに対し、しばしば赤新聞が労働者向けの強い個性的なスタイルを示しているのも偶然ではないと思われる。
赤新聞の作者たちがその努力のなかに道徳的要素を蔵しているのは明らかである――というのも心底において彼らは自己を軽蔑しており、こうした自己嫌悪は基本的に道徳的だからである。それ故、それに見合った不浄な献げものをする祭壇をもっているのである。下劣な社説が実際には響きをもち、大声で朗読でき、リズムと精神をもつ一方、一般紙の毎日の義務的な報告が電話帳のように素っ気ないものだと気づかない者がいようか。一般紙の実用的なスタイルは基本的に夢中になることを欠いている――作者は単なる観察者である。しかし、根本において軽蔑する新聞の仕事をするなら、書く度に常に道徳的問題を扱うことになり、その記事は雄弁の退化した形でしかないにしても、道徳的刺激のしるしを見せることになる。
同様に、心理学者は人間の仕事に潜むシンボリズムのパターンをあらわにする者として詩人の仕事に取り組むが、機械的な発明にも同じようなことがあらわれていると想像できよう。心の分裂によって苦しんでいたハート・クレーンにとって、ブルックリン橋は統一のシンボルだった――どうして心の底から強く橋をつくりたいと願っている技術者にとって、橋が同じような非功利的意味合いをもたないことがあろうか。
2015年1月25日日曜日
ブラッドリー『論理学』112
§7.あらゆる否定にはそれが根づく土壌があり、その土壌は肯定である。主語の性質xが呈示された観念と両立できないことにある。AがBではない、なぜならAはこうしたものであり、もしBであるなら、Aではなくなってしまうからである。Bを受け入れればその性質が変わってしまう。Bが破壊してしまうこの性質によってAは自らを持しているのであり、呈示を退けるのである。別の言葉で言えば、性質xとBとは矛盾する。そして、Aにこの矛盾をもたらす性質があることをあらかじめ認めていなければ、Bを否定することはできない。
しかし、否定判断においては、xは明らかにされていない。AのなにがBとの両立を不可能にするのか我々は言わない。尋ねられても、しばしばその隠れた障害を指摘し、見分けることができないこともある。ある場合には、どれだけ努力してもそれが不可能なこともある。Bが受け入れられれば、Aはその性格を失うが、それ以上のことはわからないのである。否定の土壌は言明されていないだけではなく、知られていない。
しかし、否定判断においては、xは明らかにされていない。AのなにがBとの両立を不可能にするのか我々は言わない。尋ねられても、しばしばその隠れた障害を指摘し、見分けることができないこともある。ある場合には、どれだけ努力してもそれが不可能なこともある。Bが受け入れられれば、Aはその性格を失うが、それ以上のことはわからないのである。否定の土壌は言明されていないだけではなく、知られていない。
2015年1月24日土曜日
幸田露伴『評釈冬の日』しぐれの巻27
あだ人と樽を棺に飲乾さん 重五
あだ人は中国の俗語に、情人を冤家といい、今風の言い方でかわいい人を命取りなどというように、忘れがたい人である。『古今集』巻十五、読み人知らず、「あきと云へばよそにぞ聞きしあだ人の我をふるせる名こそありけれ」。 『源氏物語』玉葛の巻、「むかしの懸想のをかしきいどみにはあだ人といふ五文字をやすめどころに置きて言の葉つづきたるよりある心地すべかめりなど笑ひたまう。」また、貞亨四年去来の初雲雀の発句の歌仙で、嵐雪の、「つつむにあまる腹気おさへし」の句に、「仇人の為にかくまで氏を捨て」と芭蕉は付けた。これらの例でわかるだろう。
棺、槨、柩どれもひつぎと読む習いである。ひつぎはひときであり、人を容れるものであり、酒樽を直ちに身を収めるものとしようと、痛飲して死をかえりみないこともある。『晋書』巻四十九、劉怜伝には、怜はかつて小さな車にのり、一壺酒を携え、鋤をもたせて人を従わせ、死んだらすぐに埋めるよう言ったという。この句、なすに任せたかぶった様子に似たものがある。前句とのかかりは、解さずとも明らかである。
あだ人は中国の俗語に、情人を冤家といい、今風の言い方でかわいい人を命取りなどというように、忘れがたい人である。『古今集』巻十五、読み人知らず、「あきと云へばよそにぞ聞きしあだ人の我をふるせる名こそありけれ」。 『源氏物語』玉葛の巻、「むかしの懸想のをかしきいどみにはあだ人といふ五文字をやすめどころに置きて言の葉つづきたるよりある心地すべかめりなど笑ひたまう。」また、貞亨四年去来の初雲雀の発句の歌仙で、嵐雪の、「つつむにあまる腹気おさへし」の句に、「仇人の為にかくまで氏を捨て」と芭蕉は付けた。これらの例でわかるだろう。
棺、槨、柩どれもひつぎと読む習いである。ひつぎはひときであり、人を容れるものであり、酒樽を直ちに身を収めるものとしようと、痛飲して死をかえりみないこともある。『晋書』巻四十九、劉怜伝には、怜はかつて小さな車にのり、一壺酒を携え、鋤をもたせて人を従わせ、死んだらすぐに埋めるよう言ったという。この句、なすに任せたかぶった様子に似たものがある。前句とのかかりは、解さずとも明らかである。
2015年1月23日金曜日
ケネス・バーク『恒久性と変化』25
第二章 新しい意味
福音伝道にある不敬虔の要因
このように考えると、過去の定位を再構築する試みは、不敬虔の側面をもつことになろう。というのも、敬虔さの定義によってまず認められるのが、ガス工場の労働者が彼らなりの敬虔さをもっているということなら、逆に、新しい宗教には敬虔さとともに何かしら不敬虔さが存在していると認めざるを得ない。福音主義者は我々の定位を変えるように要求する。彼は我々に新たな意味を与えようとする。その群れに忠実なものもいれば、不敬虔なメンバー(「科学者」ででもあろうか)もいてこう尋ねるかもしれない。「この鳥は臆病すぎないか。愚かにも、君たちを狩る人間の姿を指して怖がらせようとしているが、実際のところあの男は、オードゥボン鳥類保護教会の者ではないか。或は、この気まぐれな鳥は君たちの集団には似つかわしくない歪んだ動機によって動かされていて、自分の羽ばたきで鳥なりの流儀で「狼だ」と叫んで、君たち全員を飛び立たせることに、病的なナポレオン的満足を得ているのではないか」と。
こうした疑問は、通常科学に特殊なものだと考えられている――しかし、それは、予言者よりも科学者のほうが現在では我々を新たな意味に向けようとしているからに過ぎない。科学者と予言者とは互いに違うことを知っているかもしれないが、それはここでの問題ではない。我々の敬虔さの定義によれば、科学の福音主義的な側面には、いかなる宗教の初期にもあらわれる福音主義と多くの類似性をもっていることを示すだけで十分である。
科学でも宗教的教えでも、預言や予知に大きな重要性が与えられている。どちらの領域でも、予知の重要な側面とは新たな定位、意味体系の修正、世界をどう構成するかについての概念の変更を必要とする。どちらの場合も、もし我々が新たな意味に従って行動を変えれば(古い手段を捨て、いま言い換えられた問題に対するよりよい解決のための新たな手段を選択する)、我々は自分自身そして集団をよき生へと近づけることになろう。そして、キリスト教の福音主義が(ロゴスやキリスト教の教えという形で)今日の科学を特徴づけるような主知的な疑問から出発したことを示すものもある。キリスト教から生じた公的哲学は高度に懐疑的であった。
子供の言語習慣についての研究で、ピアジェは、子供たちは口論の末、論理的証明によって信念の社会化を次第に学ぶことを観察した。最初は、「お前がした――僕はしてない」といった単純な対立を主張し合うに過ぎない。しかし、次第に、自分の主張をどう「根拠づける」かを学んでいく。この点から見ると、説得力というのは、強制の成熟した形である。かくして、軍事的或は戦いの要素、そしてそれを質的に異なるなにかに作りなおそうとする試みは、通常進歩的哲学によっては無視されるが、文明の根底にあるものである。
こうした考察によると、用語の相異こそあれ、福音主義と教育或はプロパガンダの背後には、同じ誘因が見て取れる。他人に同意を生みだすことによって、自分の立場を社会化する試みの根にあるのはなんだろうか。ある人間が自分の属する集団の承認を得ようと多大な骨折りをするのは、彼が承認を必要としている証拠ではないだろうか。そうした必要は、他人が彼を認めてくれるよう誘い込むことができないなら、苦しみを受けるという意味で、罪と密接に関連していないだろうか。リチャード・ロスチャイルドは『現実と幻影』で「『魂についての恐れ』という宗教的観念は、人間の思考のあらゆる領域に行きわたっているかもしれない」と書いているが、「人間の行動のあらゆる領域」とつけ加えることもできただろう。今日の啓蒙化されたイデオロギーにおいていかに認められることが少ないとしても、いかなる形であれ労苦の道徳性を認めることには、いまだ労働による正当化が働いている。というのも、あらゆる努力は本質的に防御的であり、防衛の構造をもっており、いかに我々の防御に関する概念が昇華されようがそうなのである。
福音伝道にある不敬虔の要因
このように考えると、過去の定位を再構築する試みは、不敬虔の側面をもつことになろう。というのも、敬虔さの定義によってまず認められるのが、ガス工場の労働者が彼らなりの敬虔さをもっているということなら、逆に、新しい宗教には敬虔さとともに何かしら不敬虔さが存在していると認めざるを得ない。福音主義者は我々の定位を変えるように要求する。彼は我々に新たな意味を与えようとする。その群れに忠実なものもいれば、不敬虔なメンバー(「科学者」ででもあろうか)もいてこう尋ねるかもしれない。「この鳥は臆病すぎないか。愚かにも、君たちを狩る人間の姿を指して怖がらせようとしているが、実際のところあの男は、オードゥボン鳥類保護教会の者ではないか。或は、この気まぐれな鳥は君たちの集団には似つかわしくない歪んだ動機によって動かされていて、自分の羽ばたきで鳥なりの流儀で「狼だ」と叫んで、君たち全員を飛び立たせることに、病的なナポレオン的満足を得ているのではないか」と。
こうした疑問は、通常科学に特殊なものだと考えられている――しかし、それは、予言者よりも科学者のほうが現在では我々を新たな意味に向けようとしているからに過ぎない。科学者と予言者とは互いに違うことを知っているかもしれないが、それはここでの問題ではない。我々の敬虔さの定義によれば、科学の福音主義的な側面には、いかなる宗教の初期にもあらわれる福音主義と多くの類似性をもっていることを示すだけで十分である。
科学でも宗教的教えでも、預言や予知に大きな重要性が与えられている。どちらの領域でも、予知の重要な側面とは新たな定位、意味体系の修正、世界をどう構成するかについての概念の変更を必要とする。どちらの場合も、もし我々が新たな意味に従って行動を変えれば(古い手段を捨て、いま言い換えられた問題に対するよりよい解決のための新たな手段を選択する)、我々は自分自身そして集団をよき生へと近づけることになろう。そして、キリスト教の福音主義が(ロゴスやキリスト教の教えという形で)今日の科学を特徴づけるような主知的な疑問から出発したことを示すものもある。キリスト教から生じた公的哲学は高度に懐疑的であった。
子供の言語習慣についての研究で、ピアジェは、子供たちは口論の末、論理的証明によって信念の社会化を次第に学ぶことを観察した。最初は、「お前がした――僕はしてない」といった単純な対立を主張し合うに過ぎない。しかし、次第に、自分の主張をどう「根拠づける」かを学んでいく。この点から見ると、説得力というのは、強制の成熟した形である。かくして、軍事的或は戦いの要素、そしてそれを質的に異なるなにかに作りなおそうとする試みは、通常進歩的哲学によっては無視されるが、文明の根底にあるものである。
