2014年8月31日日曜日

幸田露伴『評釈冬の日』初雪の巻18

禿いくらの春ぞかはゆき 野水

 禿はかぶろともかむろともいい、本来は髪がない意味で、髪振(振り乱した髪)という意味は間違っているだろう。髪を束ねないのを禿というのは、あるべきものがなく、冠もかぶっていないことからいうのだろう。

 『源平盛衰記』巻一に、「入道殿のはからいで、十四五、もしくは十六七の童の髪を首のまわりで切って、三百人召し抱えた」とある。またそのあとに、「入道殿の禿といえば京中でも較べるもののない高い身分のものだった」とある。このことから、髪を首のまわりまでにして切り、束ね結うことがないのを禿といい、またそうしたかむろ髪をしたものを禿といったことは明らかである。女性でも天和貞享のころはかむろ髪にしたものが多いことは、浮世絵などに見える。

 この句の禿は十三四の女の子である。「いくらの春ぞ」は幾年の春を重ねたのだろうということである。この禿は嫁入る人に付き添っていく童女だとも、輿入れする幼い姫が禿なのだとも、嫁入りする人を見にでてきた禿を嫁がほめたのだとも、諸説ある。かぶろ髪の姫君の輿入れするということはあまりに稀なので、前句の「いかめしく」というのにつけて、切り禿の美しい女童を新しくきた人物が召し連れていたのを見ていたものが、新しくきたひとの顔はよく見えないが禿の美しいのを見て、「いくらの春ぞかはゆき」というおもむきを述べたものだろう。幼い姫の輿入れというのは、「初花」という言葉に幻惑された解釈だろう。

2014年8月30日土曜日

ブラッドリー『論理学』66

 §41.人間の生は一つの場面であらわすことはできず、この例は我々が考えたよりも射程が長い。生は単に系列をなす出来事の継起であるのではなく、(我々が思っているところでは)なんらかの同一のもの、あらゆる出来事に異なった姿でではなく、真の同一性をもってあらわれるなにかを含んでいる。我々は単称判断の三番目の主要なクラスにたどり着いたのであり、出来事ではない主語のことを語っている。この種の判断は、そこで扱われる個的なものがある特定の時間と関わっているのか、あるいはどんな時間とも関わっていないのかによって二つに分けられる。

 III.(i)人間や国家の歴史においては、我々は実在を指し示す内容をもっているが、その実在は所与の知覚への関係によって決定される系列のある部分にあらわれるものである。(ii)二つめの分類には、普遍や神や、魂を永遠のものとするなら魂に関する判断を入れなければならない。ここでは、我々の観念は知覚において見いだす実在と同一であるが、それは現象の系列のいかなる部分にも結びつかない。もちろん、そうした判断は錯覚だと言われるかもしれない。しかし、既に見たように、もし正しいとしても、この結論は我々にはする場所のない形而上学的探求によってのみ確立される事柄なのである。そうした判断は存在する、そして、論理学はそれを認める以外のことはできない。

 この三番目で、最後の単称判断のクラスは他のものとは異なっている。その本質は、究極的な主語は、「これ」にあらわれたり、系列のどの出来事かにあらわれる実在ではないことにある。しかし、この区別はある程度まで不安定である。分析判断が常に総合判断になろうとするように、ここでも、このクラスの最初の判断を総合的判断から明確に分けることは不可能である。一方において、時間的要素の連続性は単に系列的であるような性格を厳密に排除する。出来事に関するあらゆる判断において、我々は知らぬうちに同一性の存在を肯定している。他方において、ある系列における個的な生は、系列を形づくる判断のクラスにごく自然に属しているように思われる。しかしながら、個的なものに関する限り、我々は明らかに出来事の変化を通じて変わらないなんらかの実在を認めているのであるから、原則的に揺れ動くことは認めた上で、この区別を保ち続けるのがいいだろう。個人の人間の例は、我々を分析判断から総合判断へと導いた。また、それは更に先へ進む助けとなる。

2014年8月29日金曜日

襞の奥には底なしの穴――俳句


魂が持ち重りする日ノ出町

切通し林のなかの消尽点

ぐりぐりで国土回復する女体

お守りは樟脳玉を虫除けに

内腿を縁側と見立てる若旦那

罪人が化物屋敷で積み木積み

春うらら煉獄の丘でのダウジング

痛い膝あなたが嚙んだと思い込み

2014年8月28日木曜日

幸田露伴『評釈冬の日』初雪の巻17

初花の世とや嫁のいかめしく 杜國

 「嫁」は「よめり」と読むべきであり、動詞から派生した名詞と読まなければここではよくない。「よめ」と読んで、字足らずなので脱字があるとして、「初花の世とてや嫁」とするひとがあるのは間違っている。この句もまた句づくりがはなはだ巧みで、場景の転変と収め方が非常に際だっている。「とや」という一語が、霊妙である。

 一句は、ああ、初花の世になったことだ、あの嫁入りの行列の美しく立派なことよ、というだけのことだが、言外には、地蔵をつくるのは多くは幼くして死んだ幼児のためにすることなので、まだ立たないうちに落ちる花もあれば、まさに開いて照り輝く花もあるという感じをあらわす意味もある。しかし、句の上では、こつこつと地蔵をきる町の、もともと賑わっているわけでもない通りを、飾り立てた花嫁に付き添いの女たち、仲人、親戚、供の男など、なるたけいかめしく装っていくをのをあらわしただけである。

 だが、もしこの句が「初花の世とて嫁のいかめしく」であれば、状況や起きていることは同じだが、余韻がなく言葉がつきて、意もまたつきている。「初花の世とや嫁のいかめしく」とあることで、作者が句中に顔をださず、別に行き交う路上のひとがあって、この嫁入りを見て、前句の地蔵をきる音を聞き、いうにいわれぬ感じを抱けるのを見る心地がする。

2014年8月27日水曜日

ブラッドリー『論理学』65

 §40.多くの難点に出会い、そのうちのいくつかは解決できたと私は信じているが、単称判断の第二の区分についての考察を終わることになる。第三の、時間における出来事の数に限定されない判断に移らねばならない(§7)。しかし、先に進む前に、しばらく時間を割き、いかにも危険な実験ではあるが、ある総合判断を取り上げてみることにしよう。ホガースの遊女や放蕩者が練り歩く一続きの絵を思い浮かべてみよう。しかしそれ以外にもつけ加えることがある。系列のなかの一つの絵は実在で、実際の部屋に現実の人間がおり、この実在の部屋の壁にはそれより前と後の絵が掛かっていなければならない。部屋にいる人間と絵のなかにいる人間とは同じ性質をもっているので、額縁は無視して、全系列は彼の過去と未来として配列される。我々はこのようにして目に見ることのできる部屋、現前する場面を超越して時間の系列として拡がっていく人間の現実の生を見てとる。

 しかし、我々の見る実在の部屋にいる男は身体があり、骨があり、息も血もあるが、その過去と未来は、実在ということで感覚される事実を意味するなら、ガラスと木と絵の具と画布以外の何ものでもない。それは我々皆の未来や過去と同じである。記憶や予期による出来事は我々の心にある事実でるが、それがあらわす実在は、絵の具と画布による心臓以上のものではない。疑いなくそれは実在をあらわし、我々はもしそれが事実ではあり得なくとも、少なくとも真ではある、と密かに信じている。実際、もし真実が実在をあらわす自然で不可避的な方法を意味するなら、それは正しい。しかし、真実ということで、もし我々がそれ以上のことを理解するとするなら、実在が我々の観念的な構築物にあらわれる通りのものであり、現実にそこには過去、現在、未来の事実が存在すると言うなら、我々が調べてきたように、真実は虚偽にへと変化するのではないかと私は恐れる。知覚による検証でも間違っているだろうし、別の基準で試したとしても、より虚偽であることがはっきりするだけだろう。

2014年8月26日火曜日

プラトンからポオへ――ノート20

 衣食住を満足させることだけで国家は形成されない。衣服、食物、住居を作りだすにはそれぞれ独自の道具がいり、もちろん、道具を製作するにも道具がいるので、必要とされる職種は、生存に不可欠なものの数十倍に増加する。

