2015年1月24日土曜日

幸田露伴『評釈冬の日』しぐれの巻27

あだ人と樽を棺に飲乾さん 重五

 あだ人は中国の俗語に、情人を冤家といい、今風の言い方でかわいい人を命取りなどというように、忘れがたい人である。『古今集』巻十五、読み人知らず、「あきと云へばよそにぞ聞きしあだ人の我をふるせる名こそありけれ」。 『源氏物語』玉葛の巻、「むかしの懸想のをかしきいどみにはあだ人といふ五文字をやすめどころに置きて言の葉つづきたるよりある心地すべかめりなど笑ひたまう。」また、貞亨四年去来の初雲雀の発句の歌仙で、嵐雪の、「つつむにあまる腹気おさへし」の句に、「仇人の為にかくまで氏を捨て」と芭蕉は付けた。これらの例でわかるだろう。

 棺、槨、柩どれもひつぎと読む習いである。ひつぎはひときであり、人を容れるものであり、酒樽を直ちに身を収めるものとしようと、痛飲して死をかえりみないこともある。『晋書』巻四十九、劉怜伝には、怜はかつて小さな車にのり、一壺酒を携え、鋤をもたせて人を従わせ、死んだらすぐに埋めるよう言ったという。この句、なすに任せたかぶった様子に似たものがある。前句とのかかりは、解さずとも明らかである。

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