2015年1月17日土曜日

幸田露伴『評釈冬の日』しぐれの巻25

雪の狂呉の国の笠めづらしき 荷兮

 東坡の面影と解するのは間違いである。『語林』には、「王子猷は山陰にいた、大に雪が降り、夜目覚めた、部屋を開け酒を汲む、四方は白く光っている、それゆえ立って歩きまわり、左思の招陰の詩を詠じ、載安道のことを思った、そのとき載は剡渓にいたので、夜軽船に乗って載のところに行こうとした、宿に泊まって家に着いたが、門の所まで来て、そのままかえってしまった、人がその理由を聞くと、王が言うには、自分は興に乗じてここまできたが、興が尽きたのでここで帰る、どうして載に会うことがあろうか、と。」とある。このことは風流で、おもむきが深いので、詩に詠じられ、絵に描かれ、雪には先ずあげられる典故となり、後には剡渓を載谿とさえ呼ぶようになった。

 山陰、剡渓はともに呉にある。雪の狂、呉の笠というのはこのことから解くべきである。東坡の面影などというのは、この故事を無視した妄想による解釈である。さて、前句とのかかりは、この故事を踏まえて、寒い晦日に刀を売る痩せ浪人のもとへ、風流な旧友が、この大雪にどのように暮しているだろうと、訪載の古談そのまま、簑笠に紛々と降る雪をしのいで、竹の網戸に立ち寄ったさまを、「呉の国の笠めづらしき」とつくった。

 もとの文章では門で帰ってしまうが、これは旧案を翻して、日陰の友を雪に乗じて訪れたとしているが、これが誹諧であり、主人は肩寒く、客は心暖かく、主人の衣の膝頭がやつれ、客の刀の鏢が簑の端に見えるように思われて面白い。刀を酒に変えて饗応する、という旧解は行きすぎである。どちらかといえば、酒肴はむしろ、「呉の国の笠」をしたとつくられた客の方こそ、僕にもたせてきたとするべきだろう。また、互いに乱を避けた賢者などと解するのも余計なことである。いつもの荷兮の演劇めいた趣向を、物々しく句づくりしただけであるが、「めづらしき」という下五文字は、実によく働いていて、何年ぶりかであう様子が見え、鍼灸師の一針で気血を動かす妙がある。

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