こうした考察によると、用語の相異こそあれ、福音主義と教育或はプロパガンダの背後には、同じ誘因が見て取れる。他人に同意を生みだすことによって、自分の立場を社会化する試みの根にあるのはなんだろうか。ある人間が自分の属する集団の承認を得ようと多大な骨折りをするのは、彼が承認を必要としている証拠ではないだろうか。そうした必要は、他人が彼を認めてくれるよう誘い込むことができないなら、苦しみを受けるという意味で、罪と密接に関連していないだろうか。リチャード・ロスチャイルドは『現実と幻影』で「『魂についての恐れ』という宗教的観念は、人間の思考のあらゆる領域に行きわたっているかもしれない」と書いているが、「人間の行動のあらゆる領域」とつけ加えることもできただろう。今日の啓蒙化されたイデオロギーにおいていかに認められることが少ないとしても、いかなる形であれ労苦の道徳性を認めることには、いまだ労働による正当化が働いている。というのも、あらゆる努力は本質的に防御的であり、防衛の構造をもっており、いかに我々の防御に関する概念が昇華されようがそうなのである。
2015年1月22日木曜日
ブラッドリー『論理学』111
§6.我々が後に(§16)非Bを独立した述語として用いるときにも更なる反対が起るだろう。しかし、ここではもう一つの誤りの基盤となっているものを明らかにせねばならない。否定は「繋辞にだけ影響を及ぼす」と言われる。最初にそれがなにを意味するのか尋ねる必要がある。それが言った通りのことなら、繋辞が欠けていることもあるので、これをすぐに退けることができる。肯定的に「狼だ」と言うときにも繋辞は存在しないし、否定的に「狼じゃない」と言うときにも繋辞はない。しかし、それが意味するのが、否定と肯定とがあるレベルにある判断の二つの種類だというなら、その発言を修正する必要がある。こうした二つの異なった種類の判断が存在することはまったく正しい。肯定判断は主語を性質づけ、否定判断は同じ性質を排することで主語を性質づける。かくして我々は二種類の肯定的関係を得る。しかし、それを同じレベルに置くとき、間違いが生じる。否定の条件として既に総合を仮定していなければならないというのが正しいだけでなく、加えてもう一つの反対意見がある。否定の真理というのは最終的にはある性質の肯定にあると見ることができる。それゆえ、肯定と否定は同じレベルに立つことはできないのである。「AはBではない」における真の事実とはAに属し、Bとは両立できない性質xである。否定の基礎にあるのは、実際には、(x)を排除するある性質の肯定である。それは、既に我々が見たように、単なる排除の性質(非B)の肯定ではない。
2015年1月21日水曜日
幸田露伴『評釈冬の日』しぐれの巻26
襟に高雄が片袖を解く 芭蕉
高雄は名高い遊女であるが、ここではその名を借りて、優雅艶麗、盛名豪気の遊女という意味に用いられるものであり、何代目かの高雄にこうしたことがあるなどといえば、愚か者の前で夢を語ることもできないだろう。
襟は衣服の襟であり、転じては項をもいう。「襟に片袖を解く」とは、襟巻きをつくるのに衣を解いて用いるという意味である。前句を雪に浮かれて唐渡りの笠などをしてきた風流で、意気軒昂の人と見て、高楼の屏風をどかし簾を掲げて冴え冴えとした四方の雪を賞し、酒を汲むにあたり、名妓の衣を解いて襟巻きとする豪華至極のありさまをあらわしている。
前には津波を出して仏を食った魚に驚かされ、いまはまた唐物の笠を衒って高雄の袖で切り返される、荷兮もきっと及ばざることを歎いただろう。元来荷兮は才能はあるが、心が高ぶりたるものと思え、後には芭蕉にはしばらく背いたほどなので、その句も面白いものが多い代わりに後がつけにくいものが多い。『冬の日』の作者中では、荷兮とくつわを並べ先を争って、しかも筋のいいのは野水であり、野水の句もまた後につけにくいのが多い。ゆえに、集中で、芭蕉の付け句を得たのは二人がもっとも多く、他のものは付け悩んだのだろう。
芭蕉の付け句を得たのは、野水は十二、荷兮は十一、重五は三、杜國は四、それからみても、重五矢杜國の句は安らかで誰にでもつけやすく、野水や荷兮の句はけわしく勇者でもよじ登りがたいものがあるために、自ずから芭蕉の補う手腕を要するものが多かったことが推察できる。特に荷兮は演劇めいた情景、物々しい句づくりを喜ぶくせがあり、「巾に木槿をはさむ琵琶打」、「櫛箱に餅すゆる閨ほのかなる」、「夏深き山橘に桜見む」などという句、みな付けにくい句で、なかでも、「巾に木槿」、「此の呉の国の笠」にいたっては、一座の者が困ったことだろう。こうした句も強いて付けようとすれば付けられないことはないが、おおざっぱに付ければ逃げ句となり、単なる情景の句となって、一句としてなりたつ詩趣がない前句の奴婢のような句となるために付けにくい。だが、蜀の道の険があってはじめて鄧艾は功績をあげ、宇治の流れがあってはじめて佐々木梶原も勇名を輝かしたわけであり、難句の後に力量のあるものが付けるときは却って佳句や奇句があらわれることが多い。櫛箱の句の後に、「鶯起きよ紙燭とぼして」の句、「呉の国の笠」の後に「高雄の片袖」の句のように、一座の興も却ってここで盛んになっているのが見られる。
高雄は名高い遊女であるが、ここではその名を借りて、優雅艶麗、盛名豪気の遊女という意味に用いられるものであり、何代目かの高雄にこうしたことがあるなどといえば、愚か者の前で夢を語ることもできないだろう。
襟は衣服の襟であり、転じては項をもいう。「襟に片袖を解く」とは、襟巻きをつくるのに衣を解いて用いるという意味である。前句を雪に浮かれて唐渡りの笠などをしてきた風流で、意気軒昂の人と見て、高楼の屏風をどかし簾を掲げて冴え冴えとした四方の雪を賞し、酒を汲むにあたり、名妓の衣を解いて襟巻きとする豪華至極のありさまをあらわしている。
前には津波を出して仏を食った魚に驚かされ、いまはまた唐物の笠を衒って高雄の袖で切り返される、荷兮もきっと及ばざることを歎いただろう。元来荷兮は才能はあるが、心が高ぶりたるものと思え、後には芭蕉にはしばらく背いたほどなので、その句も面白いものが多い代わりに後がつけにくいものが多い。『冬の日』の作者中では、荷兮とくつわを並べ先を争って、しかも筋のいいのは野水であり、野水の句もまた後につけにくいのが多い。ゆえに、集中で、芭蕉の付け句を得たのは二人がもっとも多く、他のものは付け悩んだのだろう。
芭蕉の付け句を得たのは、野水は十二、荷兮は十一、重五は三、杜國は四、それからみても、重五矢杜國の句は安らかで誰にでもつけやすく、野水や荷兮の句はけわしく勇者でもよじ登りがたいものがあるために、自ずから芭蕉の補う手腕を要するものが多かったことが推察できる。特に荷兮は演劇めいた情景、物々しい句づくりを喜ぶくせがあり、「巾に木槿をはさむ琵琶打」、「櫛箱に餅すゆる閨ほのかなる」、「夏深き山橘に桜見む」などという句、みな付けにくい句で、なかでも、「巾に木槿」、「此の呉の国の笠」にいたっては、一座の者が困ったことだろう。こうした句も強いて付けようとすれば付けられないことはないが、おおざっぱに付ければ逃げ句となり、単なる情景の句となって、一句としてなりたつ詩趣がない前句の奴婢のような句となるために付けにくい。だが、蜀の道の険があってはじめて鄧艾は功績をあげ、宇治の流れがあってはじめて佐々木梶原も勇名を輝かしたわけであり、難句の後に力量のあるものが付けるときは却って佳句や奇句があらわれることが多い。櫛箱の句の後に、「鶯起きよ紙燭とぼして」の句、「呉の国の笠」の後に「高雄の片袖」の句のように、一座の興も却ってここで盛んになっているのが見られる。
2015年1月20日火曜日
2015年1月19日月曜日
ケネス・バーク『恒久性と変化』24
システム構築としての敬虔さ
更に、敬虔さはシステム構築でもあり、物事を完成させようとする欲望、経験を統一した全体に適合させようとすることでもある。敬虔さは、なにとなにが共にあるのが正しいのかについての感覚である。そしてそれは次のようなやり方で組織化される。祭壇があるとき、敬虔な人間は清潔な手でその祭壇に近づき、なんらかの儀式を行なう。ある種の象徴的な清潔さが祭壇にはあり、象徴的な清潔さを得るための技術が清潔さには伴い、準備や通過儀礼が洗い清めることには伴い、洗い清める必要はタブーの感覚に基づいている――等々と続き、敬虔さによる連合が日々の意味深い細部を結び合わせ、複雑な解釈のネットワークによる全体的統一へと関連づける。
敬虔さが、適正についての感覚を体現するものであるとしても、敬虔さには一概にそうとは言えない別の側面があるに違いない。愛の敬虔さ以外にも(貴婦人に対して鳥や花となる――或は、名誉や現在を楽しめというテーマから若い女性の美という観念を引きだすエリザベス朝人の機敏さ)、それほど敬虔ではない芸術の適正さが存在するだろう。三文芝居の悪党は巻き舌で話す。交響曲の英雄的瞬間には金管楽器が鳴り響く。夜のことを書く詩人は、夜特有の思いつきと、夜にまつわる様々なこと、パリの部屋にいるのなら、外に聞こえる通りを掃く物寂しい音などの要素を一緒くたにする。
私はこの敬虔さという概念を、我々の生活のあらゆる側面にあらわれる反応として確立しようとしているが、我々には完全に宗教が欠け、しかも「敬虔に至る過程」が教会に限定されると考えているために、敬虔さは我々から隠されていると言える。ベンサムは、詩(貧弱な種類の詩)が我々の話すことのうちに含まれていることを発見した。というのも、我々の言葉は、奥底にある感情の井戸からくみ出すことによって我々や聞き手に影響を与えるからである。我々はローマ時代の雄弁家の修辞的技巧を用いることなしに母国語を話すことはできない。そして、ベンサムは、科学の中立的な語彙に、会話から無意識の敬虔さを除去する試みを見た。(それに続けて、この中立的な語彙に対する欲望は、本質的で広い範囲にわたる去勢シンボルによる贖罪と解釈されるものであり、かくも貪欲に中立的な観念を公式化した偏屈な老独身者、その後継者たちよりもずっとメシア的な気質が認められるベンサムの場合には、特にそう考えられはしないかと自問することはなかった。)つまり、我々がみな詩人であり、すべての詩人が敬虔なら、我々は敬虔を、非常に大きな範囲において、野球の試合にさえ見いだすことができよう。実際、紙に書く者もいれば、喉を振り絞る者もいるが、生のすべてが詩を書くことに似ている。
私は敬虔さをなにとなにが伴うかについての感覚だと言ったとき、不条理な還元への道を開いてしまった。鳥の一群がいて、そのうちの一羽が正しいにせよ間違っているにせよ、飛ぶことを怖がったとしよう。残りの鳥たちにも恐れが生じた。別の言葉で言えば、集団の飛翔は一羽の飛翔にかかっている。我々の定義によれば、この集団の従順さは敬虔と言えるだろう。
敬虔さは、経験を一つにまとめることを含むので、定位の枠組みである。定位は正しいことも間違っていることもあり得る。正しい導きになることも間違った導きになることもあり得る。ある鳥が実際に危険を見たなら、集団がそれに反応することは正しい。危険が実在しないなら、集団は間違っている。どちらの場合にも、敬虔さは存在する。
更に用法を拡大しよう。長い間不幸で、不幸を抱えて孤独に生活している者がおり(死ぬために群れを離れる傷を負った動物のように)、毎日ある時間に隣から聞こえてくるドアベルの音をうるさく感じたとすると、自分の苦悩とドアベルとを結びつけて考えるようになるかもしれない。自分の悲惨さとこの癇にさわる音とを結びつけることとなる――数年の後、悲惨さから立ち直り、再び気丈さを取り戻したある日、隣から聞こえてくるあの特有のベルの音を聞いて、言いようのない重苦しさがのしかかってくることがあるかもしれない。この結合において、手に負えない充当はまさに「プルースト的な」ものであり、彼は敬虔さに関わっていることになる。それは狂気と混じり合った、気分における敬虔さである。