 さらには、絶海の孤島でない限り、他の国との交渉が存在することを考えねばならない。友好的な外国も、敵対的な外国もあることを思えば、外交の役割を果す者や兵士も必要となろう。そしてなによりも、必要最低限な愛国心と国家への忠誠が要求される。それゆえ、国家においてもっとも重要なもののひとつに教育があげられることになる。こうした議論の過程で、プラトンにおいて有名な、詩人や劇作家に対する非難があらわれる。欲望の限りをつくす神々を描きだす叙述は、神々に対する崇敬と「健全な」道徳とを同時に損うことになろう。

 教育科目としてあげられるのは、主として詩と音楽、そして身体的な教育である。身体的教育についてド・クインシーは面白い指摘をしている。オリンピックの発祥の地として古代ギリシャは有名だが、運動選手としての教育と、兵士として役だつ教育とは異なるということだ。こうした無駄話は私がド・クインシーにおいて最も好むところでもある。

 「剣闘士の学校は、よく知られ変わらないのは、公的な祭りや試合の前に体力を最大限に準備するためのものだということである。現代の、そして古代の訓練体系では、この準備段階の教練はきちんと計算できるものであったことが知られている。『ファン』が我々のなかにもいる拳闘家は、厳しい罰則規定のある法的な契約関係に入り、試合の時日が決まると、その六週間前からトレーニングに入る。試合までの日、食事、練習、睡眠、すべてを規則的に管理し、筋肉と体調を最上の状態に整える。さて、確かに一般的に見れば、プラトンの兵士の目的も同じであるが、重要な相違点がある。つまり、彼らの戦いは一日や二日ですむものではなく何日もかかるし、決められた日どころか、いつ始まりいつ終わるのか、どれだけ続くかもわからない。この相違一つですべてが変わる。古代と現代のトレーニングは二つの顕著な事実について一致している。一、異常な訓練によってついた体力は長続きせず、一様に貧弱といえる状態にまで落ち込んでしまう。シジフォスの岩のように、抵抗するものを苦痛に満ちた異常な努力で頂上にまで押し上げると、それが転がり落ちるときの大音声の激しさもすごいものになる。激しい状態は突然の反動を生まざるを得ない。二、異常な緊張からくる痙攣は危険を伴わずにいないことがわかっている。卒中や動脈瘤破裂といった突然の死は、自然の器官を危険なまでに酷使することから起きがちなのである。これもまたギリシャの経験したことだった。力をつけ、安全を確保するには時間をかけなければならない。そんなわけで、プラトンは身体的訓練の大きな法則として、食事、練習、節制、力をつけるための体操などを運動選手の学校から兵士のために借りることをやめたのである。」

 プラトンのほうは、これ以降理想的な国家についての対話が続くが、さしたる興味はないので省略する。要するに、正義とは知恵を愛し求めることであり、哲学者こそがそうした正義を満たすことのできる人物である。そして、哲学とは次のような行為である。

心底から学ぶことを好む者は、真実在に向かって熱心に努力するように生まれついているものであって、一般にある思われている雑多な個々の事物の上にとどまって、ぐずぐずしているようなことはないのだ。そのような人は、真実在に触れることがその本来の機能であるような魂の部分――真実在と同族関係にある部分――によって、〈まさに何々であるところのもの〉と呼ばれるべき、それぞれのものの本性にしっかりと触れるまでは、ひたすらに進み、勢いを鈍らせず、恋情をやめることがない。彼は魂のその部分によって、真の実在に接し、交わり、知性と真実とを生んだうえで、知識を得て、まことの生活を生き、はぐくまれて行く。そのようにしてはじめて、彼の産みの苦しみはやみ、それまではやむことはないのだ

 真実在とは生成消滅しないようなもの、原型、イデアであり、プラトン哲学の根幹をなすものである。しかし、翻って考えるなら、いらだたしく思えたソクラテス流の対話術、曖昧でぬらりくらりとした答弁のあり方こそ生成消滅の最たるものではないだろうか。

 「あなたがいま言われるようなことを耳にするたびにいつも、聞く者たちのほうは何となくこういう感じを受けるのです。つまり、こう考えるのです――自分たちは問答をとりかわすことに不馴れであるために、ひとつひとつ質問されるたびに、議論の力によって少しずつわきへ逸らされて行って、議論の終りになると、その〈少しずつ〉が寄り集まって大きな失敗となり、最初の立場と正反対のことを言っているのに気づかされる。そして、ちょうど碁のあまり上手くない者が碁の名人の手にかかると、最後には閉じこめられて、動きがとれなくなるのと同じように、自分たちもまた、碁は碁でもちょっと違った、石のかわりに言葉を使うこの碁によって、最後には閉じこめられて、口を封じられてしまう。しかし、だからといって、真実そのものはけっしてそのとおりのものではないのだ、と。」

 このように対話者であるアデイマントスに言わせているプラトンがそうしたことに無自覚だったわけがない。プラトンが描いたソクラテスと実際のソクラテスの応対のあり方や思想にどれほどの懸隔があるか、現在の研究でどこまで認められているのか私にはわからない。たしかニーチェはどこかで、ソクラテスの殺害者としてプラトンを批判していた。しかし、体系的な思想などまったく目指しておらず、それについてはこんな話があってね、とそれこそド・クインシーのように逸脱に逸脱を重ねるソクラテスの姿も想像できなくはない。


 ド・クインシーが寄稿していた雑誌に1817年に創刊されたブラックウッドがある。『阿片常用者の告白』も同誌に掲載されたものだ。ところで、ポウに「ブラックウッド風の記事を書く作法」という短篇がある。この短篇のなかで、『阿片常用者の告白』は「すばらしい、じつにすばらしい!――荘厳な想像力――深遠な哲学――鋭い省察――火のような激情に満ちみちている上に、断固として理解不可能なものでたっぷりわさびをきかしてあります。一片のフラマリともいうべきもので、読者はさも心よげに舌つづみをうったもんですて」(大橋健三郎訳)と紹介されている。フラマリとは、訳者の注によると、牛乳・卵・小麦粉などでつくった甘い食品だが、「たわごと」の意味ももっているという。

 内容は、「人類を、教化する、ための、フィラデルフィア、公認、交流、絶対、茶道、青年男女、純、文芸、世界、実験、書誌学、協会」の客員書記というとんでもない長い肩書きをもつサイキー・ジノービアという女性が、雑誌が刊行されているエディンバラに赴き、創刊者のブラックウッドに記事の書き方を教わる。

 ブラックウッド誌でもっともすぐれているのは、「怪奇もの」あるいは「激情もの」とも呼ばれている記事で、怪奇や激情はポオの小説の大きなテーマを成しているから、この短篇は、詩「大鴉」ができあがるまでを詳細に解きあかした「構成の原理」の散文版とも言えるかもしれない。もっともパロディ的、ナンセンス小説的体裁をとっているが。

 とにかく、ブラックウッド氏の言うには、まず感覚を書きとめること、しかも誰も出くわしたことがない苦境に自ら落ちこんで、そこでの感覚を書くことが肝要である。さっそくジノービアは首をつろうとするが、けっこうですが、月並みですな、とたしなめられる。主題はそれでいいとして、次に文体の問題がある。文体には簡潔調、昂揚、散漫、間投詞調、形而学調、超絶主義調、それらすべてをこき混ぜた混成調がある。そのほかに、博識らしく見せるために、気のきいた事実や表現があり、フランス語、スペイン語、イタリア語、ドイツ語、ラテン語、ギリシャ語など断片的でいいから文章にはめこむことが推奨される。

 こうした教えを受けたジノービアが混成調で書いたのが、「ある苦境」というポウのもうひとつの短篇である。黒人の召使いと愛玩犬のダイアナとともにエディンバラを歩いていると、ゴシック風の大きな教会に出くわす。ジノービアはその尖塔に登り、エディンバラの全容を見わたしたいという抑えがたい欲望にとらえられる。塔に登った彼女は、召使いの肩を借りて、床から七フィートほどの高さにある四角な孔から首を突きだして、三十分以上も眼下の神々しい景色を眺めていた。ところで、この四角の孔とは時計盤に開いたものであり、そこから時計の針を調節するためのものだった。うかうかと素晴らしい景色を眺めているうちに、まさしく「時の大鎌」たる長針が首に喰いこみ、引き抜くことができなくなってしまうのである。この圧力によってまず片眼が飛びだし、尖塔の急な斜面を転がり、雨樋のなにかにはまり込んだ。しばらくするともう一方の眼も飛びだして同じような道筋をたどった。やがて最後の皮もちぎれ、首が通りのまんなかに落ちていく。

