2014年7月31日木曜日

二度めの正直――スタンリー・キューブリック『アイズ・ワイド・シャット』

医師夫妻が名士のパーティに招かれる。夫(トム・クルーズ)は二階の名士の部屋で麻薬でショック症状を起こした裸の女性を介抱し、妻(ニコール・キッドマン)はダンスしながらプレイボーイ気取りの男に熱心に口説かれているが、酔いに身を任せているのか、強く拒むわけでもなく、むしろ触れなば落ちんと誘い込むようにほほえんでいる。

この微笑は非常に特徴的である。なぜならそこにはなにも読み取れないからである。少なくとも心理の綾や駆け引きとは無縁であり、誘い込むようにとはいっても、無意識的な隙や罠があるわけではない。裏になにもない誘い込むような微笑が浮かんでいるだけなのだ。

翌日の晩、ふとした諍いから夫は、妻が過去に経験した精神的不貞の告白を聞き、妻がその男とベッドをともにする映像が頭を離れなくなる。そのすぐあと、患者が急死したという連絡を受け、夜の街にでる。

この映画は、一晩ではすまないが、街を彷徨して風変わりな人物たちと事件に出くわすという意味では、マーティン・スコセッシの『アフター・アワーズ』に似ているし、夫の欲望が常に中断され結局は満足されることはないという意味で、ブニュエルの『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』や『欲望の曖昧な対象』などにも似ている。

妻の不貞によって喚起された映像や、友人の思いがけない愛の告白などによって欲望をかき立てられた夫は、素人とも娼婦とも思える女の部屋に入り、行為に及ぼうとするが、妻からの電話に邪魔される。また学生時代の友人のピアニストから強引に話を聞き出して、貸衣装で仮面と礼服を借り、秘密クラブに入り込む。そこでは仮面をした者たちがなんらかの儀式をおこなっており、屋敷の各部屋では男女が裸で絡み合っている。上流人士ばかりが集まる場所らしく、仮面の女性から警告を受け、すぐに追い出さる。翌日同じ場所に訪れてみるが、それ以上秘密を探ると安全の保証はできないと釘を刺される。

だが、この秘密クラブも、妻の微笑と同じく、奥行きがまったくない。特に倒錯的な行為がおこなわれているわけではないし、淫靡な雰囲気が漂っているわけでもない。秘密のクラブではあっても、謎めいたところは一切ないのである。

当初、シュニッツラーが原作で、トム・クルーズとニコール・キッドマン夫婦を主演にして映画を撮影していると聞いたときには、どんな映画になるのか、見当がつかなかったものだが、案の定というべきかウィーンの享楽的なエロティシズムとは隔絶しており、それこそのがこの映画の魅力となっている。女性や性は、ちらちらと秘密を開示しながら複雑な襞を生みだすものではない。キューブリックの完璧主義といわれるものは、むしろニコール・キッドマンの微笑のような、変化することなく、心理や情をはじき返すなめらかな表面を研磨することに精力を傾けている。その意味で、訓練生たちの皮肉な良識や自殺に至る狂気などを描くことによって表題そのものよりもその綻びをあらわにした前作とは異なり、この映画ではより鮮明にフルメタル・ジャケットとしての女を表現している。

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