さて、これで限界にまで行く準備ができた。マシュー・アーノルド流の洗練された批評家が、繊細な趣味というのは「上流」階級に限られたものであり、彼らの名前は決して「ug」で終らないと仮定したとしよう。だが、このマシュー・アーノルドがガス工場の労働者めいたかっこうで街にたむろしていると想定すると、我々は彼が自分をうまく差別化できていないことを即座に理解する。彼に関するあらゆること、彼が言ったこともその言い方も不適切である。ありのままの彼を、その悪罵や、通りすがりの女性の品定めや、唾を吐く作法について見てみよう。この下品さのうちにこそ、道徳性が、彼が乱暴にも断ち切った仲間との深い感情的結びつきと、適切さの感覚に従う敬虔さがあらわれていないだろうか。なにに対して本気なのか、ガス工場のマシュー・アーノルドが日々いかなるときも、同じ集団の一員として何に献身しているか観察しよう。不作法な言動も敬虔さのあらわれである。
こうした考察は、法律の専門家やソーシャルワーカーが、腐敗、堕落、不統合などと見なす事柄について再解釈するよう我々を強いる。もしもある犯罪者が、犯罪性を自分の性格の一部をなすものだとし、他のあらゆる特徴や習慣に自分の犯罪性が伴っていると敬虔さをもって感じたとしたら、別の視点に立つ道徳家が彼のうちに発見する犯罪による堕落は、敬虔さの検証に関してまったく正反対の方向を示すことになる。犯罪者の意見は適切さに関する実直な感覚に導かれた統合であり、我々の個人的な判断の立場を捨てれば、大いに良心を示しているようにも思われる。
同様に、病院で薬と呼ばれていれば、「麻薬常習者」はなんら評判を傷つけることなくモルヒネを手に入れることができる。しかし、いかがわしい遊蕩のパーティーで注射するなら、彼の性格は次第にその顕著な「祭壇」を中心に形成されていくだろう――そして、この場合、その祭壇は一般的に不浄だとされているから、それに見合った不浄な手で向かわねばならず、最終的に落伍者となるのである。我々の学生時代には、常に健全な成長の例であったホームズのオウムガイのように、次々に貝殻を大きくし、規範から外れた完全なる邪悪さを完成させる。彼は自分に対する社会の扱い方と一体化し、彼の所謂堕落は、キーツの詩でと同じように、その周到さと機敏な選択でしるしづけられたものとなる。
もちろん、ここには更なる要素、相互関係の問題が含まれている。ある種の選択はそれ自体創造的である。それらは型にはまり、その型が今度は敬虔さを補強することになる。例えば、一度崖を飛び越えられた者は、その出来事を大事にし、崖を飛び越えたことのある者として性格を維持し、強化し続けることで自信を保つことができる。言い換えると、犯罪やドラッグに関与した者が、違反によってもたらされた危険や苦痛で自信をなくすなら、彼は更正への強い誘因を感じていることになる。犯罪や麻薬中毒という祭壇はあまりにも苛酷であり、自分の性格を特徴づける原理としては、より面倒の少ない祭壇との結びつきを望むのである。
だが、彼は既に、他の人間が同じ方向へ進むのを助けてしまうほどの場所に来ているかもしれない。具体的な外的関係が既に確立し、自分のつくりあげた詩の織物のなかで催眠にかかったかのようにからみ取られている。もはや引き返すことはできない――そこで、違法行為に従事する自分の性格を中断してくれるような些細な失敗を用意しておくことになる。弱気と疑いが生じ、自らを持するのに確信が足りないようなときには、自分のつくりだした修道院の壁のなかで規律に従うこととなる(つまり、彼の経験がまとった型に閉じ籠もる)。
更に、敬虔さはシステム構築でもあり、物事を完成させようとする欲望、経験を統一した全体に適合させようとすることでもある。敬虔さは、なにとなにが共にあるのが正しいのかについての感覚である。そしてそれは次のようなやり方で組織化される。祭壇があるとき、敬虔な人間は清潔な手でその祭壇に近づき、なんらかの儀式を行なう。ある種の象徴的な清潔さが祭壇にはあり、象徴的な清潔さを得るための技術が清潔さには伴い、準備や通過儀礼が洗い清めることには伴い、洗い清める必要はタブーの感覚に基づいている――等々と続き、敬虔さによる連合が日々の意味深い細部を結び合わせ、複雑な解釈のネットワークによる全体的統一へと関連づける。
敬虔さが、適正についての感覚を体現するものであるとしても、敬虔さには一概にそうとは言えない別の側面があるに違いない。愛の敬虔さ以外にも(貴婦人に対して鳥や花となる――或は、名誉や現在を楽しめというテーマから若い女性の美という観念を引きだすエリザベス朝人の機敏さ)、それほど敬虔ではない芸術の適正さが存在するだろう。三文芝居の悪党は巻き舌で話す。交響曲の英雄的瞬間には金管楽器が鳴り響く。夜のことを書く詩人は、夜特有の思いつきと、夜にまつわる様々なこと、パリの部屋にいるのなら、外に聞こえる通りを掃く物寂しい音などの要素を一緒くたにする。
私はこの敬虔さという概念を、我々の生活のあらゆる側面にあらわれる反応として確立しようとしているが、我々には完全に宗教が欠け、しかも「敬虔に至る過程」が教会に限定されると考えているために、敬虔さは我々から隠されていると言える。ベンサムは、詩(貧弱な種類の詩)が我々の話すことのうちに含まれていることを発見した。というのも、我々の言葉は、奥底にある感情の井戸からくみ出すことによって我々や聞き手に影響を与えるからである。我々はローマ時代の雄弁家の修辞的技巧を用いることなしに母国語を話すことはできない。そして、ベンサムは、科学の中立的な語彙に、会話から無意識の敬虔さを除去する試みを見た。(それに続けて、この中立的な語彙に対する欲望は、本質的で広い範囲にわたる去勢シンボルによる贖罪と解釈されるものであり、かくも貪欲に中立的な観念を公式化した偏屈な老独身者、その後継者たちよりもずっとメシア的な気質が認められるベンサムの場合には、特にそう考えられはしないかと自問することはなかった。)つまり、我々がみな詩人であり、すべての詩人が敬虔なら、我々は敬虔を、非常に大きな範囲において、野球の試合にさえ見いだすことができよう。実際、紙に書く者もいれば、喉を振り絞る者もいるが、生のすべてが詩を書くことに似ている。
私は敬虔さをなにとなにが伴うかについての感覚だと言ったとき、不条理な還元への道を開いてしまった。鳥の一群がいて、そのうちの一羽が正しいにせよ間違っているにせよ、飛ぶことを怖がったとしよう。残りの鳥たちにも恐れが生じた。別の言葉で言えば、集団の飛翔は一羽の飛翔にかかっている。我々の定義によれば、この集団の従順さは敬虔と言えるだろう。
敬虔さは、経験を一つにまとめることを含むので、定位の枠組みである。定位は正しいことも間違っていることもあり得る。正しい導きになることも間違った導きになることもあり得る。ある鳥が実際に危険を見たなら、集団がそれに反応することは正しい。危険が実在しないなら、集団は間違っている。どちらの場合にも、敬虔さは存在する。
更に用法を拡大しよう。長い間不幸で、不幸を抱えて孤独に生活している者がおり(死ぬために群れを離れる傷を負った動物のように)、毎日ある時間に隣から聞こえてくるドアベルの音をうるさく感じたとすると、自分の苦悩とドアベルとを結びつけて考えるようになるかもしれない。自分の悲惨さとこの癇にさわる音とを結びつけることとなる――数年の後、悲惨さから立ち直り、再び気丈さを取り戻したある日、隣から聞こえてくるあの特有のベルの音を聞いて、言いようのない重苦しさがのしかかってくることがあるかもしれない。この結合において、手に負えない充当はまさに「プルースト的な」ものであり、彼は敬虔さに関わっていることになる。それは狂気と混じり合った、気分における敬虔さである。
さて、これで限界にまで行く準備ができた。マシュー・アーノルド流の洗練された批評家が、繊細な趣味というのは「上流」階級に限られたものであり、彼らの名前は決して「ug」で終らないと仮定したとしよう。だが、このマシュー・アーノルドがガス工場の労働者めいたかっこうで街にたむろしていると想定すると、我々は彼が自分をうまく差別化できていないことを即座に理解する。彼に関するあらゆること、彼が言ったこともその言い方も不適切である。ありのままの彼を、その悪罵や、通りすがりの女性の品定めや、唾を吐く作法について見てみよう。この下品さのうちにこそ、道徳性が、彼が乱暴にも断ち切った仲間との深い感情的結びつきと、適切さの感覚に従う敬虔さがあらわれていないだろうか。なにに対して本気なのか、ガス工場のマシュー・アーノルドが日々いかなるときも、同じ集団の一員として何に献身しているか観察しよう。不作法な言動も敬虔さのあらわれである。
こうした考察は、法律の専門家やソーシャルワーカーが、腐敗、堕落、不統合などと見なす事柄について再解釈するよう我々を強いる。もしもある犯罪者が、犯罪性を自分の性格の一部をなすものだとし、他のあらゆる特徴や習慣に自分の犯罪性が伴っていると敬虔さをもって感じたとしたら、別の視点に立つ道徳家が彼のうちに発見する犯罪による堕落は、敬虔さの検証に関してまったく正反対の方向を示すことになる。犯罪者の意見は適切さに関する実直な感覚に導かれた統合であり、我々の個人的な判断の立場を捨てれば、大いに良心を示しているようにも思われる。
同様に、病院で薬と呼ばれていれば、「麻薬常習者」はなんら評判を傷つけることなくモルヒネを手に入れることができる。しかし、いかがわしい遊蕩のパーティーで注射するなら、彼の性格は次第にその顕著な「祭壇」を中心に形成されていくだろう――そして、この場合、その祭壇は一般的に不浄だとされているから、それに見合った不浄な手で向かわねばならず、最終的に落伍者となるのである。我々の学生時代には、常に健全な成長の例であったホームズのオウムガイのように、次々に貝殻を大きくし、規範から外れた完全なる邪悪さを完成させる。彼は自分に対する社会の扱い方と一体化し、彼の所謂堕落は、キーツの詩でと同じように、その周到さと機敏な選択でしるしづけられたものとなる。
もちろん、ここには更なる要素、相互関係の問題が含まれている。ある種の選択はそれ自体創造的である。それらは型にはまり、その型が今度は敬虔さを補強することになる。例えば、一度崖を飛び越えられた者は、その出来事を大事にし、崖を飛び越えたことのある者として性格を維持し、強化し続けることで自信を保つことができる。言い換えると、犯罪やドラッグに関与した者が、違反によってもたらされた危険や苦痛で自信をなくすなら、彼は更正への強い誘因を感じていることになる。犯罪や麻薬中毒という祭壇はあまりにも苛酷であり、自分の性格を特徴づける原理としては、より面倒の少ない祭壇との結びつきを望むのである。
だが、彼は既に、他の人間が同じ方向へ進むのを助けてしまうほどの場所に来ているかもしれない。具体的な外的関係が既に確立し、自分のつくりあげた詩の織物のなかで催眠にかかったかのようにからみ取られている。もはや引き返すことはできない――そこで、違法行為に従事する自分の性格を中断してくれるような些細な失敗を用意しておくことになる。弱気と疑いが生じ、自らを持するのに確信が足りないようなときには、自分のつくりだした修道院の壁のなかで規律に従うこととなる(つまり、彼の経験がまとった型に閉じ籠もる)。
2015年1月18日日曜日
ブラッドリー『論理学』110