 ところが、彼女が感じているのは迷惑を及ぼしていた首を厄介払いできたという幸福感なのだ。二つに別れたジノービアはどちらも自分の方こそ本当のジノービアだと思うのだが、なんとも曖昧である。いつものように嗅ぎ煙草を吸おうとしたのだが、鼻のある首がないのに気づき、首の方へ投げてやる。「首はしごく満足げに一ひねり鼻にあてがうと、感謝のしるしに私に向かってほほえんでみせた」というのだが、いったいどうやって首は嗅ぎ煙草を鼻にあてがい、胴体はどうして首のほほえみを知ることができたのだろうか。しかしないはずの手足に痛みや痒みをおぼえる幻肢のように、幻首あるいは幻胴体というものがあって、嗅ぎ煙草の臭いも胴体が見たほほえみもそうした感覚を正確に書きとめたものかもしれない。

 起こりうるはずのない出来事が異様に鮮明な感覚を伴っているポオの描きだす世界は夢に似ている。『マルジナリア』のなかでポオは、善人は死後もなお存在するが、悪人は死ぬことによって絶滅するという面白い世界観を提示している。善悪、つまり死後も存在するか絶滅するかは夢の量によって判断される。夢とは死後の世界を開示するものであり、夢の多寡によって魂のある種の耐久性とでも言えるものが示される。


 だが、より興味深いのは、同書のなかで、「影の影」と名づけられているある種の「幻想」である。この「幻想」は、夢と現のあいだの魂が極度に落ち着いた瞬間にしか訪れることはない。思想は時間の持続がなくてはあり得ぬものであるから、それが思想でないことは明らかである。「かういふ『幻想』は、快い恍惚感に伴はれて来る、そしてその快さは、醒めて居る時、或ひは夢の世界の、どんな快さよりも、遙に、北欧人の天国がその地獄から離れて居る程遙に優れたものである。」(吉田健一訳)

2014年8月25日月曜日

幸田露伴「評釈冬の日」初雪の巻16

こつ/\とのみ地蔵きる町 荷兮

 前句は漁師町近くの旧家などの古びた様子を句にしたが、ここでは石工の仕事場としていて、一転奇警で無理がなく、この句非常に愛すべきものである。きるは刻み削って形をつくりだすことである。石を出す地も多く、房州保田金谷は房州石を、豆洲諸地の伊豆石、根府川の根府川石を出すようなものである。「壁落ちて」に石を扱う家を点出し、しかも一二軒だけでなく石屋があって、終日ただこつこつと槌の音だけがするところを取り上げ、しかも地蔵菩薩をつくると描いたところなどは、才能豊かで技術も整っているといえる。

2014年8月24日日曜日

ブラッドリー『論理学』64

§39.唯一無比であることは、「これ」という観念の単なる否定的な側面である。種類(内容の観点から見た意味)が同じようであっても同一なものはないのが唯一無比で、その種類にたった一つしかない。唯一無比は系列の観念を含んでおり(29)、相対的か絶対的かである。系列が他の要素を排除する要素を含み、それ自体は唯一無比ではないときには相対的である。空想でどんな宇宙を作り上げたとしても、そこでの事物はその宇宙の内部においてのみ唯一無比となりうる。他方、系列が直接的な現前に関係しているときには絶対的な唯一無比を得る。この場合、系列内部の関係はそれが関わる諸要素を固定し、この系列にあらわれないものは事実ではあり得ないことになる。しかし、唯一無比という性格をもち、他のいかなる出来事をも排除する真の主語は、個別的な出来事そのものではないし、そう捉えるものでないことは記憶しておかねばならない。実在とは、むしろ、この個別的なものにあらわれ、他を排除するところのものである。我々がここで得るのは否定的な存在判断であるが、その性質については第三章で考えることにする。

2014年8月23日土曜日

幸田露伴『評釈冬の日』初雪の巻15

縄あみのかゞりは破れ壁落ちて 重五

 蹴鞠をする場所を「かかり」というので、かがりを誤って鞠場と解したものもあるが間違いであり、取りがたい。蹴鞠の場は四方に竹の囲いを作るのが習慣で、壁、縄編みなど用いるとは聞いたことがないし、また、松桜楓柳を植えるのを四本かかりということはあるが、牡丹を鞠の場の周辺に置くなどということはありうることではない。これはかがりであり、かかりではない。かがりは繕いつなぎ合わせることである。むしろのかがりは縫いかがるものであり、童謡の、「わしのお手鞠絹糸かがり」は繋いでかがることで、ここにいう縄あみのかがりは、漁師の用いる縄編みで壁を覆いかがって、壁土の欠けたところを防ぎ守ることである。

 こうしたことは漁師町の近くで見られることで、壁の上に板を覆ったり、竹で包む代わりに、縄網の古くなったので覆うこと、侍の用いる簑の上に縄編みを覆うようにする。かがりは網の節だというのも間違っていて、網の節は結目といい、蟇股に結ぶなどといって、かがりとは言わない。「縄あみのかゞりは破れ壁落ちて」の一句の意味はこれで明らかである。

 前句とのかかりは、庭の周囲の塀の壁の土が落ちて裏が透き通って見え、牡丹の美しさが日頃目につくということである。牡丹は漁村でも、浜辺でもよく咲くもので、播州池田は海に近いところだが、関東の国々でも牡丹を植えようとすると池田より買い求めるほどである。また、武州金沢の野島は漁村であるが、旧家の泥亀氏は牡丹のよいものをもっているというので名が聞こえており、昔は江戸よりわざわざ泥亀の牡丹を見に行くということもいった。そうであれば、このつけ句になにも怪しまれるようなところはない。牡丹は花の富貴なものであり、金殿玉楼でも付けるべきなのに、却って壁の破れたところが変化だなどというのはあらぬ方に心を回した解である。

2014年8月22日金曜日

ブラッドリー『論理学』63

 §38.ここで我々は多分、個的な(あるいは個別のと言ったほうがいいかもしれない)事実の観念と言うときなにを意味しているのかについて言うことができる。それを決して単一の出来事に限定されない人間の名前に見つけようとしても無駄であった。個別性という観念は二つの要素を含んでいる。まず、「これ性」という意味をもつ内容と、それに加えて実在を指し示す一般的な観念がある。別の言葉で言うと、個別なものとはまず系列においてあらわされる。それが第一の要素である。しかし、我々は「これ性」を越えはしない。系列の成員は系列のなかで相互に排除し合うことはないし、全体の集合は唯一無比ではない。個別な事実の完全な観念を得るためには、いわば、我々の系列を外的に相互排除し合うものとしてつくり、それによって個別的なものをつくらねばならない。そしてそれは、唯一無比の実在を指し示す観念によって意味づけることなしには成し遂げられない。

 もし我々が実際に系列を実在としたなら、欲していた観念だけでなく、それ以上のものを得ることになろう。我々の観念が事実において真であることが判断されよう。我々はそこまで望んではいなかったのだった。我々は唯一無比の観念を得たいと思っていたのであり、観念の実在を主張したのではない。

 既に見たように(§24)「これ」の観念には、実在との直接的な接触の観念があり、この観念を我々は我々の系列につけ加えなければならない。我々が系列を全体としてとともに、現前の点において実在と触れ合うものと考えるとき、それを真に個別的なものとして考えることになる。しかし、ここで我々は止まらなければならない。というのも、続けて我々の観念が真であると判断すると、我々は知覚を拡大する唯一無比の系列において特殊な場所を見いださねばならないからである。判断における別の内容のシンボルとして「これ」の観念を用いることが不可能なことは既に見た。しかしながら、判断を慎む限りにおいて、我々は「これ」を実際に現前しているもの以外の内容につけ加えることができる。

 これが個別という観念で我々の意味したところである。個的な人間の場合には事情が異なる。そこでは、個別な系列の内部に様々な限界線をもっているので、我々の観念は個別的である。しかし、それはまた出来事の変化を通じて変わらない真の同一性をもっている。それゆえ、単なる総合判断のクラスからは外れるのである。

2014年8月21日木曜日

層のない世界――デヴィッド・クローネンバーグ『ヒストリー・オブ・バイオレンス』

意識や知覚の変容が肉体の変容をももたらすというのがクローネンバーグの初期の作品からのテーマであるが、そんな彼が高倉健の主演でありそうなやくざ映画を撮ったと聞いたときにはちょっと意外な気がした。

