2015年1月5日月曜日

幸田露伴『評釈冬の日』しぐれの巻22

荘屋の松をよみておくりぬ 荷兮

 荘屋の称は『本朝文粋』、延喜二年の官符の文にも見られるものなので、大変古いもので、里正のことである。旧註には、矢矧の里の庄屋の庭前に大きな松があって世に知られていたが、亨保年間に焼失した、とある。旧家には老樹が多いのはよくあることなので、そうしたこともあっただろう。ただし前句を下手な狂歌の上の句と見ての附け句であるとの説は首肯しがたい。長々しい橋の高みからしばらくのあいだ老松を望み見たままを、一首の歌をつくるに至ったおもむきの付け句である。長々しい橋の高いところから見ていることを見落としては、たとえ矢矧の里正の家に老松があって有名であったにせよ、この句は甚だ味のないこととなる。

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