§5.このことからそれに対応した間違いに移ることができる。肯定判断が否定において前提とされているというのが間違いなら、述語だけが影響を受けるのだから、否定そのものは一種の肯定であるとするのも同じように間違いであろう。後でこの教義にある真理を見ることになるが、ここで仮定されているような形では我々には受け入れることができない。ある種の性質をもつ事実によって排除を行なうことは特殊な表現を要求する過程である。そして、「AはBではない」を「Aは非Bである」に置き換えることで問題を単純化するように求められても、明らかな難点を見いだすだけである。Aが非Bを受け入れることを知るためには、AがBを排除することをあらかじめ学んでいなければならないのではないか。もしそうなら、我々は最初に否定することによって否定を肯定に還元し、それから否定していることを肯定することになる。この過程が適正であることは間違いないが、還元や単純化とはとても言えないだろう。
2015年1月17日土曜日
幸田露伴『評釈冬の日』しぐれの巻25
雪の狂呉の国の笠めづらしき 荷兮
東坡の面影と解するのは間違いである。『語林』には、「王子猷は山陰にいた、大に雪が降り、夜目覚めた、部屋を開け酒を汲む、四方は白く光っている、それゆえ立って歩きまわり、左思の招陰の詩を詠じ、載安道のことを思った、そのとき載は剡渓にいたので、夜軽船に乗って載のところに行こうとした、宿に泊まって家に着いたが、門の所まで来て、そのままかえってしまった、人がその理由を聞くと、王が言うには、自分は興に乗じてここまできたが、興が尽きたのでここで帰る、どうして載に会うことがあろうか、と。」とある。このことは風流で、おもむきが深いので、詩に詠じられ、絵に描かれ、雪には先ずあげられる典故となり、後には剡渓を載谿とさえ呼ぶようになった。
山陰、剡渓はともに呉にある。雪の狂、呉の笠というのはこのことから解くべきである。東坡の面影などというのは、この故事を無視した妄想による解釈である。さて、前句とのかかりは、この故事を踏まえて、寒い晦日に刀を売る痩せ浪人のもとへ、風流な旧友が、この大雪にどのように暮しているだろうと、訪載の古談そのまま、簑笠に紛々と降る雪をしのいで、竹の網戸に立ち寄ったさまを、「呉の国の笠めづらしき」とつくった。
もとの文章では門で帰ってしまうが、これは旧案を翻して、日陰の友を雪に乗じて訪れたとしているが、これが誹諧であり、主人は肩寒く、客は心暖かく、主人の衣の膝頭がやつれ、客の刀の鏢が簑の端に見えるように思われて面白い。刀を酒に変えて饗応する、という旧解は行きすぎである。どちらかといえば、酒肴はむしろ、「呉の国の笠」をしたとつくられた客の方こそ、僕にもたせてきたとするべきだろう。また、互いに乱を避けた賢者などと解するのも余計なことである。いつもの荷兮の演劇めいた趣向を、物々しく句づくりしただけであるが、「めづらしき」という下五文字は、実によく働いていて、何年ぶりかであう様子が見え、鍼灸師の一針で気血を動かす妙がある。
東坡の面影と解するのは間違いである。『語林』には、「王子猷は山陰にいた、大に雪が降り、夜目覚めた、部屋を開け酒を汲む、四方は白く光っている、それゆえ立って歩きまわり、左思の招陰の詩を詠じ、載安道のことを思った、そのとき載は剡渓にいたので、夜軽船に乗って載のところに行こうとした、宿に泊まって家に着いたが、門の所まで来て、そのままかえってしまった、人がその理由を聞くと、王が言うには、自分は興に乗じてここまできたが、興が尽きたのでここで帰る、どうして載に会うことがあろうか、と。」とある。このことは風流で、おもむきが深いので、詩に詠じられ、絵に描かれ、雪には先ずあげられる典故となり、後には剡渓を載谿とさえ呼ぶようになった。
山陰、剡渓はともに呉にある。雪の狂、呉の笠というのはこのことから解くべきである。東坡の面影などというのは、この故事を無視した妄想による解釈である。さて、前句とのかかりは、この故事を踏まえて、寒い晦日に刀を売る痩せ浪人のもとへ、風流な旧友が、この大雪にどのように暮しているだろうと、訪載の古談そのまま、簑笠に紛々と降る雪をしのいで、竹の網戸に立ち寄ったさまを、「呉の国の笠めづらしき」とつくった。
もとの文章では門で帰ってしまうが、これは旧案を翻して、日陰の友を雪に乗じて訪れたとしているが、これが誹諧であり、主人は肩寒く、客は心暖かく、主人の衣の膝頭がやつれ、客の刀の鏢が簑の端に見えるように思われて面白い。刀を酒に変えて饗応する、という旧解は行きすぎである。どちらかといえば、酒肴はむしろ、「呉の国の笠」をしたとつくられた客の方こそ、僕にもたせてきたとするべきだろう。また、互いに乱を避けた賢者などと解するのも余計なことである。いつもの荷兮の演劇めいた趣向を、物々しく句づくりしただけであるが、「めづらしき」という下五文字は、実によく働いていて、何年ぶりかであう様子が見え、鍼灸師の一針で気血を動かす妙がある。
2015年1月16日金曜日
ケネス・バーク『恒久性と変化』23
第一章 敬虔の有効範囲
魔術的意味と功利的意味
敬虔の問題に行き当たらずに、芸術の分野において意味の問題を十分に論じることはできない。サンタヤナは、どこかで、敬虔を存在の源への忠誠と定義している。こうした考え方は、敬虔が厳密に宗教的な領域に限られないことを示唆するだろう。陶工が粘土を自分の感覚通りに、あるべき形に完全に満足できるように形づくったときにもあらわれるものだろう。子供時代に我々の最初の判断パターンが発達し、成長してからの経験はその子供時代のパターンの修正であり敷衍であるから、敬虔と子供時代との関係は明らかであると思える。例えば、成人はその考えを父親から父親である政府に転じる。だが、後半生にいたっても、斧をもって大きな木を倒すようなとき、庇護してくれる気高い象徴が打ち倒されたかのような奇妙な心許なさを感じたとしても驚くにはあたらない。というのも、その行為がいかに中立的なものであり、木は暖を取るという単純な功利的な必要のために切り倒されたのだとしても、そこにはある種の象徴的な父親殺しが潜んでいるかもしれないからである。暖を取るための木ばかりでなく、親の象徴が粉々にされたのかもしれない。
現代社会での詩人たちの多大な不安は、純粋に功利的な行動の哲学が我々に要求する数多くの象徴的不法行為のせいである可能性もある。功利的な行為が比較的少なく、集団全体のための行為が普通であった原始時代では、特定の贖罪の儀式がそうした象徴的な不法行為を帳消しにするように思われた。魔術的な定位においては(詩と密接に関連しているが)、もし木を切り倒すことが象徴的な父親殺しの意味合いをもつなら、集団は恐らくそれに対応するような象徴的な贖罪の儀式を発達させるだろう。違反者は、かくして、自分が犯した罪を洗い清める技術を持つことになろう。
しかしながら、こうした行為に対する純粋に功利的な姿勢は、ことのほか不敬虔なしるしを導き入れることになる。まったく象徴的含みの働かないような意味は可能ではない。木が倒れ、奇妙な居心地の悪さを感じたなら、その妙な良心の呵責を断ち切って、気短に「ナンセンス!ただの木じゃないか、必要だったんだ、他にもまだ沢山あるじゃないか」と自ら言い聞かせることになるに違いない。行為の非功利的な性質は切り捨てられ――行為は「新たな人間」としてなされねばならない――巨大な樫の木が倒れたとき、詩人だけが当惑し悲しみを感じ、単に薪を得るだけではないより深い問題がここには存在するのだと感じることが許される。(現代の「懐疑的な」傾向を考えると、「木こり、この木を助ける者・・・」と、想像力豊かにそのスタイルを森に響く斧の音と定義する現代詩人の見解とがよい対照となるかもしれない。)
こうした考察はしばしば美学にも認められ、芸術と実践との直接的な対立を強調する傾向の根本にあるものかもしれない。というのも、もし我々の考察が正しいなら、純粋に功利的な姿勢は、真面目な詩人が断固として自分を表現しようとする象徴的な含みを抑圧することによってのみ取れるからである。そして、なぜその本質において深く詩人的であるニーチェのような作家において、純粋に合理主義的で功利主義的な理想が、異なった種族、激しく残酷な行為を取る超人を必要としたのかを理解させてくれる。
合理的で、科学的なカテゴリーが情的なカテゴリーと衝突する例として、ライオンの分類があろう。もし、ごく普通の精神分析的な象徴化の理論が正しいなら、ライオンは一際優れた男性或は父親の象徴である。だがライオンは科学的には猫の仲間であり、猫は情的には女性的なものである。偉大な詩や一般的な用法において、それは女性的な属性と結びついている。合理的なカテゴリーは、情的なカテゴリーとまったく行き違う連想をもっているわけである。情的に妥当な連携は合理的には不適切である。
合理的な象徴の秩序が情的な象徴の秩序とまったく異質な不調和を形成するこうした場合、激しい葛藤が生じ、合理的なカテゴリーに達しようとする徹底的な試みの後にも不安や居心地の悪さが残ることもあり得るのではないか。ダーウィンの激しい眩暈はまさしくこうした葛藤の証拠ではないだろうか。というのも、ダーウィンは情的なカテゴリーにおいて形成されたカテゴリーとは矛盾する合理的カテゴリーを打ち立てた最上の例だからである。感情的な結びつきとは異質な移動が生物学的分類の全域にわたって行なわれたが、一般の反発を見ればわかるように、彼が人間を神のカテゴリーから猿のカテゴリーへの移したことはその最も明白な例である。彼の結論を最初に聞いたとき、気絶した女性たちがいたとさえ記録されている(恐らく、自分たちは猿と寝ているのだという当惑の感情のせいもあろうが)。私自身に関して言えば、子供時代、純粋かつ単純に最も大きな犬だと思っていたライオンが猫の仲間だと学んだときの大きな憤りを忘れることはないだろう。
合理的な分類が全盛となったまさしくその時期に、詩において激しく突発的に、純粋に非合理的な象徴主義の連想があらわれたことは驚くにあたらない。その論理を経験に根づかせる詩人たちが、完全に合理的な考察の産物である正反対の論理に直面したとき、その当惑は相当のものだった。肥料会社の人間は、死んだ犬に対して、その犬をペットとして飼っていた子供とはまったく異なった態度を取る。化学反応のことしか気にしない功利的な連想とは対照的に、子供の連想は詩的、或は魔術的と呼べるだろう。
切り倒した木が薪であると同時に親の象徴であるようなとき、贖罪の必要を十分に考慮に入れ、大人としての行動に子供時代の意味合いをすべて受け入れるのが敬虔な人間と言えよう。そして、現代生活での罪の多くは、心理学的には、隠された違法行為を帳消しにする決定的で、一般に認められた技術が喪失しているためだと説明されるかもしれない。成功による正当化が、より深い魔術的な正当化に取って代わっているに違いない――そして、そうした成功は、通常、象徴的な侮辱を含む行為の技巧や力を強めていくものなので、成功を認めることは悪人としての役割に慣れていくことに違いない。こうした可能性のもと、我々は実際的精神をもつ者のなかにも、敬虔な贖罪を見いだすことができる。
いずれにしろ、敬虔さが我々が述べてきたような反応なら、次のような顕著な特徴をもつだろう。(1)それは子供時代の経験との著しい親和性を示しており、それによって、とりわけ、大きな変化の時代を生きる詩人たちがなぜしばしば子供っぽい姿勢を示すのかが説明される。それは、敬虔さと「過去の想起」との深い結びつきを示唆しているだろう。(2)なぜ敬虔さが苦痛に満ち、純然たる功利的行動にさえ含まれる象徴的な不法行為を中和するための象徴的な贖罪(殉教や強い功名心)を必要とするかを示唆するだろう。
魔術的意味と功利的意味
