2015年1月28日水曜日

幸田露伴『評釈冬の日』しぐれの巻28

けしの一重に名をこぼす禅 杜國

 前人が解したところでは、一休禅師がまだ成道していないとき、艶書に罌粟の花一輪を添えて、「本来の面目坊が立姿一目見しより恋となりけり」と詠じた面影だという。一休のこと、世に多く逸話が伝えられているが、みな浅はかな作りごとで、信じるにたるものが少ない。その作したものは詩集『狂雲集』二巻、『骸骨草紙』、『仏鬼軍』などがある。後人が選した『可笑記』、『狂歌咄』のたぐいは、基づくところがないとは言わないが、単に小説である。「一目見しより」の歌、これらの書に載っているだけで、いま自分の書棚にはないので確証はない。

 一休は高須の里の遊女、地獄となじみであったと伝えられている。その真偽は知るよしもないが、一休は寒中の枯れ木のような堅物ではなく、「今夜美人若約我、枯楊春老更正稊」の詩があり、その他、「美人の陰に水仙香の香有り」など、種々放縦の文字を『狂雲集』にとどめた人であって、かつまた、摂津の桜塚の岐翁紹偵はまさしく一休の子であるが、その紹偵が一休の像に付けた賛にも、「尺八声ゝ吹又吹、婬坊酒肆一生棲、瀟洒途轍少人𨂻、眼見東南竟北西」とあり、実に常識や凡庸さのなかった人物なので、虚実取りあわせ、「あだ人と樽をひつぎ」の前句に、「けしの一重に名をこぼす禅」と付けたのだろう。

 こぼすは流すといっているようなものである。『和漢文操』、『雲鈴行状記』などを引いて、死を予知して仏花をいけて大いに祝い、罌粟の花の散るように成仏しようと杯膳のあいだに座を占めた生死を達観した居士だ、などと『婆心録』の解するのは、必ずしも当を得ていないように思われる。前句が豪放狂逸の態なので、一休のように不羈の禅僧の面影を借りて点出したと解するのが穏やかである。

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