トム(ヴィゴ・モーテンセン)は余所者が入ったらすぐわかるような田舎町で小さな料理店を営んでいる。美しい弁護士の妻、高校生の息子、小さな娘がいて地元に溶け込んだ平穏な生活を送っていた。ところがあるとき、強盗に入った二人組から銃を奪って撃ち殺したことから英雄として地元メディアに取り上げられることになる。そして、一目でギャングとわかる不気味な男たち(エド・ハリスと部下の二人)がトムの周辺に出没する。彼の話によると、トムというのは偽名であり、フィラデルフィアの大ボスの弟であり、ほとんど見えなくなったこの片目の傷をつけたのもお前だという。家族は漠とした疑念を抱くが、その疑いは家に来た三人のギャングたちのうちの二人をトムが無腰のまま眼にもとまらぬ早さで倒すことで決定的なものとなる(最後の一人は助けに来た息子がショットガンで倒すのだが)。かくしてトムは、過去を清算するためにフィラデルフィアに向かうことになる。

このように物語だけを取りだすとやくざ映画にありがちな展開なのだが、大いに印象が異なるのについてはいくつかの原因がある。まず、暴力の描き方がある。たとえば、高倉健のやくざ映画だと、さんざん嫌がらせを耐えたあげくに、どうにも我慢のならない出来事が起こり、平穏な日常を捨てて決起することになる。暴力とはそうした我慢が決壊した結果の決意としてあらわれるものであり、言葉を換えて言えば、物語が蓄積された末に発動されるものなのである。

ところが、この映画の場合、大きな暴力の場面は三箇所あるのだが、そうした物語の蓄積はまったくない。いずれも、その暴力を引き起こすにいたった背景が描かれるわけではない。暴力はほとんど不随意的な反応であり、日常から非日常への跳躍を経たものではなく、日常とシームレスに接続しているのである。

『ヴィデオドローム』においてアングラ・ヴィデオを見ることで否応なく肉体の変容がもたらされるように、暴力もまた決意や我慢の問題ではなく、否応のない肉体の反応なのである。それはいじめっ子に対する高校生の息子の反撃にしても、妻が階段で応えてしまう乱暴なセックスについても同じことで、高校生の息子については日常的ないじめという背景はあるとしても、そこに描かれる暴力そのものはそれ以前の場面との断裂がなく、氷に入った亀裂のように同じ平面で現実に接続している。

冒頭、モーテルから中年と若い二人の男が出てくる。実はこの二人はトムの店に押し入り、撃退されることでトムの顔をさらすことになる者たちなのだが、強盗といっていいのかもわからない。宿泊したモーテルも、子供を含めて皆殺しにしてしまえば宿泊料も払わなくていいと、特に善悪の葛藤もなく実行してしまうような連中である。

善悪という規範があるなかでの悪人なのではない、どんな規範をもっているかもわからない人物として実に不気味に描かれている。悪、というよりこの世界とはまったく異なった規範は、ヴィデオや科学実験のような回路を通って日常へと侵入してくるわけではない。シームレスに動きまわり、気心の知れた隣人しかこないような店に堂々と入りこんでくる。そうした世界像を提示したことにこの映画でのクローネンバーグの新しさがある。

2014年8月20日水曜日

幸田露伴『評釈冬の日』初雪の巻14

月は遅かれ牡丹ぬす人 杜國

 月は遅れ、いま少しでてくれるな、さて牡丹盗人となろうということである。前句を転じて、小三太に盃を取らせ、酔いをよそおいて戯れると見なしての付け句である。「月は遅かれ」の言葉づくり、何となく謡いめいて面白く、あるいはどの曲かにこの一句があるかどうはわからないが、いまは思いつかない。旧解、誤解うがち過ぎの解があることが多いが、わざわざ論じない。

 牡丹、菊などは花木のなかに特に培養の力で美しく咲き出るものなので、これを育てて大いに誇る者もあり、また欲しがっても惜しんで与えないものである。この句の牡丹盗人がただの盗人ではなく、盗んでいることを見られたとしても笑って済むくらいの格の人物であることは、自ずから句づくりに見える。それを見過ごして、飲酒しながら盗人を待つ様子だといったり、花盗人を咎めない主の寛い心のあらわれだといったような註がでるようになった。句の姿は幾度となく打ち直して句の心に応ずるようにつくってある。であるから、句の姿を熟視すれば、自ずから句の心が浮かびでて見えるだろう。

2014年8月19日火曜日

ブラッドリー『論理学』62

 §37.要約すると、真実と想像を区別するのは観念のシンボル的な使用ではない。想像は個別的なイメージに限定されはしないからである。知覚においてどこで始めて推論があらわれたのか、また分析判断はどこで総合判断になるのか言うことが難しいように、多くの想像において我々は論証的な要素があることを認めるだろう。我々は誤って、円の観念はイメージに過ぎない、と言うことがあるかもしれない。しかし、千角形の観念となると我々のイメージの方が失敗することがすぐ明らかになる。抽象的関係の観念はいかなる判断もなしに心にあることは明らかである。しかしながら、これは完全にシンボル的な内容であるが、(仮言的判断が入り込んでいなければ)純粋に想像的なものである。それは我々の心にあるイメージの存在から引き離されているが、別の実在にくっついているのではない。

2014年8月18日月曜日

氷の橋を雪駄で渡り――俳句


濡れごとで紫女が羽根をつき

扁円やまどろみの森で目をさまし

善悪を杏仁水が囲繞して

六方も縅の糸に艶もなく

あたり芝居七曜破軍星の幕で開き

精霊(しょうりょう)が犬の尿(とばり)を横に避け

落ちついて理屈を述べる江戸娘

春雨にしっぽり濡れる三角比

2014年8月17日日曜日

幸田露伴『評釈冬の日』初雪の巻13

小三太に盃取らせ一ッうたひ 芭蕉

 小三太は特定の人物の名ではない。ただその人柄をあらわすだけの仮の名である。旧註には、扈従の童であるとか子供だとしてある。主従のちぎりが深く、頼み頼まれる関係の侍などであろう。一句は前句を受けて、明日を必死の一戦と覚悟した最後の晩の名残の酒宴のおもむきである。織田信長が桶狭間の戦いの前に、人間わずか五十年と謡ったような面影が見え、謡には余裕のあるさまが見え、しかも凜たる様子もあらわれ、非常に潔く壮烈な様である。水攻めにあった高松の城、殺気を深く秘めた西條山、みなこうした光景があった。

 つけ句には承けると転じると流すとある。承ける句はややもすれば前句の奴婢となり注釈のようであり、一句の独立の美がなく、見苦しいものになるが、この句は素直に承けて、しかも面白い情景があり、出来事を述べただけで、前句と呼応して気味が通じ、精神がよくその情景を映しだす。けだし芭蕉にとっては易々たることだが、後人には及びがたいものだろう。

2014年8月16日土曜日

ブラッドリー『論理学』61

 §36.過去の記憶、未来の予測は、明らかに単なる想像とは区別される。前者においては、知覚にあらわれた実在への指示がある。事実への関係を含むがゆえに真であるか偽であるかの判断をもつ。しかし、想像はこの指示を欠いている。前に見たように(第一章§14)想像されたものが真であると判断されたものより強いことがあるかもしれない。単に空想したものの方がよりこれ性をもっているかもしれない。記憶しているものよりもより否応がなく特殊な細部が含まれているかもしれない。しかし、欠けているのは、それを「これ」に結びつける同一性の点である。そうした環がないと、それは系列の外側に外れるに違いない。

 一般的に、我々は力のある細部と強い特殊性を事実のしるしととり、出来事の系列にその場所を探すのは本当である。しかし、場所が見つからなければ、想像された事実は決して我々に確実なものとならない。夢の映像は非常に明確なものであることもあるが、その映像の内容が知覚と結びついた出来事の系列と結びつくことを拒みのであれば、その観念を捨て去ることはできなくとも、結局はそれを単なる幻影として類別する。