敬虔の問題に行き当たらずに、芸術の分野において意味の問題を十分に論じることはできない。サンタヤナは、どこかで、敬虔を存在の源への忠誠と定義している。こうした考え方は、敬虔が厳密に宗教的な領域に限られないことを示唆するだろう。陶工が粘土を自分の感覚通りに、あるべき形に完全に満足できるように形づくったときにもあらわれるものだろう。子供時代に我々の最初の判断パターンが発達し、成長してからの経験はその子供時代のパターンの修正であり敷衍であるから、敬虔と子供時代との関係は明らかであると思える。例えば、成人はその考えを父親から父親である政府に転じる。だが、後半生にいたっても、斧をもって大きな木を倒すようなとき、庇護してくれる気高い象徴が打ち倒されたかのような奇妙な心許なさを感じたとしても驚くにはあたらない。というのも、その行為がいかに中立的なものであり、木は暖を取るという単純な功利的な必要のために切り倒されたのだとしても、そこにはある種の象徴的な父親殺しが潜んでいるかもしれないからである。暖を取るための木ばかりでなく、親の象徴が粉々にされたのかもしれない。
現代社会での詩人たちの多大な不安は、純粋に功利的な行動の哲学が我々に要求する数多くの象徴的不法行為のせいである可能性もある。功利的な行為が比較的少なく、集団全体のための行為が普通であった原始時代では、特定の贖罪の儀式がそうした象徴的な不法行為を帳消しにするように思われた。魔術的な定位においては(詩と密接に関連しているが)、もし木を切り倒すことが象徴的な父親殺しの意味合いをもつなら、集団は恐らくそれに対応するような象徴的な贖罪の儀式を発達させるだろう。違反者は、かくして、自分が犯した罪を洗い清める技術を持つことになろう。
しかしながら、こうした行為に対する純粋に功利的な姿勢は、ことのほか不敬虔なしるしを導き入れることになる。まったく象徴的含みの働かないような意味は可能ではない。木が倒れ、奇妙な居心地の悪さを感じたなら、その妙な良心の呵責を断ち切って、気短に「ナンセンス!ただの木じゃないか、必要だったんだ、他にもまだ沢山あるじゃないか」と自ら言い聞かせることになるに違いない。行為の非功利的な性質は切り捨てられ――行為は「新たな人間」としてなされねばならない――巨大な樫の木が倒れたとき、詩人だけが当惑し悲しみを感じ、単に薪を得るだけではないより深い問題がここには存在するのだと感じることが許される。(現代の「懐疑的な」傾向を考えると、「木こり、この木を助ける者・・・」と、想像力豊かにそのスタイルを森に響く斧の音と定義する現代詩人の見解とがよい対照となるかもしれない。)
こうした考察はしばしば美学にも認められ、芸術と実践との直接的な対立を強調する傾向の根本にあるものかもしれない。というのも、もし我々の考察が正しいなら、純粋に功利的な姿勢は、真面目な詩人が断固として自分を表現しようとする象徴的な含みを抑圧することによってのみ取れるからである。そして、なぜその本質において深く詩人的であるニーチェのような作家において、純粋に合理主義的で功利主義的な理想が、異なった種族、激しく残酷な行為を取る超人を必要としたのかを理解させてくれる。
合理的で、科学的なカテゴリーが情的なカテゴリーと衝突する例として、ライオンの分類があろう。もし、ごく普通の精神分析的な象徴化の理論が正しいなら、ライオンは一際優れた男性或は父親の象徴である。だがライオンは科学的には猫の仲間であり、猫は情的には女性的なものである。偉大な詩や一般的な用法において、それは女性的な属性と結びついている。合理的なカテゴリーは、情的なカテゴリーとまったく行き違う連想をもっているわけである。情的に妥当な連携は合理的には不適切である。
合理的な象徴の秩序が情的な象徴の秩序とまったく異質な不調和を形成するこうした場合、激しい葛藤が生じ、合理的なカテゴリーに達しようとする徹底的な試みの後にも不安や居心地の悪さが残ることもあり得るのではないか。ダーウィンの激しい眩暈はまさしくこうした葛藤の証拠ではないだろうか。というのも、ダーウィンは情的なカテゴリーにおいて形成されたカテゴリーとは矛盾する合理的カテゴリーを打ち立てた最上の例だからである。感情的な結びつきとは異質な移動が生物学的分類の全域にわたって行なわれたが、一般の反発を見ればわかるように、彼が人間を神のカテゴリーから猿のカテゴリーへの移したことはその最も明白な例である。彼の結論を最初に聞いたとき、気絶した女性たちがいたとさえ記録されている(恐らく、自分たちは猿と寝ているのだという当惑の感情のせいもあろうが)。私自身に関して言えば、子供時代、純粋かつ単純に最も大きな犬だと思っていたライオンが猫の仲間だと学んだときの大きな憤りを忘れることはないだろう。
合理的な分類が全盛となったまさしくその時期に、詩において激しく突発的に、純粋に非合理的な象徴主義の連想があらわれたことは驚くにあたらない。その論理を経験に根づかせる詩人たちが、完全に合理的な考察の産物である正反対の論理に直面したとき、その当惑は相当のものだった。肥料会社の人間は、死んだ犬に対して、その犬をペットとして飼っていた子供とはまったく異なった態度を取る。化学反応のことしか気にしない功利的な連想とは対照的に、子供の連想は詩的、或は魔術的と呼べるだろう。
切り倒した木が薪であると同時に親の象徴であるようなとき、贖罪の必要を十分に考慮に入れ、大人としての行動に子供時代の意味合いをすべて受け入れるのが敬虔な人間と言えよう。そして、現代生活での罪の多くは、心理学的には、隠された違法行為を帳消しにする決定的で、一般に認められた技術が喪失しているためだと説明されるかもしれない。成功による正当化が、より深い魔術的な正当化に取って代わっているに違いない――そして、そうした成功は、通常、象徴的な侮辱を含む行為の技巧や力を強めていくものなので、成功を認めることは悪人としての役割に慣れていくことに違いない。こうした可能性のもと、我々は実際的精神をもつ者のなかにも、敬虔な贖罪を見いだすことができる。
いずれにしろ、敬虔さが我々が述べてきたような反応なら、次のような顕著な特徴をもつだろう。(1)それは子供時代の経験との著しい親和性を示しており、それによって、とりわけ、大きな変化の時代を生きる詩人たちがなぜしばしば子供っぽい姿勢を示すのかが説明される。それは、敬虔さと「過去の想起」との深い結びつきを示唆しているだろう。(2)なぜ敬虔さが苦痛に満ち、純然たる功利的行動にさえ含まれる象徴的な不法行為を中和するための象徴的な贖罪(殉教や強い功名心)を必要とするかを示唆するだろう。
2015年1月15日木曜日
ブラッドリー『論理学』109
§4.しかし、この真理の知覚は我々を誤りには導かないに違いない。我々は否定は存在する判断の否定だとは決して言わない。というのも、判断には信念が含まれているからである。我々が否定するものは一度は信じられていなければならない、ということではない。また、信念と不信とは両立しがたいものなので、否定判断は、その存在や消失によって否定そのものを取り除く要素に依存する形でつくられるのかもしれない。我々が否定するのは観念の実際の事実への指し示しではない。かく性質づけられた事実の観念であり、否定はそれを排除する。それが追い払うのは提案された総合であり、真の判断ではない。
2015年1月14日水曜日
幸田露伴『評釈冬の日』しぐれの巻24
晦日を寒く刀売る年 重五
浪人が貧しさに逼迫し、志はいまだ遂げられず、時機をつかみそこねて、生命力は衰え、白髪姿になり、死ももう近い病気の様子と取るのも可能である。また前句の前のこととして、逆付とするのもひとつの解釈である。
浪人が貧しさに逼迫し、志はいまだ遂げられず、時機をつかみそこねて、生命力は衰え、白髪姿になり、死ももう近い病気の様子と取るのも可能である。また前句の前のこととして、逆付とするのもひとつの解釈である。
2015年1月13日火曜日
2015年1月12日月曜日
ケネス・バーク『恒久性と変化』22
第二部 不調和による遠近法
第一部は「定位」一般を論じた。第三部は「新しい」定位の原理を論じるつもりである。中間の第二部は、移行そのもののあり方を扱うこととなろう。こうした変容の諸条件には単なる知的問題ばかりでなく、深い感情的問題が関わっているので、分析は「敬虔」と「不敬虔」についての議論に集中する。敬虔は、「存在の源」に従おうとする熱望であり、通常考えられているよりずっと幅広い動機をあらわしている。逆に、その最も良心的なものでさえも、新しい教説には必然的に、不敬虔の要素とそれに対応する罪の感覚が含まれている(その教説が後に、妥当性、非妥当性についての一般的に受け入れられた規範として正統になるにしても)。中間段階は、悲劇の祭儀における「かきむしり泣き叫ぶ」(生贄の八つ裂き)段階に類似した破壊や断片化を含んでいる。(ヘーゲル弁証法で相当する部分は、「ロゴノミカルな贖罪」と呼ばれる。)ここで、理性は「不調和による遠近法」と呼ばれ提示される(ヘルメス的、メルクリウス的スタイルが特に強調され、それらは互いに排除し合うと感じられていたカテゴリーを混ぜ合わせることで得られる)。これは「ガーゴイル」の領域である。特に、精神分析が不調和の遠近法によって見られる。というのも、その治療は不適当、或は「計画的な不調和」、或は「方法的な誤称」の原理に導かれているからである(悪魔払い師が、憑かれている者が言うのとは合致しない名前を呼んで悪魔を追い出すように)。しかし、新たな意味の探求には深い感情的なものが認められる一方(身体に聖痕となってさえあらわれる感情)、純粋に合理的、「知的な」要素の重要性もまた強調される。キリストと聖パウロが新たな意味を提示する異なったタイプとして比較される。
第一部は「定位」一般を論じた。第三部は「新しい」定位の原理を論じるつもりである。中間の第二部は、移行そのもののあり方を扱うこととなろう。こうした変容の諸条件には単なる知的問題ばかりでなく、深い感情的問題が関わっているので、分析は「敬虔」と「不敬虔」についての議論に集中する。敬虔は、「存在の源」に従おうとする熱望であり、通常考えられているよりずっと幅広い動機をあらわしている。逆に、その最も良心的なものでさえも、新しい教説には必然的に、不敬虔の要素とそれに対応する罪の感覚が含まれている(その教説が後に、妥当性、非妥当性についての一般的に受け入れられた規範として正統になるにしても)。中間段階は、悲劇の祭儀における「かきむしり泣き叫ぶ」(生贄の八つ裂き)段階に類似した破壊や断片化を含んでいる。(ヘーゲル弁証法で相当する部分は、「ロゴノミカルな贖罪」と呼ばれる。)ここで、理性は「不調和による遠近法」と呼ばれ提示される(ヘルメス的、メルクリウス的スタイルが特に強調され、それらは互いに排除し合うと感じられていたカテゴリーを混ぜ合わせることで得られる)。これは「ガーゴイル」の領域である。特に、精神分析が不調和の遠近法によって見られる。というのも、その治療は不適当、或は「計画的な不調和」、或は「方法的な誤称」の原理に導かれているからである(悪魔払い師が、憑かれている者が言うのとは合致しない名前を呼んで悪魔を追い出すように)。しかし、新たな意味の探求には深い感情的なものが認められる一方(身体に聖痕となってさえあらわれる感情)、純粋に合理的、「知的な」要素の重要性もまた強調される。キリストと聖パウロが新たな意味を提示する異なったタイプとして比較される。
2015年1月11日日曜日
ブラッドリー『論理学』108
§3.それぞれの判断の根源に帰り、その初期の発達を考えてみれば、両者の違いは明らかになる。肯定の初歩的な基礎となるのは観念と知覚との合体である。しかし、否定は単に観念と知覚との非合体というのではない。単に実在を指し示すことのない観念や観察されない相違が現存しているというのではなく、最初の否定の基礎にあるのは指し示すことや同一化の失敗である。現前する事実を性質づけようとした観念が排除されることから否定は始まる。否定が始まるのは実在についての試みにおいてであり、性質づけへの困惑混じりの接近においてである。この試みの意識にはそこでなされる提案が含まれているだけでなく、提案の対象である主語となるものが含まれている。かくして、反省の階梯においては否定は単なる肯定よりも高い位置を占めるのである。ある意味より観念的であり、魂の発達においてより後期になって存在するようになる。
