§22.観念の総合に判断を求めようとする試みは、再び出口のない状況に我々を追い込んだ。どれだけ希望が薄かろうが、我々は、判断は、一瞬間に限られるものではない現前において直接に出会われる実在、時間と空間においてあらわれる実在へ向けて観念内容を指し向けることである、という教義に立ち戻らなければならない。時間的な出来事であること、空間における現象であるといった性質によってではなく、与えられたものであることによってそれは唯一無比のものとなる。それが唯一無比であるのは、ある性質をもっているからではなく、それが
与えられたものであるためである。我々の系列は、直接に接触点をもつのだろうと、あるいは間接的に接触点と連続したところで接するのだろうと、実在と関連をもつことによって排他的なものとなる。多分、これを次のように、つまり、実在であるのはただ「これ」だけで、観念は「これ性」に関する限りは十分うまくいくが、決して「これ」を与えることはできない。恐らくこれは難解な物言いであり、勇気と忍耐力を持って戦っていかねばならない困難を告げている。
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