2015年1月12日月曜日

ケネス・バーク『恒久性と変化』22

第二部 不調和による遠近法

第一部は「定位」一般を論じた。第三部は「新しい」定位の原理を論じるつもりである。中間の第二部は、移行そのもののあり方を扱うこととなろう。こうした変容の諸条件には単なる知的問題ばかりでなく、深い感情的問題が関わっているので、分析は「敬虔」と「不敬虔」についての議論に集中する。敬虔は、「存在の源」に従おうとする熱望であり、通常考えられているよりずっと幅広い動機をあらわしている。逆に、その最も良心的なものでさえも、新しい教説には必然的に、不敬虔の要素とそれに対応する罪の感覚が含まれている(その教説が後に、妥当性、非妥当性についての一般的に受け入れられた規範として正統になるにしても)。中間段階は、悲劇の祭儀における「かきむしり泣き叫ぶ」(生贄の八つ裂き)段階に類似した破壊や断片化を含んでいる。(ヘーゲル弁証法で相当する部分は、「ロゴノミカルな贖罪」と呼ばれる。)ここで、理性は「不調和による遠近法」と呼ばれ提示される(ヘルメス的、メルクリウス的スタイルが特に強調され、それらは互いに排除し合うと感じられていたカテゴリーを混ぜ合わせることで得られる)。これは「ガーゴイル」の領域である。特に、精神分析が不調和の遠近法によって見られる。というのも、その治療は不適当、或は「計画的な不調和」、或は「方法的な誤称」の原理に導かれているからである(悪魔払い師が、憑かれている者が言うのとは合致しない名前を呼んで悪魔を追い出すように)。しかし、新たな意味の探求には深い感情的なものが認められる一方(身体に聖痕となってさえあらわれる感情)、純粋に合理的、「知的な」要素の重要性もまた強調される。キリストと聖パウロが新たな意味を提示する異なったタイプとして比較される。

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