2014年7月16日水曜日

幸田露伴『評釈冬の日』初雪の巻3

野菊までたづぬる蝶の羽折れて  芭蕉

 句は言葉通りで解する必要もなく、明らかである。ただ、発句は初雪で冬、脇も霜で同じく冬、第三句は野菊で秋だが、美しい園の菊ではなく野菊までといい、蝶も元気ではなく羽が折れているといっているので、前句との写りあい自然で無理がなく、各句各々独立しており、その間に景色、情調の微かな感触が通じていてよい趣を出しているのをみるべきでる。

 曲齋がこの句は前句を霜のなかにある墓と見なして付けたというのは解釈がいきすぎている。また何丸は、この句は「槿花発飯台、秋虫入文門」という古語によっているというが、無駄な解釈である。前句の朝顔は槿の花ではない。またその古語というものも奈良平安の頃の人の句であるか、必ずしも良いものとはいえず、芭蕉がそれによったとしてもそれによって芭蕉が光るわけではない。「岩もとすゝき冬や猶見む」に「野菊まで尋ぬる蝶の羽折れて」と付けた古連歌があるという。偶然であろう。

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