§4.しかし、この真理の知覚は我々を誤りには導かないに違いない。我々は否定は存在する判断の否定だとは決して言わない。というのも、判断には信念が含まれているからである。我々が否定するものは一度は信じられていなければならない、ということではない。また、信念と不信とは両立しがたいものなので、否定判断は、その存在や消失によって否定そのものを取り除く要素に依存する形でつくられるのかもしれない。我々が否定するのは観念の実際の事実への指し示しではない。かく性質づけられた事実の観念であり、否定はそれを排除する。それが追い払うのは提案された総合であり、真の判断ではない。
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