§8.「欠如」と「対立」との区別(シグヴァルト128頁以下)も、我々が述べたことの本質を変えはしない。欠如の判断においては、「赤」という述語は、主語となるものには赤がないことによって否定される。主語はまったく色のない暗黒かもしれない。しかし、「赤」が、主語が「緑」であるために否定されたのだとすると、排除し合う対立する性質が現前することになり、判断は現にある対立に基づいていることになる。この区別は、後に別の文脈で見ることになるが、最も本質的なものである(第六章、第三巻II.第三章§20参照)。しかし、いまの我々の問題には関係ない。どちらの場合にも、主語はある性質をもつものとされている。つけ加えられることでも削減されることでも個別の性格は破壊される。もしある物体が色がないために赤ではないなら、色をつけ加えることは我々がいま見ている物体を破壊することになろう。公平に言って、この述語が受け入れられれば、主語はもはやあるがままの主語ではなくなるだろう。もしそうなら、結局どちらの否定も矛盾する性質や性格から始まっていることとなろう。
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