2015年1月10日土曜日

幸田露伴『評釈冬の日』しぐれの巻23

捨てし子は柴刈る長にのびつらむ 野水

 前句を、遠いところから荘屋の家の老松を詠じて贈ったものと見て、その歌を贈った人の心のなかの思いを述べたものである。昔、落魄した身の旅路に妻を急病で失い、どうにもならなくなって、富裕な庄屋の松の木陰に、まだ東西も知らない子供を、頼み状、しるしのものなどを添えて捨てた窮士が、いまは離れた国にあって、やや安楽の生活を得たが、昔の哀しい思い出が寝覚めのごとに胸に迫って、衰えいく身には頼る杖さえないが、あああの子はどうなっただろうか、指折り数えれば十年余りの月日が経ってしまい、誠意を込めて頼んだので、養い育てて下働きにでもしてくれていようが、幸いに病気にもあわず死んでいなければ、いまは柴刈るほどの丈にも育っていようと、思うにつけても、一夜の露を防ぎ、行く末の栄にあやかりたいものだと、頼みをかけたかの松の常磐の枝の、星の下で繁り黒ずんで垂れていた様子が、眼に浮んで忘れることができず、さすがに名乗っていくこともできないので、それとなくその松を詠んで歌を贈れば、それからつきあいも生じ、よそながら我が子のことも知るよすがにもなろうか、という風情である。

 いまは捨て子などというものは非常に稀なことだが、昔はそうしたこともしばしばあった。この附け句、旧家の老松から考えだされたものであるが、ただそれのみならず、歌に深く入りこんで、一句の姿を映りよくつくってあるので、再三読み返すと、その人、そのこと、その情、目前に彷彿としてあらわれ、なんということもなくひとをして涙を催させる。拙いつくり物語の数十を読むに勝って感慨が深く、重五の花見次郎は笑わせ、野水のこの句は泣かせる。

 この句を解釈するのに、『平家物語』巻六の、平忠盛「妹が子は這ふほどにこそなりにけれ」、平河法王「たゞもり取りてやしなひにせよ」、の連歌を引き、あるいは『小町物語』の、「我せこは都にありと盬がまのまがきが浦の松ぞ恋しき」の歌を添えて、小町は捨てられたということを引いたりするのは必要がない。

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