 もしここで心理学の脇道にはいるなら、いくつかの難点と多くの興味深い問題を見いだすことだろう。我々は一度ある内容で実在を指し示したら、一般的にそれで再び指し示す傾向にある。それがいつのことになるかはわからないが、いつか起ることはわかっていたと我々は言う。そして、多分、そうした観念は単なる想像よりもより力強く豊かな細部をもっていると考えがちである。それは誤りであろう。そうした観念を印づけているのは力強さでも細部でもなく、我々には捉えることのできないぼんやりしたなにかである。それは所与の「これ」の内容によって追い払われ、それを曖昧に越えでていく「これ」を指し示す一般的観念かもしれない。または、観念や感情の無意識的な要素で、あるはっきりしない仕方で想像されたものと事実とを同一化する助けとなるのかもしれない。というのも、実在とのつながりになんらかの明示的なものが必要だと想定するのは間違いだからである。曖昧で我々が気がつかないような感じ、どれだけ注意を向けても意識のぼんやりとした全体と区別のつかないようなものが我々が真実と虚構とを分ける際の基礎として役立つこともある(§33)。我々が再び思い起こさなければならないのは、つながりの地点というのは、いわば我々の内的な自己の内にあり、外側の系列にあるわけではないことである。想像された虚偽が最終的に信じられたとき、それは常に外的な事実とある種直接の関係をもったためだというわけではない。実際には、我々が自分自身にもつ習慣的な感じに同一化したのだろう。そして、こうした幻影と真実との合流点は、しばしば我々の心のなかで両者を混同させてしまう。しかし、ここではこれ以上この議論を続けることはできない。

2014年8月15日金曜日

プラトンと正義――ノート19

 第二巻も正義についての論議が続く。しかし、短気なトラシュマコスはいなくなり、グラウコンとアデイマントスの兄弟が聞き手を引き受ける。彼らが望むのは、正義そのものが正しいことを納得のいくように説明してもらうことにある。つまり、ソクラテス流の曲折したアイロニーではなく、もっと直接的な証明が欲せられる。

 というのも、トラシュマコスの議論はなし崩しのうちに切り上げられてしまったからである。世界は羊飼いと料理人と航海士だけで成り立っているわけではない。羊、食べる者、船客などへの不正が即座に結果としてあらわれ、しかもそれが自分の不利益にもなるという立場にあるものはむしろ少ない。

 グラウコンが一般的に正義の起源と考えられていることとして説明するのは次のようなことである。人間は成長の過程で(それは種族としても個人としてでもあるが)、人に不正を加えることも自分が不正を受けることも経験する。ただ、どちらかといえば、人に不正を加えることによって得られる利益よりも、自分が不正を受けることによる苦しみの方が大きい。だから、「一方を避け他方を得るだけの力のない連中は、不正を加えることも受けることもないように互いに契約を結んでおくのが、得策であると考えるようになる。このことからして、人々は法律を制定し、お互いの間の契約を結ぶということを始めた。そして法の命ずる事柄を『合法的』であり『正しいこと』であると呼ぶようになった。」

 正義とは絶対的な基準なのではなく、不正を働きながら罰も受けず利だけを受けるという人間にとって最善のことと、不正を受けながら仕返しもできず我慢するしかないという最悪なこととの「中間的な妥協」でしかない。正義を積極的に善として尊重しているのは、不正をするだけの能力がない者だけだ。

 グラウコンは「ギュゲスの指輪」をたとえにだす。ギュゲスはリュディア王に羊飼いとして仕えていた。あるとき、大雨が降り、地震が起き、羊に草を食べさせていたあたりにぽっかりと穴が開いた。降りてみると青銅の馬があった。なかは空洞で、人間の姿はしているが人間より大きいものの死体があり、黄金の指輪をはめていた。それを手に入れ、羊飼いたちの集まりにでていたときのこと、指輪の玉受けの方を手の内側に回すと自分の姿が他人の目に見えなくなってしまうことに気づいた。透明人間になる能力を得た彼は、王の妃と通じ、果てには彼女と共謀して王を殺し、自ら王となった。要は、強大な能力さえもっていれば、誰でも正義という規矩などたやすく踏み越えてしまうだろう。

 現に、ごく常識的に世の中を見れば、正義であろうと不正であろうと強者が利益を得ていることは確かである。それを妨げているのは、神の力ではない。ユダヤ・キリスト教以前には神のうちに絶対的な正義など存在しなかった。ホメロスやヘシオドスを読めばわかるように、神々のあいだには諍いあり、殺しあいがあり、姦通があり、いわゆる不正と思われているものが充ち満ちている。ゼウスが最上の神だといわれているが、それは最上の人間が王と呼ばれるのとさして径庭はなく、ゼウスもまた不正なふるまいにはことかかないのだ。

 ギリシャにおいても死後の世界は信じられていたが、神々に欲望があることも当然のこととされていた。様々な祭儀があるという意味で信仰心は厚かったが、それらの祭儀は神々を喜ばせるためになされた。だから、いわゆる不正な行為をどれだけ行おうと、それが地獄での苦しみに直結しているわけではなく、十分な貢ぎ物をして神々を喜ばせていれば、死後の世界でも厚遇されるかもしれないのである。

 それゆえ、強者が不正なふるまいによって無理矢理に利益をむさぼろうとはしないのは、世間の評判を気にしてのことでしかない。いかに強者であろうと、世論が形成され、絶対的な多数となると、それを相手に勝つことはできないからである。強者が不正なふるまいをしないのは、世論という自分より強いものをつくりださないためでしかない。

 しかし、あらゆることにおいて能力に長けた者がいたとしたらどうか。いわゆる不正と思われていることを実行するだけの勇気と力があり、もしそれが発覚しても世論を納得させる弁論の能力もあり、有力な仲間や財力を有している者がいたとしたら。そんな人物がいたとしたら、「中間的な妥協」でしかない正義に心を惑わされることはないだろう。それが正義であろうが不正であろうが、好きなことを好きなふうにするに違いない。そしてそれが幸福であることも確かだろう。

 その対極にある者として、たとえば、ユダヤ・キリスト教的な神のいない世界におけるアブラハムやヨブを考えてみればいい。彼らは、あるいは息子を生け贄にしようとし、あるいは精神的肉体的苦痛を受け続けるが、それは絶対的な神への信仰を支えにしてのことであり、もし神が存在しないのならば、あるいは、存在するとしても、ギリシャの神々のように気まぐれであったとしたら、アブラハムは息子を生け贄にすることなど考えないだろうし、ヨブはただ深い絶望のうちに沈んでいくだけである。絶対的に無力な人間という観念は、そして絶対的な正義もまた、絶対的な神というものが存在してはじめて成り立つ考えであり、すべてが相対的であるなら、優れた能力をもつ者がそれに対応する利を得るのも当然のこととなる。

 正義それ自体の根拠を示すことができないのなら、アデイマントスは言う、「あなたが讃えているのは、〈正しいこと〉そのものではなくて、その評判であり、あなたがとがめるのは、不正な人間であることではなくて、不正な人間だと思われることなのだ。それでは結局、不正な人間でありながらその正体を気づかれぬようにせよ、とすすめていることにほかならない」ことになる。実際、ニーチェからドゥルーズに到るまでプラトン(あるいはプラトンの著作におけるソクラテス)の評判が悪いのは、こうした疑問に答えていないからである。無論、世俗的な繁栄が問題なのではなく、いかなる力もそれ自体が愉悦であることをプラトンが抑圧しているからこそ彼らは批判したのだった。ちょっと横道にそれるが、スラヴォイ・ジジェクがプラトンに対する批判をその膨大なヘーゲル論『無よりも少なく』のなかで系統立ててまとめているので紹介しよう。

 1.生気論的の反プラトニズム(ニーチェ、ベルグソン、ドゥルーズ)。現実における生成が、プラトン的な形相という知的な不毛性に対立する。ニーチェが述べたように、プラトンとはある病の名である。

 2.経験論的・分析的な反プラトニズム。プラトンは観念の独立した存在を信じたが(イデア)、すでにアリストテレスが気づいていたように、観念はその形式である感覚的な事物と独立して存在することはない。分析的経験論者の主要な反プラトン的命題は、あらゆる真理は分析的であるか経験的であるか、ということにある。

 3.マルクス主義的反プラトニズム。このことについてはレーニンにも罪がないとは言えない。前ソクラテス派の唯物論や経験にもとずくアリストテレスに対立する最初の観念論者としてのプラトンが退けられる。この見解は、アリストテレスが奴隷のことを「おしゃべりする道具」と考えたのとは対照的に、プラトンがその共和国に、奴隷のための場所を与えなかったことを都合よく忘れ、プラトンが奴隷所有者階級の主要なイデオローグだとする。

 4.実存主義的反プラトニズム。プラトンは唯一無比な単一の存在を否定し、単一の存在を普遍的はものに従属させた。この反プラトニズムはキリスト教版(キルケゴール:ソクラテス対キリスト)と無神論版がある(サルトル「存在が本質に先行する」)。