2015年1月10日土曜日
幸田露伴『評釈冬の日』しぐれの巻23
捨てし子は柴刈る長にのびつらむ 野水
前句を、遠いところから荘屋の家の老松を詠じて贈ったものと見て、その歌を贈った人の心のなかの思いを述べたものである。昔、落魄した身の旅路に妻を急病で失い、どうにもならなくなって、富裕な庄屋の松の木陰に、まだ東西も知らない子供を、頼み状、しるしのものなどを添えて捨てた窮士が、いまは離れた国にあって、やや安楽の生活を得たが、昔の哀しい思い出が寝覚めのごとに胸に迫って、衰えいく身には頼る杖さえないが、あああの子はどうなっただろうか、指折り数えれば十年余りの月日が経ってしまい、誠意を込めて頼んだので、養い育てて下働きにでもしてくれていようが、幸いに病気にもあわず死んでいなければ、いまは柴刈るほどの丈にも育っていようと、思うにつけても、一夜の露を防ぎ、行く末の栄にあやかりたいものだと、頼みをかけたかの松の常磐の枝の、星の下で繁り黒ずんで垂れていた様子が、眼に浮んで忘れることができず、さすがに名乗っていくこともできないので、それとなくその松を詠んで歌を贈れば、それからつきあいも生じ、よそながら我が子のことも知るよすがにもなろうか、という風情である。
いまは捨て子などというものは非常に稀なことだが、昔はそうしたこともしばしばあった。この附け句、旧家の老松から考えだされたものであるが、ただそれのみならず、歌に深く入りこんで、一句の姿を映りよくつくってあるので、再三読み返すと、その人、そのこと、その情、目前に彷彿としてあらわれ、なんということもなくひとをして涙を催させる。拙いつくり物語の数十を読むに勝って感慨が深く、重五の花見次郎は笑わせ、野水のこの句は泣かせる。
この句を解釈するのに、『平家物語』巻六の、平忠盛「妹が子は這ふほどにこそなりにけれ」、平河法王「たゞもり取りてやしなひにせよ」、の連歌を引き、あるいは『小町物語』の、「我せこは都にありと盬がまのまがきが浦の松ぞ恋しき」の歌を添えて、小町は捨てられたということを引いたりするのは必要がない。
前句を、遠いところから荘屋の家の老松を詠じて贈ったものと見て、その歌を贈った人の心のなかの思いを述べたものである。昔、落魄した身の旅路に妻を急病で失い、どうにもならなくなって、富裕な庄屋の松の木陰に、まだ東西も知らない子供を、頼み状、しるしのものなどを添えて捨てた窮士が、いまは離れた国にあって、やや安楽の生活を得たが、昔の哀しい思い出が寝覚めのごとに胸に迫って、衰えいく身には頼る杖さえないが、あああの子はどうなっただろうか、指折り数えれば十年余りの月日が経ってしまい、誠意を込めて頼んだので、養い育てて下働きにでもしてくれていようが、幸いに病気にもあわず死んでいなければ、いまは柴刈るほどの丈にも育っていようと、思うにつけても、一夜の露を防ぎ、行く末の栄にあやかりたいものだと、頼みをかけたかの松の常磐の枝の、星の下で繁り黒ずんで垂れていた様子が、眼に浮んで忘れることができず、さすがに名乗っていくこともできないので、それとなくその松を詠んで歌を贈れば、それからつきあいも生じ、よそながら我が子のことも知るよすがにもなろうか、という風情である。
いまは捨て子などというものは非常に稀なことだが、昔はそうしたこともしばしばあった。この附け句、旧家の老松から考えだされたものであるが、ただそれのみならず、歌に深く入りこんで、一句の姿を映りよくつくってあるので、再三読み返すと、その人、そのこと、その情、目前に彷彿としてあらわれ、なんということもなくひとをして涙を催させる。拙いつくり物語の数十を読むに勝って感慨が深く、重五の花見次郎は笑わせ、野水のこの句は泣かせる。
この句を解釈するのに、『平家物語』巻六の、平忠盛「妹が子は這ふほどにこそなりにけれ」、平河法王「たゞもり取りてやしなひにせよ」、の連歌を引き、あるいは『小町物語』の、「我せこは都にありと盬がまのまがきが浦の松ぞ恋しき」の歌を添えて、小町は捨てられたということを引いたりするのは必要がない。
2015年1月9日金曜日
2015年1月8日木曜日
ケネス・バーク『恒久性と変化』21
ヒューマニズム的な、或は詩的な合理化
誘いかけよりも支配に力点を置く科学的基準という文化の側面が排除され、縮小される傾向にあるなら、修正された合理化は擬人的、ヒューマニズム的、或は詩的な方向に向かうに違いない。宗教ではなく詩があげられるのは、多くの理由から必然的であるように思える。恐らくその筆頭にあげられるのは、詩が決して制度化されたことがなく、教会のように壊れた窓と散らかった戸口の巨大な廃墟の様相を呈していないという事実にある。また、「先祖返り」や「逆戻り」といった非難は、宗教に特殊なもので、詩に対して容易に向けられるものではない。(ちなみに、気味の悪い実験によって魔術的な合理化の威信と科学としての刷新とを結びつけた錬金術師に対して、底知れぬ暗闇へと先祖返りするものだと非難が起きたことは覚えておく価値がある。)
結局のところ、詩という手段は、人間の自発的な性質と密接に関連している。詩的な基準によって修正の哲学を枠組みすることで、我々は今度は「生物学的に」基礎づけられた参照点をもつことになろう。この点において、詩は、実用的な要求に基づいており啓示に頼らない科学的な精神病質からもたらされる権威を享受できる。いかなる新たな合理化も、できる限り、また必然的にそれが置き換わることになる威信を享受している合理化の「妥当性」のなかで議論を組み立てなければならないゆえに、これは重要な事実である。
他方において、詩的な参照点は、詩的コミュニケーションの媒体が弱まることによって弱まる。道具立てそのものが十分に安定し、集団のなかで広がりと恒久性をもつまでは、権威の中心は、詩本体よりも詩の哲学や心理学に位置づけられねばならない。もし我々が生産と配分のパターンに合うように我々の欲望を変えるのではなく、我々の健全な欲望に合うように生産と配分のパターンを変えるなら、人間の欲望の「集中する点」が見いだされるのは詩の領域に違いない。科学的合理化の修正は、必然的に芸術の根本理由となるように思われる――しかしながら、少数の者が生みだし、多数の者が見守るだけの達人や専門家の芸術ではなく、最も広い意味における芸術、生の芸術である。
誘いかけよりも支配に力点を置く科学的基準という文化の側面が排除され、縮小される傾向にあるなら、修正された合理化は擬人的、ヒューマニズム的、或は詩的な方向に向かうに違いない。宗教ではなく詩があげられるのは、多くの理由から必然的であるように思える。恐らくその筆頭にあげられるのは、詩が決して制度化されたことがなく、教会のように壊れた窓と散らかった戸口の巨大な廃墟の様相を呈していないという事実にある。また、「先祖返り」や「逆戻り」といった非難は、宗教に特殊なもので、詩に対して容易に向けられるものではない。(ちなみに、気味の悪い実験によって魔術的な合理化の威信と科学としての刷新とを結びつけた錬金術師に対して、底知れぬ暗闇へと先祖返りするものだと非難が起きたことは覚えておく価値がある。)
結局のところ、詩という手段は、人間の自発的な性質と密接に関連している。詩的な基準によって修正の哲学を枠組みすることで、我々は今度は「生物学的に」基礎づけられた参照点をもつことになろう。この点において、詩は、実用的な要求に基づいており啓示に頼らない科学的な精神病質からもたらされる権威を享受できる。いかなる新たな合理化も、できる限り、また必然的にそれが置き換わることになる威信を享受している合理化の「妥当性」のなかで議論を組み立てなければならないゆえに、これは重要な事実である。
他方において、詩的な参照点は、詩的コミュニケーションの媒体が弱まることによって弱まる。道具立てそのものが十分に安定し、集団のなかで広がりと恒久性をもつまでは、権威の中心は、詩本体よりも詩の哲学や心理学に位置づけられねばならない。もし我々が生産と配分のパターンに合うように我々の欲望を変えるのではなく、我々の健全な欲望に合うように生産と配分のパターンを変えるなら、人間の欲望の「集中する点」が見いだされるのは詩の領域に違いない。科学的合理化の修正は、必然的に芸術の根本理由となるように思われる――しかしながら、少数の者が生みだし、多数の者が見守るだけの達人や専門家の芸術ではなく、最も広い意味における芸術、生の芸術である。
2015年1月6日火曜日
ブラッドリー『論理学』107
§2.後に見るように、否定を肯定に還元したり派生物としてみることはできないが、両者を同格と考えることは多分間違っているだろう。それは、以下に見るように(§7)単に否定が肯定を前提としているということではない。それは反省の異なったレベルにあるのである。肯定判断では我々は概念内容を直接に実在に帰することができる。ある観念、あるいは諸観念の総合をもち、それを現前にあらわれる事実の性質として示すというのが我々のしたいことだった。しかし、否定判断では、実在への概念内容の差し向けそのものが観念でなければならない。Xという事実とa-bという観念が与えらえたとき、すぐにa-bをXに帰することができる。しかし、単にXとa-bをもっている限り、Xについてa-bを否定することはできない。否定するためには、関係の肯定があらかじめ示唆されていなければならないからである。a-bによって性質づけられたXの観念をx(a-b)と書くことができるが、それはXがはね返す観念内容であり、我々が否定判断で否定するものである。
肯定判断では真の主語は常に観念化されているのは間違いない。我々は現前にあらわれる全体から選択し、言及していない要素を意味する(第三巻I第六章§12)。ある木を指し「緑」と言うとき、その主語は同じ対象が「黄色」だという提案を退けるときと同じ程度に観念的だと主張されるかもしれない。しかし、それは重要な相違を無視している。実在の現前する統一のなかにある木は、同時にある性質を示唆するものとして受けとられる。私は常に決定を中断され、全体を観念として考え、まず最初にこの木は緑であるか、と尋ねた後でその木が緑の木だと決定するわけではない。しかし、「黄色」が否定される否定判断では、木と「黄色」との肯定的な関係がその関係の排除に先行していなければならない。判断は決して問題を先取りすることはできない。私は常にそうした反省の段階にいなければならず、時に肯定判断を否定することもある。
肯定判断では真の主語は常に観念化されているのは間違いない。我々は現前にあらわれる全体から選択し、言及していない要素を意味する(第三巻I第六章§12)。ある木を指し「緑」と言うとき、その主語は同じ対象が「黄色」だという提案を退けるときと同じ程度に観念的だと主張されるかもしれない。しかし、それは重要な相違を無視している。実在の現前する統一のなかにある木は、同時にある性質を示唆するものとして受けとられる。私は常に決定を中断され、全体を観念として考え、まず最初にこの木は緑であるか、と尋ねた後でその木が緑の木だと決定するわけではない。しかし、「黄色」が否定される否定判断では、木と「黄色」との肯定的な関係がその関係の排除に先行していなければならない。判断は決して問題を先取りすることはできない。私は常にそうした反省の段階にいなければならず、時に肯定判断を否定することもある。
2015年1月5日月曜日
幸田露伴『評釈冬の日』しぐれの巻22
荘屋の松をよみておくりぬ 荷兮
荘屋の称は『本朝文粋』、延喜二年の官符の文にも見られるものなので、大変古いもので、里正のことである。旧註には、矢矧の里の庄屋の庭前に大きな松があって世に知られていたが、亨保年間に焼失した、とある。旧家には老樹が多いのはよくあることなので、そうしたこともあっただろう。ただし前句を下手な狂歌の上の句と見ての附け句であるとの説は首肯しがたい。長々しい橋の高みからしばらくのあいだ老松を望み見たままを、一首の歌をつくるに至ったおもむきの付け句である。長々しい橋の高いところから見ていることを見落としては、たとえ矢矧の里正の家に老松があって有名であったにせよ、この句は甚だ味のないこととなる。
