襟に高雄が片袖を解く 芭蕉
高雄は名高い遊女であるが、ここではその名を借りて、優雅艶麗、盛名豪気の遊女という意味に用いられるものであり、何代目かの高雄にこうしたことがあるなどといえば、愚か者の前で夢を語ることもできないだろう。
襟は衣服の襟であり、転じては項をもいう。「襟に片袖を解く」とは、襟巻きをつくるのに衣を解いて用いるという意味である。前句を雪に浮かれて唐渡りの笠などをしてきた風流で、意気軒昂の人と見て、高楼の屏風をどかし簾を掲げて冴え冴えとした四方の雪を賞し、酒を汲むにあたり、名妓の衣を解いて襟巻きとする豪華至極のありさまをあらわしている。
前には津波を出して仏を食った魚に驚かされ、いまはまた唐物の笠を衒って高雄の袖で切り返される、荷兮もきっと及ばざることを歎いただろう。元来荷兮は才能はあるが、心が高ぶりたるものと思え、後には芭蕉にはしばらく背いたほどなので、その句も面白いものが多い代わりに後がつけにくいものが多い。『冬の日』の作者中では、荷兮とくつわを並べ先を争って、しかも筋のいいのは野水であり、野水の句もまた後につけにくいのが多い。ゆえに、集中で、芭蕉の付け句を得たのは二人がもっとも多く、他のものは付け悩んだのだろう。
芭蕉の付け句を得たのは、野水は十二、荷兮は十一、重五は三、杜國は四、それからみても、重五矢杜國の句は安らかで誰にでもつけやすく、野水や荷兮の句はけわしく勇者でもよじ登りがたいものがあるために、自ずから芭蕉の補う手腕を要するものが多かったことが推察できる。特に荷兮は演劇めいた情景、物々しい句づくりを喜ぶくせがあり、「巾に木槿をはさむ琵琶打」、「櫛箱に餅すゆる閨ほのかなる」、「夏深き山橘に桜見む」などという句、みな付けにくい句で、なかでも、「巾に木槿」、「此の呉の国の笠」にいたっては、一座の者が困ったことだろう。こうした句も強いて付けようとすれば付けられないことはないが、おおざっぱに付ければ逃げ句となり、単なる情景の句となって、一句としてなりたつ詩趣がない前句の奴婢のような句となるために付けにくい。だが、蜀の道の険があってはじめて鄧艾は功績をあげ、宇治の流れがあってはじめて佐々木梶原も勇名を輝かしたわけであり、難句の後に力量のあるものが付けるときは却って佳句や奇句があらわれることが多い。櫛箱の句の後に、「鶯起きよ紙燭とぼして」の句、「呉の国の笠」の後に「高雄の片袖」の句のように、一座の興も却ってここで盛んになっているのが見られる。
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