 5.ハイデガー的反プラトニズム。プラトンは「西欧的形而上学」の創設者であり、「存在を忘却する」歴史的過程の契機となった人物である。彼を出発点にして今日のテクノロジー的なニヒリズムにまで達した(「プラトンからNATOへ」)。

 6.カール・ポパーからアレントにいたる政治哲学における「民主主義的」反プラトニズム。プラトンは「閉じられた社会」の創設者であり、全体主義を細部に到るまで洗練させた最初の思想家である。

 アレントの場合はより純化されていて、プラトンの原罪は、政治が比類がなくなんとも名づけがたい状況における実践的な知恵、判断、決定の領域にあることを理解せず、政治を真理に従属させてしまった。

 このように列挙してみると、私もまた、ニーチェ、キルケゴール、サルトル、ポパー、ドゥルーズ(それほどではないが、ロック、ヒュームなどの経験論、ハイデガー、アレント)という反プラトニズム的な潮流のなかで読書をしてきたことを改めて実感する。もっとも私の場合、思想的な立場の相違というよりも、すぐあとでみるように、ソクラテスの語り口、キルケゴールが詳細に論じたイロニーに常に隔靴掻痒の感をおぼえたことからきている。イロニーをもって語ること自体は、むしろ好きだと言えるのだが、ド・クインシーが指摘しているように、それがなにを対象としているのか、また、ある種唐突な例のだしかたが、当時の対話としては当然のことであるのか、あるいはプラトンの恣意的な操作のあらわれなのかが私には判断がつきかねる。そのため、対話という平易な言葉が使われていることもあって、すらすらと読み進めてしまうのだが、いざ読み終えてしまうと、結局なにが語られ、なにが証明されたかが曖昧模糊たる場所に取り残されるのだ。

 だが、いまは『国家』を読み進めよう。

 ともかくソクラテスは、こうした批判に対して、「〈正義〉の味方となって、ぼくにできるだけのことをする」として、自分の議論を繰り広げるのだが、はじめから大きな飛躍が行われる。実のところ、この飛躍のあいだにはそれこそ多種多様な膨大な思索が費やされていて、議論のためとはいえ、こうした飛躍が許されるのか、私にはよくわからない。プラトンを読んでいて、いつもなにかはぐらかされたように感じるのは、こうした飛躍があるためなのは確かだ。この跳躍の部分を引用しよう。

     ぼくたちが手がけている探求は並大ていのものではなく、よほど鋭い眼力の人でなければ手に負えない問題であると、ぼくには思える。で、ぼくたちにはそれほど力量がないのだから、こういうやり方でそれを探求してはどうかと思うのだ。つまり、あまり眼のよく利かない人たちが、小さな文字を遠くから読むように命じられたとする。そのとき誰かが、その同じ文字がどこか別のところにも、もっと大きくもっと大きな場所に書かれているのに気づいたとしたらどうだろう。思うにきっと、これはもっけの幸いとみなされることだろうね――まず大きいほうを読んでから、そのうえで小さいほうのが、それと同じものかどうかをしらべてみることができるのだから

 大きな文字がなにかというと、著作の題名にもなっている国家である。一個人にも正義はあるが、国家にもまた正義があるだろうね、とソクラテスは問い、「ええ、たしかに」とアデイマントスは答える。「ところで、国家は一個人より大きいものではないかね?」というソクラテスの再びの問いかけに、「大きいです」と彼は答える。「するとたぶん、より大きなもののなかにある〈正義〉のほうが、いっそう大きくて学びやすいということになろう。だから、もしよければ、まずはじめに、国家においては〈正義〉はどのようなものであるかを、探求することにしよう。そしてその後でひとりひとりの人間においても、同じことをしらべることにしよう。大きいほうのと相似た性格を、より小さなものの姿のうちに探し求めながらね」

 国家と個人は対立するにしろ親和するにしろ、どちらも幸福な状態とはいえないだろう。空気のようにその存在を感じないことがもっとも幸せだといえるかもしれない。ここでは議論が個人の正義に戻ってくるという言葉を信じて、先に進むことにする。ここでソクラテスは、最小限の人数からなる国家を構想する。最低限必要となるのは衣食住である(着るものと住居とは南国ではより緊急性が減じるだろうが)。また服や靴をつくるための材料のことを考えれば、牛飼いや羊飼いがいる。完全に自給自足の国を建設することはほとんど不可能である。そこで商人や船乗りが必要となってくる。市場ができれば、小売り商人、金を扱う者がいる。

2014年8月14日木曜日

幸田露伴『評釈冬の日』初雪の巻12

明日は敵に首おくりせむ 重五

 これもまた前句を意想外のところに転じて、術つき力もきわまって、明日は敵に自分の首を授けることになろうと決心した勇士が、この命を捨てて戦死するには心にかかる雲もないが、ただ自分の瘤の異様に大なのを見て、情なき敵の士卒たちが、この瘤はと笑い声を死後の首に浴びせかけることを口惜しがっている。奥のきさらぎから、珍しい景色の山道を行くようで、一歩一歩に景色が変転して神を喜ばせ、目を楽しませる。

2014年8月13日水曜日

ブラッドリー『論理学』60

 §35.かくして、総合判断は単なる形容であることをやめ、唯一無比の現前にあらわれる実在を間接的に指し示すことで唯一無比の出来事の系列を表現する。それらはこのあらわれの内容と推論によって結びつき、その限りで知覚と直接に関係している。しかし、観念は現前そのものへの形容として関係づけられることは決してない。そこに自らをあらわし、それを越えて拡がる実在に当てられる。我々の知覚の内容と観念的構築物の内容は、双方とも一つの実在についての形容である。両者とも異なった仕方でやってくるあらわれで、(我々の仮定が間違っていないなら)両者とも妥当で、実在の世界の真である。

2014年8月12日火曜日

寓意を拒む物――ミクロシュ・ヤンチョー『密告の砦』The Round-Up

1965年。果てのない荒野のなかに建造物が建っている。ハンガリー平野のどこかなのだろうが、季節のためもあるのか、モノクロであるためもあるのだろうか、草木が枯れつくした荒野にしか見られない。建物は百人も入らないほどの収容所で、とはいっても、高い壁がめぐらされているわけでも、監視体制が厳重であるわけでもない。門だけは石造りだが、中には外の荒野を連想させるようななにもない空間とそれを取り囲む木造のバラックがあるだけである。

囚人を管理する者たちの居場所は、尋問や拷問の場でもあるが、同じような掘っ立て小屋で、上官たちは馬に乗ってどこからともなくあらわれ、どこにともなく去って行く。結局視野に入るのは、ほとんど入ることのない音楽と極端に少ない台詞とあいまった、遮るもののない四方に開けた荒野が開放されながら閉鎖された奇妙な空間ばかりである。

舞台は十九世紀中盤から後半にかけてのハンガリーである。1848年の革命によって、ハンガリーは一時的に独立したが、ハプスブルク帝国の支配するオーストリアとツァーのロシア軍によって敗退する。だが、弱体化した帝国を強化したいオーストリアと自国での権益を守りたいハンガリー貴族の利害が一致して、オーストリア=ハンガリー二重帝国が建設された。しかし、各地に抵抗運動の根は残り、『水滸伝』のように盗賊団と革命集団とが融合することもあった。

監禁者たちはそうした一団をあぶりだそうとしている。かといって、執拗な取り調べや尋問が繰り返されるわけではない。無表情に密告を受け入れ、特にそれを検証することもなく処刑していくだけなのだ。十九世紀を扱っているものの、こうした状況が、経済や生活の貧苦を背景にして起きた、ソビエト連邦に組み込まれた政府やソ連軍に対して民衆が蜂起し、数千人の市民が殺害された1956年のハンガリー動乱を想起させることは確かだろう。

だが、監督自身も言うように、それは見ている者すべてに明瞭なことであったならば、寓意などといったものではなく、いつでもどこでもあり得る普遍的な状況としてとらえられていたはずである。文化的な指標がないこと(冒頭と結末の説明がなければ、時代も国もわからぬままだろう)、同じく、華美であれ貧困であれ、過去や外界をたぐり寄せる会話がまったくないこと、石の扉や囚人をつなぐ鎖、そしてなによりも荒野という暴力的なまでの物の現前、こうした要素は不条理劇を思わせる。