荘屋の称は『本朝文粋』、延喜二年の官符の文にも見られるものなので、大変古いもので、里正のことである。旧註には、矢矧の里の庄屋の庭前に大きな松があって世に知られていたが、亨保年間に焼失した、とある。旧家には老樹が多いのはよくあることなので、そうしたこともあっただろう。ただし前句を下手な狂歌の上の句と見ての附け句であるとの説は首肯しがたい。長々しい橋の高みからしばらくのあいだ老松を望み見たままを、一首の歌をつくるに至ったおもむきの付け句である。長々しい橋の高いところから見ていることを見落としては、たとえ矢矧の里正の家に老松があって有名であったにせよ、この句は甚だ味のないこととなる。
2015年1月4日日曜日
2015年1月3日土曜日
ケネス・バーク『恒久性と変化』20
.. 第五章 魔術、宗教、科学
合理化の三種の体制
我々は定位に関する章を三種の合理化の体制、魔術、宗教、科学についてもっとしっかり考察することで終われたかもしれない。魔術は主として自然の力の支配を強調し、宗教は人間の力の支配を、科学は第三生産体制であるテクノロジーの支配を強調する。
『金枝篇』で、ジェイムズ・フレイザー卿は、これら三種の合理化の相似と相異について興味深い区別を施した。彼が言うには、魔術と実証科学は、自然過程の斉一性や規則性を仮定しており、適切な公式を発見することによってこの過程を利用しようとする。魔術と科学では、実行者が正確な手順を遵守すれば、望んだ結果が必然的に生じるだろう。うまくいかなかった場合、なすべき手順が間違っていたのか、不可測な要因が加わったのだと仮定されよう。
フレイザーによれば、科学や魔術の枠組みでは、実行者の力は自然の作用力についての知識の限界によってのみ制限される。「物事の原因を知り、世界の広大で入り組んだメカニズムを作動させる秘密の源に触れることのできる両者の前には、限りがないかのような可能性の眺望が拡がっている。」魔術や実証科学の仮定によれば、自然は不変の法則によって働いている。自然には偶然も気まぐれもない。正確な技術さえ手に入れれば、世界の変わることのない因果性を意のままにすることができる。判断の誤りは危険な結果を招きうるが、正確な判断による報酬は無限である。
こうした姿勢とは対照的に、フレイザーは宗教的な合理化として、和解的な要素を強調する。宗教的な実践者は、「自然と人間の生を導き、支配すると信じられている人間より優れた力を懐柔」しようとしている。宇宙の法則は不変なものではない。自由裁量の原理が導入される。知識と力(支配の技術ではなく)ではなく、謙遜、従順、迎合(誘いかけの様々な方法)が最重要となる。もし罪を犯してしまったら、因果法則をどんなに操作しても逃れる道はない――しかし、もし恩顧を得ることができ、超越的な力が望みさえすれば、自然法則でさえ変えうるだろう。
或は、主として人間の生産力を支配することを目的とする合理化が、人間の意識に最も特徴的なもの、選択の原理、決定というのはそのすべてがあらかじめ定められているのではなく、倫理的、創造的な新たなものだという感覚を天上世界の原理として導入したとも言えるかもしれない。人間を特徴づける自由の幻想は、自由意志を神に帰していることに反映していた。呪文や実験室での支配ではなく、祈りによる嘆願が必要とされた。というのも、「事物は支配しなければならないが、人間は誘い導かねばならない」からである。
かくして、魔術的科学的合理化は、正確な公式によって操作できる普遍的な法則性があるという仮定によって宗教と区別され、宗教は強制することはできず、なだめなければならない専横な原理が強調される。
フレイザーは、魔術の効力についての信念は、その誤りが発見されることで崩壊したと考えているようである。だが、彼の描きだした合理化は全体として首尾一貫しており、「実際的成功」によって充分確証されているので、反証によって信望を失うことになるかどうか私にはわからない。季節を規則正しく進行させたり、豊作を保証したり、子供の妊娠を助けたりする魔術師の能力は、驚くほどの成功を見せている。もし疫病や干魃がしばらくの間彼に抵抗するとしても、対抗する呪文が働いているのであり、合理化そのものは攻撃されないままに止まる。現代の科学者が、因果法則の操作をうまくできなかったときに、我々にはまだ十分な知識がないと謙虚に認めることができるようなものである。
こうした自律的な体系は、ただ外部からのみ攻撃できるものだと思われる。そして、攻撃は新たな観点が生じてきたときに生じるのだと私は思う。この観点は、自然の力の支配ではなく、人間の共同作業を強調する。我々はこの観点を、成功のためには生贄の苦しみに無関心な魔術に対する哲学的な修正と呼べる。修正の哲学によって変わった魔術は、我々に和解の魔術を与える。部族の儀式は専横な力を喜ばすことを目的とし、生贄はより人道的になることで象徴的な犠牲に取って代わられる。
この修正の哲学が次第に新たな合理化、宗教へと変容を遂げる。共同作業の技術がより複雑になり、神に好意をもたれたグループが確立すると、精神病質は自然になだめることに集中することとなろう。魔術的法則の権威は異なった精神病質、異なった関心のあり方が生じることによって破壊されるだろう。そして、人々が「自らの自由意志」によって選ぶよう誘導される和解のパターンは、宇宙の本質として読み取られることになった。喜ばせたり、不快にさせたりすることができる人格的で専横な神が存在した。
かくして、宗教的合理化は、魔術的枠組みの調和の取れた性質は欠けている。いまや、自然の運用には不整合性の余地があり、それはいつでも言っていることとやっていることが別な人間と関わる際に出会う事柄なのである。
恐らくは、宗教的な定位には専横な要素があり、そこから合理化という言葉の二重の使用法が生じた。一貫性の知覚という意味での合理化と、自己矛盾の正当化という意味での合理化である。しかし、世界観の根底に非合理的な原理を据えることは、無規制の正当化、迷信、インチキを許すゆえに満足のいくことではない。宗教的な合理化を哲学的に修正することは、通常、まさしく哲学そのものだと言われている。
意味深いことに、哲学的な観点は機械的発明にある関心によってその姿を明らかにした。様々な変転、失墜、再生の後に、それが育ててきた生産工場の本性を後ろ盾にして、全体的で首尾一貫した体制として最終的に祭り上げられた。それは長い間宇宙の本性と書かれてきた。最終的に、国家の基本的な型と書かれるに違いない。
しかし、殆ど完成され実現された状況に臨む観点は、当然ながらそれをより明確にし、次に必要となる修正案を求めることになる。科学を人間の合理化の最終的な達成と見なす者は、人間の反応にある重要な側面を無視している可能性がある。完全で安定した条件といえども、しばらくの間続くと、最初に始まったときと同じ意味はもっていない。
科学がその究極的な政治的等価物を得て、完全に聖堂に祭られることになれば、我々は科学的な理想になにが欠けているかを正確に認め、それに応じた修正哲学の枠組みをとることができる。現在のところ、事態はいまだ問題が多く、テクノロジー的な生産方法が、長い間、必要とする政治的手段によって補われているところなどないという事実によって問題はより複雑になっている。それ故、純粋で単純な科学を推し進めようとする精神病質的傾向は、科学的合理化の完成という限られた社会的必要によっていまだに駆り立てられている。
恐らくは、こうした理由によって、科学的な方法を、科学の主要な仮定そのものが崩れ始めるところまで研究を進める哲学的科学者たちは、最も重要な文化的おくれ(不適切な政治構造であり、その諸手段はより以前の定位の残存である)は改善すべきことを決して忘れない者たちからは、神秘家や反動家としてあざ笑われる。
科学に対する修正哲学へのこうした攻撃は、注意深く精密な推論に基づいていることは滅多になく、一般的に、科学的な合理化そのものの権威への訴えかけによって正当化される。「神秘家」は実証科学によって確立された規範に止まることができないといって非難されるが、それは、科学がこれまでいかなるどんな確立された規範に対しても、慎重でたゆむことなく疑問を投げかけていったのを忘れたかのようである。科学をめぐる戦いにもある種のクイーンズバリー公爵夫人ルールが存在し始めたようであって、科学的合理化の既得権益に対して懐疑的な者は、中世の人間の考え方に強くあこがれ、戻りたがっていると疑われる。
科学的な合理化に対する哲学的修正は、ほぼ必然的に、宗教的合理化とのなんらかの表面的な類似性を示さなければならない。というのも、いかに熱心に機械のパターンに従って、心理学的なパターンを作り直そうとしても、人間は本質的に人間的であり――人間の力(精神と身体そのものの有機的な生産力)を支配する目的をもつのが宗教的合理化だからである。十九世紀を通じ、修正哲学が確立しうる礎として探求されたものは、ごく自然に強い動物的な要素を帯びていた(ニーチェの言葉による)。合理的なものと科学的進歩の増大によって特徴づけられた時代はまた、生、本能、無意識、衝動、原始的なものの栄光が補完的に強調された世紀でもあった。詩人たちは、生産工場を稼働し続けることだけを目的とし、人々の眼から覆い隠されていた人間の性質を際だたせようとした。
教会は満足な解決策を提示することがなかった。厳格で正統的な立場から現代の潮流に攻撃を加える者たちの間には、もちろん、最初から非難の声が響き渡っていた。多くの有能で立派な人物たちが、より弱い戦略的立場である主観主義(「私は個人的には好きではない」)、メランコリー(「ああ、昔はなんてよかったのだろう」)、皮肉(「よろしい、好きなようにやりたまえ」)へと変わることを余儀なくされるなか、「非個人的な」理由という厳めしい後ろ盾をもって「力強く」訴える者もいた。だが、全体的に言って、それは負け試合だった。第一、宗教の真に説得的な本質は、非難にあるのではなく、迎合や誘いかけの戦術にあるからである。一にして永遠な真実の擁護者は、際限なく自分の恨みを満足させるわがまま者として非難されねばならない。バートランド・ラッセルは、現代の信仰の擁護者の殆どに悪意の要素を認めている。更に、教会の厳格な教義は、歴史の転換によって見当違いとなったり、完全に危険なものとなった定位の上部構造を化石化した状態で保持していたのである。そして、最後に、真の教会は当節の瘴気溢れる沼のカバ飼育場ほどにも制度化されていないものだが、悲劇と献身の深く宗教的な心理学は地下墓地へと退く一方、「無秩序」で、「腐敗した」、「無神論的な」詩人たちの哀悼に満ちた敬虔さだけが残されたのである。
教会人は、最も脆弱で、最も中心から離れた科学者に過ぎず、古くからの合理化を新しいものに見せようとして、数限りない無益な道化芝居に従事している。彼らは科学によって理想化された合理性や一貫性の基準によって宗教的構造を作り直そうとした。彼らはまた、宗教的合理化が進歩以外のなにものをも求めないかのように、進歩を支持した。それはいまある共同のシステムを安定化しようとするものだった。内々では、進歩は変化を含むために、進歩とは反対の側に立っていた。しかし、進歩の威信が巨大になると、教会人でさえ、いかなる合理化も、それなりのものであれば、現状の維持を目的として発展されることが信じがたくなった。
しかしながら、進歩の威信は必然的に減じていくに違いない。進歩が現実のものとなり、安定への欲望が生まれ、進歩というスローガンの魔術的な魅力が消え去るまでは、観点のなかには進歩が含まれることだろう。
