§5.このことからそれに対応した間違いに移ることができる。肯定判断が否定において前提とされているというのが間違いなら、述語だけが影響を受けるのだから、否定そのものは一種の肯定であるとするのも同じように間違いであろう。後でこの教義にある真理を見ることになるが、ここで仮定されているような形では我々には受け入れることができない。ある種の性質をもつ事実によって排除を行なうことは特殊な表現を要求する過程である。そして、「AはBではない」を「Aは非Bである」に置き換えることで問題を単純化するように求められても、明らかな難点を見いだすだけである。Aが非Bを受け入れることを知るためには、AがBを排除することをあらかじめ学んでいなければならないのではないか。もしそうなら、我々は最初に否定することによって否定を肯定に還元し、それから否定していることを肯定することになる。この過程が適正であることは間違いないが、還元や単純化とはとても言えないだろう。
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