しかし、現代の混乱や不安が生みだしたとも言われる不条理劇がともすればなにかの寓意に自足してしまうのとは対照的に、ここにはあるがままの物しかない。囚人たちが門内の広場で白い布袋をかぶせられ、細い紐を伝わって円を描いて歩く印象的な場面があるが、散歩のつもりなのか、外には荒野が広がるだけで、なんの秘密があるわけではないのになぜ布袋がかぶせられねばならないのか、そもそも実際にこうした処置がとられていたのかまるでわからないが、そうした疑問を超えた現実だけが生々しく迫ってくる。

2014年8月11日月曜日

幸田露伴『評釈冬の日』初雪の巻11

口をしと瘤をちぎる力無き 野水

 「瘤」ははふすべと読んでも、しいねと読んでもいいが、ふすべと読まれてきた。こぶである。『倭名抄』に従おうとする者はしいねと読むべきだろう。前句の縁さまたげの恨みを縁談不成立と見なして、ここでは花婿になろうとした男が大きな瘤があるために嫌われて、仲人の説得も及ばず、破談になってしまったが、といっても瘤をちぎり取ることもなく、口惜しいと瘤のある妙な顔でいっているおかしさを読んだ。悲しくもおかしいさまが、人に笑いを催させる。

2014年8月10日日曜日

ブラッドリー『論理学』59

 §34.もし現象ということで知覚する事物、あるいは我々に与えられる事実やあらわれを意味するならば、地平線の向こうにある英国全体(アメリカとアジアは言うまでもなく)、過去と未来の出来事のすべては現象ではないことになる。それらは知覚される事実ではない。我々の心のなかに単なる観念として、シンボルの意味として存在するものである。繰り返すが、過去や未来の現象とはまったくの自己矛盾である。「現象の系列」であるとか、「知覚の連続」であるとか、その他どんなものでも、掌中にそうした事実を握っているかのように語る習慣をやめるべきときにきている。どちらかにすべきである。つまり、現象は観念的で、シンボルの内容であって、現前の知覚に直接に関わるものではないか、あるいは、私がいまここで知覚するもの以外に現象は存在しない、とするかである。「分析」の哲学や「経験」の学派に抵抗して、事実に訴えかけても多分無駄なことである。これらの名称を結びつけ、適切な名称を得ることに失敗した者に第一のものは無視し、第二のものについては間違っていると納得させるのは不可能であることは私も知っている。おびただしい異議と名称のないものへの嫉妬はあまり正確すぎないものに務めを見いだしており、それは昔から安上がりに落ちつこうとする者を満足させてきた。しかし、それ以外の人たちのために、もう一度繰り返しておこう。もし事実や出来事が感じられた、あるいは知覚されたものなら、過去の事実は単なる無意味なものとなる(第二巻第二部第一章参照)。

 もちろん、過去の出来事はすべて実際にそこにあり、そこにあったものとして記憶されている、そして、未来はそこにあるものとして予期されている、と言うのがたやすいことは知っている。しかし、我々の心の外側に、過去と未来の事実の系列が存在すると仮定すると、どうやってそれは心に入ることができるのか、という疑問が残る。望むなら、それは変化が好きで、身体のなかや外を歩き回り、そこで落ち合ったり交流したりするのだと言うこともできる。あるいは、全能の創造主が心に驚くべき器官を与え、それは誰にも理解されないようなことを永久にすることができ、分析者の狡猾な技術をものともしないことで、魂の不滅を証明する。あるいは、「最終的な不可解さ」に答えを見いだすこともできよう。究極的な事実とは常に不可解で、もしそれが真でなければならない教義と矛盾しているとしても我々はそれを放り出すべきではない。というのも、不可解なものが不可解に振る舞うのはごく自然だからである。

 しかし、多分、我々と同じレベルに満足してとどまる読者もいることだろう。もしそうなら、事実が我々にもたらす結論を信じ続けることだろう。その結論とは、過去と未来の出来事、知覚されていないすべての事物は、我々にとっては、現在の知覚にあらわれる実在と、性質の同一性を巡る推論によって結びつけられた観念的構築物としてのみ存在する、ということである。自律した存在をもつ事物が(もっているとして)どんな性格であるかは形而上学に関する問題である。

2014年8月9日土曜日

加藤郁乎『俳人荷風』書評

 夏目漱石、芥川龍之介、内田百閒、久保田万太郎と小説家にして俳句もよくする人物を並べてみると、統一感はないながらも、それぞれに独特の印象が浮かび上がってくる。なかには芥川龍之介や久保田万太郎のように散文と俳句とがさほど距離を感じさせない人物もいるし、夏目漱石のように小説には見られないようなグロテスクな味わいをだしているものもいる(内田百閒は古今の名句をお手本にしたきまじめさと漱石流のグロテスクとが混在している)。

 ところが、永井荷風となると、一通りその句に眼を通してみても、印象となると、当惑せざるを得ない。小説から連想される艶っぽがさほど目立つわけではないし、機知にあふれているわけでもない、翻訳のときのような流麗な言葉が駆使されるわけでもない。

 この著作は(ちなみに加藤郁乎の最後の本となったわけだが)その辺の秘密を解き明かしてくれる。二つの部分から成り立っており、前半部分は荷風の著作『冬の蠅』、『濹東綺譚』、『雨瀟瀟』、『断腸亭日乗』のうちに見られる荷風の俳句や俳味、俳人や俳誌との交流をたどっている。

 後半部分は、荷風を敬愛した、また荷風が兄事した詩人、作家、小説家、俳人など、日夏耿之介、秋庭太郎、相磯凌霜、正岡容、邦枝完二、籾山梓月と荷風との関わりが述べられる。著者および彼らに共通するのは、失われた江戸に対する焼けつくような郷愁である。

 たとえば『濹東綺譚』の私家版には写真と俳句が入っているが、大洋本という偽物があるという。俳人伊庭心猿の手になるもので、

  遠道も夜寒になりぬ川むかう

という句にご丁寧に自作解釈までつけられている。それによれば、「川向かう」は隅田川東岸の寺島町、つまり玉の井の色里を指すから、この作は浅草側からのものでなければならない。また、「遠道」もなおざりに読むべきではなく、『断腸亭日乗』の探索に見られるように、麻布から銀座、江東、葛西、浅草、寺島などを経巡る行跡見聞のあとが「無限の感懐」となってひそんでいるのを感じ取らねばならないという。

 この本に登場するのはこうした一団である。江戸に浸りきっているので、そこから顔をだす特異性など薬にしたくもないのだ。思えば、ソープランドが並ぶ吉原を歩いたことはあっても、吉原田圃ひとつ知らない人間がざっと読んだくらいで理解できるはずもないのである。少なくとも、植草甚一がニューヨークにしたように、一度も足を踏み入れずに町の隅々まで知悉するくらいの準備が必要である。

2014年8月8日金曜日

幸田露伴『評釈冬の日』初雪の巻10

縁さまたげのうらみ残りし 芭蕉

 従姉妹のために縁を妨げられたことがあり、恨みが残っているという解は受けいれがたい。本来は従姉妹と縁があったものを、親の家が衰え傾いて親類のあいだで疎まれるようになったとか、あるいは他の家より強引に娘をその男にめとらせるよう策略が用いられたとか、あるいは無法者の横恋慕によってこの女に難をつけて縁組みの約束を破らせてしまったとか、その他、盗賊にさらわれたとか、親の金策のために身を売ったとか、なんらかの事情があって、薄々知っていた自分の縁が破れてしまった恨みが残ったと解する方が、世相にあることでもあり、妥当だろう。

 従姉妹同士の縁組みの約束は、田舎では間々あることで、当人同士も薄々そのことを知りながら育っていく歳月のあいだ、懐かしくも恥ずかしくもあって、物心ついてから互いに会うことはあっても、じかに向き合うこともできず、逃げ隠れすることもある。従姉妹のために縁を妨げられるなどということは、あることもあろうが、稀であろうから、逆手を取って投げつけるように、この句を従姉妹に恨みがあると思って解する必要もない。

2014年8月7日木曜日

ブラッドリー『論理学』58

 §33.心的病理が例となろう。主体、あるいはこう言った方がよければ、自我が二つに分裂したように思える事例がある。一方があらわれているときには他方は隠れており、それぞれの記憶は別々である。両者の過去や未来は触れ合うことがない。これに関して呈示され、十分だとも思える説明が我々の主題を例示してくれよう。現在の自己が異なっているために、過去と未来の自己も異質なものである。一方の観念体系が他方の観念体系とつながる地点をもっていない、あるいは、つながりを排除するような地点をもっていないために、一方は他方に属している現在を観念的に拡大することが決してできない。現前に与えられる病的な感情や病によって歪められた知覚は同じような特徴をもつ観念のグループに結びつく。このように色分けに失敗した観念の領域は現在の知覚との連続的な関係を確立することができないと思われる。