合理化の三種の体制
我々は定位に関する章を三種の合理化の体制、魔術、宗教、科学についてもっとしっかり考察することで終われたかもしれない。魔術は主として自然の力の支配を強調し、宗教は人間の力の支配を、科学は第三生産体制であるテクノロジーの支配を強調する。
『金枝篇』で、ジェイムズ・フレイザー卿は、これら三種の合理化の相似と相異について興味深い区別を施した。彼が言うには、魔術と実証科学は、自然過程の斉一性や規則性を仮定しており、適切な公式を発見することによってこの過程を利用しようとする。魔術と科学では、実行者が正確な手順を遵守すれば、望んだ結果が必然的に生じるだろう。うまくいかなかった場合、なすべき手順が間違っていたのか、不可測な要因が加わったのだと仮定されよう。
フレイザーによれば、科学や魔術の枠組みでは、実行者の力は自然の作用力についての知識の限界によってのみ制限される。「物事の原因を知り、世界の広大で入り組んだメカニズムを作動させる秘密の源に触れることのできる両者の前には、限りがないかのような可能性の眺望が拡がっている。」魔術や実証科学の仮定によれば、自然は不変の法則によって働いている。自然には偶然も気まぐれもない。正確な技術さえ手に入れれば、世界の変わることのない因果性を意のままにすることができる。判断の誤りは危険な結果を招きうるが、正確な判断による報酬は無限である。
こうした姿勢とは対照的に、フレイザーは宗教的な合理化として、和解的な要素を強調する。宗教的な実践者は、「自然と人間の生を導き、支配すると信じられている人間より優れた力を懐柔」しようとしている。宇宙の法則は不変なものではない。自由裁量の原理が導入される。知識と力(支配の技術ではなく)ではなく、謙遜、従順、迎合(誘いかけの様々な方法)が最重要となる。もし罪を犯してしまったら、因果法則をどんなに操作しても逃れる道はない――しかし、もし恩顧を得ることができ、超越的な力が望みさえすれば、自然法則でさえ変えうるだろう。
或は、主として人間の生産力を支配することを目的とする合理化が、人間の意識に最も特徴的なもの、選択の原理、決定というのはそのすべてがあらかじめ定められているのではなく、倫理的、創造的な新たなものだという感覚を天上世界の原理として導入したとも言えるかもしれない。人間を特徴づける自由の幻想は、自由意志を神に帰していることに反映していた。呪文や実験室での支配ではなく、祈りによる嘆願が必要とされた。というのも、「事物は支配しなければならないが、人間は誘い導かねばならない」からである。
かくして、魔術的科学的合理化は、正確な公式によって操作できる普遍的な法則性があるという仮定によって宗教と区別され、宗教は強制することはできず、なだめなければならない専横な原理が強調される。
フレイザーは、魔術の効力についての信念は、その誤りが発見されることで崩壊したと考えているようである。だが、彼の描きだした合理化は全体として首尾一貫しており、「実際的成功」によって充分確証されているので、反証によって信望を失うことになるかどうか私にはわからない。季節を規則正しく進行させたり、豊作を保証したり、子供の妊娠を助けたりする魔術師の能力は、驚くほどの成功を見せている。もし疫病や干魃がしばらくの間彼に抵抗するとしても、対抗する呪文が働いているのであり、合理化そのものは攻撃されないままに止まる。現代の科学者が、因果法則の操作をうまくできなかったときに、我々にはまだ十分な知識がないと謙虚に認めることができるようなものである。
こうした自律的な体系は、ただ外部からのみ攻撃できるものだと思われる。そして、攻撃は新たな観点が生じてきたときに生じるのだと私は思う。この観点は、自然の力の支配ではなく、人間の共同作業を強調する。我々はこの観点を、成功のためには生贄の苦しみに無関心な魔術に対する哲学的な修正と呼べる。修正の哲学によって変わった魔術は、我々に和解の魔術を与える。部族の儀式は専横な力を喜ばすことを目的とし、生贄はより人道的になることで象徴的な犠牲に取って代わられる。
この修正の哲学が次第に新たな合理化、宗教へと変容を遂げる。共同作業の技術がより複雑になり、神に好意をもたれたグループが確立すると、精神病質は自然になだめることに集中することとなろう。魔術的法則の権威は異なった精神病質、異なった関心のあり方が生じることによって破壊されるだろう。そして、人々が「自らの自由意志」によって選ぶよう誘導される和解のパターンは、宇宙の本質として読み取られることになった。喜ばせたり、不快にさせたりすることができる人格的で専横な神が存在した。
かくして、宗教的合理化は、魔術的枠組みの調和の取れた性質は欠けている。いまや、自然の運用には不整合性の余地があり、それはいつでも言っていることとやっていることが別な人間と関わる際に出会う事柄なのである。
恐らくは、宗教的な定位には専横な要素があり、そこから合理化という言葉の二重の使用法が生じた。一貫性の知覚という意味での合理化と、自己矛盾の正当化という意味での合理化である。しかし、世界観の根底に非合理的な原理を据えることは、無規制の正当化、迷信、インチキを許すゆえに満足のいくことではない。宗教的な合理化を哲学的に修正することは、通常、まさしく哲学そのものだと言われている。
意味深いことに、哲学的な観点は機械的発明にある関心によってその姿を明らかにした。様々な変転、失墜、再生の後に、それが育ててきた生産工場の本性を後ろ盾にして、全体的で首尾一貫した体制として最終的に祭り上げられた。それは長い間宇宙の本性と書かれてきた。最終的に、国家の基本的な型と書かれるに違いない。
しかし、殆ど完成され実現された状況に臨む観点は、当然ながらそれをより明確にし、次に必要となる修正案を求めることになる。科学を人間の合理化の最終的な達成と見なす者は、人間の反応にある重要な側面を無視している可能性がある。完全で安定した条件といえども、しばらくの間続くと、最初に始まったときと同じ意味はもっていない。
科学がその究極的な政治的等価物を得て、完全に聖堂に祭られることになれば、我々は科学的な理想になにが欠けているかを正確に認め、それに応じた修正哲学の枠組みをとることができる。現在のところ、事態はいまだ問題が多く、テクノロジー的な生産方法が、長い間、必要とする政治的手段によって補われているところなどないという事実によって問題はより複雑になっている。それ故、純粋で単純な科学を推し進めようとする精神病質的傾向は、科学的合理化の完成という限られた社会的必要によっていまだに駆り立てられている。
恐らくは、こうした理由によって、科学的な方法を、科学の主要な仮定そのものが崩れ始めるところまで研究を進める哲学的科学者たちは、最も重要な文化的おくれ(不適切な政治構造であり、その諸手段はより以前の定位の残存である)は改善すべきことを決して忘れない者たちからは、神秘家や反動家としてあざ笑われる。
科学に対する修正哲学へのこうした攻撃は、注意深く精密な推論に基づいていることは滅多になく、一般的に、科学的な合理化そのものの権威への訴えかけによって正当化される。「神秘家」は実証科学によって確立された規範に止まることができないといって非難されるが、それは、科学がこれまでいかなるどんな確立された規範に対しても、慎重でたゆむことなく疑問を投げかけていったのを忘れたかのようである。科学をめぐる戦いにもある種のクイーンズバリー公爵夫人ルールが存在し始めたようであって、科学的合理化の既得権益に対して懐疑的な者は、中世の人間の考え方に強くあこがれ、戻りたがっていると疑われる。
科学的な合理化に対する哲学的修正は、ほぼ必然的に、宗教的合理化とのなんらかの表面的な類似性を示さなければならない。というのも、いかに熱心に機械のパターンに従って、心理学的なパターンを作り直そうとしても、人間は本質的に人間的であり――人間の力(精神と身体そのものの有機的な生産力)を支配する目的をもつのが宗教的合理化だからである。十九世紀を通じ、修正哲学が確立しうる礎として探求されたものは、ごく自然に強い動物的な要素を帯びていた(ニーチェの言葉による)。合理的なものと科学的進歩の増大によって特徴づけられた時代はまた、生、本能、無意識、衝動、原始的なものの栄光が補完的に強調された世紀でもあった。詩人たちは、生産工場を稼働し続けることだけを目的とし、人々の眼から覆い隠されていた人間の性質を際だたせようとした。
教会は満足な解決策を提示することがなかった。厳格で正統的な立場から現代の潮流に攻撃を加える者たちの間には、もちろん、最初から非難の声が響き渡っていた。多くの有能で立派な人物たちが、より弱い戦略的立場である主観主義(「私は個人的には好きではない」)、メランコリー(「ああ、昔はなんてよかったのだろう」)、皮肉(「よろしい、好きなようにやりたまえ」)へと変わることを余儀なくされるなか、「非個人的な」理由という厳めしい後ろ盾をもって「力強く」訴える者もいた。だが、全体的に言って、それは負け試合だった。第一、宗教の真に説得的な本質は、非難にあるのではなく、迎合や誘いかけの戦術にあるからである。一にして永遠な真実の擁護者は、際限なく自分の恨みを満足させるわがまま者として非難されねばならない。バートランド・ラッセルは、現代の信仰の擁護者の殆どに悪意の要素を認めている。更に、教会の厳格な教義は、歴史の転換によって見当違いとなったり、完全に危険なものとなった定位の上部構造を化石化した状態で保持していたのである。そして、最後に、真の教会は当節の瘴気溢れる沼のカバ飼育場ほどにも制度化されていないものだが、悲劇と献身の深く宗教的な心理学は地下墓地へと退く一方、「無秩序」で、「腐敗した」、「無神論的な」詩人たちの哀悼に満ちた敬虔さだけが残されたのである。
教会人は、最も脆弱で、最も中心から離れた科学者に過ぎず、古くからの合理化を新しいものに見せようとして、数限りない無益な道化芝居に従事している。彼らは科学によって理想化された合理性や一貫性の基準によって宗教的構造を作り直そうとした。彼らはまた、宗教的合理化が進歩以外のなにものをも求めないかのように、進歩を支持した。それはいまある共同のシステムを安定化しようとするものだった。内々では、進歩は変化を含むために、進歩とは反対の側に立っていた。しかし、進歩の威信が巨大になると、教会人でさえ、いかなる合理化も、それなりのものであれば、現状の維持を目的として発展されることが信じがたくなった。
しかしながら、進歩の威信は必然的に減じていくに違いない。進歩が現実のものとなり、安定への欲望が生まれ、進歩というスローガンの魔術的な魅力が消え去るまでは、観点のなかには進歩が含まれることだろう。
2015年1月1日木曜日
ブラッドリー『論理学』106
第三章 否定判断
§1.前章の長い議論の後なので、我々になじみのある一般的性格をもつ判断のなかで手早く扱うことのできるものを取り上げよう。他の様々な判断と同様に、否定判断は知覚にあらわれる実在に依存している。結局、それはある観念内容を受け入れることを主語であるものが拒絶することにある。ある仕方で性質づけられ決定された実在というのが提案され、その提案を実際の実在に適用することを拒むのが否定判断固有の本質である。
§1.前章の長い議論の後なので、我々になじみのある一般的性格をもつ判断のなかで手早く扱うことのできるものを取り上げよう。他の様々な判断と同様に、否定判断は知覚にあらわれる実在に依存している。結局、それはある観念内容を受け入れることを主語であるものが拒絶することにある。ある仕方で性質づけられ決定された実在というのが提案され、その提案を実際の実在に適用することを拒むのが否定判断固有の本質である。
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