『鬣』第43号に掲載された。
玄界灘を臨むもっとも険しい峠が骨餓身峠と呼ばれる。いかにもおどろおどろしい名前だが、小説の世界を存外正確にあらわしているかもしれない。というのも、精神と肉体の分離や相克はよく扱われるが、ここにあるのはむしろ、骨が身に餓え、身が骨に餓えるような、人間的な実存というよりは存在そのものの不安定さだからである。
この峠に葛作造という風来坊の抗夫が居つき、炭層を掘りあてる。鉱区申請して許可を受けたのが大正の初めのことで、長男長女の二人の子供をもち、元締めとして豊かな生活を送るようになった。炭鉱では事故や炭塵を吸い込んで胸を侵されて死ぬ者などもあり、死人は林のなかに埋葬され、その卒塔婆には必ず根無し葛に似た寄生植物がまといつき、山の者はそれを死人葛と呼んだが、名前に似ぬ可憐な白い花を咲かせるのだった。作造の長女たかをはこの花を好み、庭に植えたがったが、父親はきつく叱った。白い花は死人の身を養分にして咲くもので、いわば骨と花とのあいだで身のやりとりが行われるのであって、花と人間とが共存して存在として完成することは決してないのである。
人間は人間としての地位を失い、植物の世界に参入することによってのみ可憐な花を得ることができる。そしてこの小説もまた、無道徳な植物の世界に入っていく。節夫とたかをの兄妹は貧しかったときのまま手足を絡ませて添い臥していたが、死人葛を移植することをきっかけに交わるようになる。この近親相姦は甘美だが、その甘美さは、性的幻想が満足させられることからくるものではなく、人間としての地位や実存が崩壊するときの眩暈を伴った甘美さである。
「節夫は、ふと自分の体に、死人葛のつるがからみつき、わが血肉を養いとして、みるみる花をたわわに咲かせる幻想が浮かび、それはたとえようもない悦楽に思えた。あの、はなす時にブツブツとちいさく音をたてたつるの吸盤の、わが肌のいたるところにとりついて、血を吸いとる、つるの毛細管の中を一筋の赤い色が、つっと走り、みるみるわが体の、痩せおとろえ、やがて肉もそげおち、渋皮まるめた如きみにくい姿とかわりはて、つるはあたらしい養い求め、自分を見捨てる」とあるとおりである。
その後、二人の交わっている姿を発見した作造が節夫に取って代わり、たかをは作造とのあいだにできた娘さつきと交わる、と性別を超えた近親相姦の環が続いていくのだが、それは炭鉱という閉じられた世界が人間のものから植物のものへと滑り落ちていく過程なのである。敗戦後も朝鮮戦争のころまでは活況を呈した炭鉱だったが、やがて不況を迎え、寂れていく。
そして、たかをが長となった集落では、炭鉱を維持することなどまったく配慮されなくなり、ただ死人葛の白い花を絶やさないことが目的となっていく。女は見境なく男と交わり、葛の栄養となり花を咲かせるための子供を産むことだけが仕事になる。最後にはその手間ももどかしいかのように、全員が殺し合いに参加し、人間のいない完全な存在の世界に帰っていくことで小説は終わる。
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