2014年8月6日水曜日

腹のなかには布袋の姿態――俳句


いまむかし水のインテリアの肺腑分け

紫の大明神の渦のうち

十字架は羊と泥のなかを浮き

銃撃は軍楽隊の荒野から

裏窓に世界の裏を望見し

野焼き後の三角錐のゆでたまご

奇静脈首つり人の系統樹

狂ったパイン 階段下にいる女

2014年8月5日火曜日

ブラッドリー『論理学』57

 §32.しかし、そうした連続性とその結果である所与の「これ」の拡大は、他の観念的構築と同じく、同一性に基づいている。後に見るように、推論は常に、識別しにくいものの同定にかかっている。性質の同一性は真の同一性を証明する(第二巻第一章第六章を見よ)。ここでは、同一性は二重の形式をもつ。(i)第一に、シンボル的な内容は「これ性」を含んでいなければならない。(ii)第二に、それは「これ」といくつかの点を共有していなければならない。

 説明しよう。(i)我々が知覚と結びつける観念は空間にあるなにかであるか、時間における出来事の観念でなければならない。それは個物としての特徴をもち、無限の細部と限りない関係についての一般的観念をもっていなければならない。これは与えられたものの内容と同じ種類であることを我々は知っている。両者の記述は一にして同じである。両者は共に「これ性」をもっており、それゆえ要素は同一であることができる

 (ii)しかし、そこにとどまる限り、我々はまだ普遍の世界にいて、そこではどこかで現実に触れ、知覚にあらわれる事実に出会うかもしれないが、確実にそうなるわけではない。我々は、一方においては、現前する内容を越えていくことを望んでいるが、他方では、この内容で観念的系列と結びついてもいたい。それらをしっかりと結びつけるような環を我々は求めている。

 その環は両者において同一な地点、その性質が同一であるような地点を確立することで見いだされる。「これ」には、時間や空間の系列における(あるいは両者にわたる)複雑な細部が含まれており、それをc.d.e.fと呼ぶことにしよう。観念の側には個物の系列a.b.c.dが含まれている。c.dの同一化によって知覚c.d.e.fが観念的空間、時間のa.bにまで拡がり、総合的な構築によって全体が一つの事実a.b.c.d.e.fとして与えられる。全系列が実在を指し示すこととなり、唯一無比の現前と結びつくことで、それ自体唯一無比で世界に同じものが二つとない出来事や空間の系列ができあがる。かくして、推論により、総合判断を通じて我々は与えられたものを超越するわけで、次の巻では推論の性質とそこにある間違った仮定をより明確に説明しなければならない。

2014年8月4日月曜日

幸田露伴『評釈冬の日』初雪の巻9

床更けて語ればいとこなる男 荷兮

 前句の「只なきになく」を人が泣いたものと見なしてこのつけ句になる。遊女と旅人が偶然に会い、国なまりの言葉の端から、問いつ問われつしていとこであることを知り、やむない理由で奥州を出たきさらぎの昔はこれこれといまの身を恥じ、過去をしのんでいる。例の演劇的、小説的な趣向に巧みな荷兮が、鮮やかな手並みで前句を一転した。

2014年8月3日日曜日

ド・クインシーとプラトン――ノート18

 姉のエリザベスやロンドンで出会った若い娼婦との思い出は、ド・クインシーにとってその生涯に刻印された出来事であった。また、先に述べたように、ド・クインシーの失われた楽園とは三人の姉たちに囲まれ、世界の喧噪や苦難から隔絶された静かな庭のなかにあった。そうした場所で深遠な哲学を胚胎した彼が、女性的なもの、あるいは猥雑な現実とはまったく異なるイデアの世界を思い描いたとしても不思議ではないように思える。

 ド・クインシーには「プラトンの『国家』」というエッセイがある。前置きのあとに『国家』全十巻の各巻について簡単な概略を述べ、それに注釈、批判を加えているものである。意外なことにと言うべきか、ド・クインシーはそこでプラトンを徹底的に批判している。少しくその論調を見てみることにしよう。プラトンがアテネ文化、つまりはギリシャの最高の時期に生まれたことは認めている。


  ペリクレス統治の最も華々しい時期の直後であり、それに結びついているプラトンの青年期以上にギリシャの知性とギリシャの洗練を例証できる時はないのである。実際、ペロポネソス戦争の時期――ギリシャが分裂して戦った唯一の戦争であり、努力や競い合うことで得られる名誉をもたらした――クセノフォンや若いキュロスと同時代であり、アルキビアデスは成人しており、ソクラテスの晩年にあたる、こうした同時代人と共に戦争と変革に満ちた休戦状態の繰り返しのなかプラトンはその燃えるような青年期を過ごした。ペリクレスの輝くばかりの落日はまだアテネの空を焦がしていた。創造されて間もない華麗な悲劇と華やかな喜劇とがアテネの舞台を埋め尽くしていた。都市はペリクレスとフェイディアスという創造者の手になっていまだ新鮮であり、美術は絶頂点に向かっていた。そしてプラトンが成年に、法律上の能力をもったと思われる時期、つまり、キリスト生誕のちょうど四一〇年前には、ギリシャの知性はアテネにおいて絶頂を迎えていたと言われている。

 アレキサンダー以後の時代はアジアほか外国の影響を受け、さらにそれ以後となるとローマのくびきにつながれ、ギリシャが自国に根付いた言葉を話すことは再びなかった。いわばプラトンの時代のアテネは円満具足していた。だが、このことは、彼の欠点を浮き彫りにもする。以下、ド・クインシーが哲学者プラトンの著作一般に見られるとする欠点を挙げてみると、

 1.他国の影響を受けず、自足したアテネ文化で、いわばアテネ的な知性の代表者として著作したプラトンは、そのときギリシャの知識人たちの関心を引いている問題にかかずわり過ぎた。ある意味そうした問題についてのばらばらなエッセイをまとめたものに過ぎない。それゆえ、彼の哲学とされるものには体系的な全体など存在しない。すべてが断片的な意見である。プラトン以後体系的な、総合的な哲学を目指したものにアリストテレス、デカルト、ライプニッツ、カントがいるが、彼らでさえ完成に近づくことはなかった。プラトンの多様な対話を切り貼りして、整合的な体系をまとめ上げようとすることが一般的な傾向となっているが、断片的で一貫性のない著作のどこに一貫性への志向さえ見いだされるだろうか。

 2.対話編には数多くの人物が登場するが、彼らの語る言葉がどこまで本人のものであるのか読者にはわからない。また、提示される教義が仮説なのか、対話を先に進めるための戦略なのか、あるいはプラトンおよびソクラテスが真に納得して採用したものなのか、我々には判断するすべがない。

 このことには、プラトンが出くわした出来事、つまりソクラテスの死に大きく関連している。『ソクラテスの弁明』で描かれたように、アテネ市民の不寛容によってソクラテスは毒杯を仰ぐことになった。このことは師匠の死という衝撃のほかにも、自由な探究心や発言をくじくものであったに違いない。その結果、あり得べき非難や迫害を逃れるために、プラトンはその教義に二重性をもたせるにいたった。この点がド・クインシーのもっとも強く非難するところでもある。

 3.およそ人間精神一般に関わることで、二重の教義などは考えられない。絶対的真理ともっともらしい真理をともに保持しながら、哲学的本性の問題にどこまで踏み込めるだろうか。もっともらしい真理を選択した瞬間、真の真理は犠牲にされるだろうからである。

 4.もし二重の教義が可能であるなら、ソフィストたちの弁舌や演劇的身振りを採用していることになるが、各種の対話編に明らかなように、プラトンはソクラテスの言葉を借りて、繰り返し彼らに対する軽蔑をあらわにしていたはずである。

 5.さして豊かでもない思想を、思想を盛りこむには不適切な会話という様式を用いること自体に無理がある。「貧しい男が、最大限に手を尽くしても粗末な家を見苦しくない程度に維持していくにも足りないときに、町と田舎に二軒の家を持つと公言するなら、彼に対する軽侮の念は十倍にもなろう。あるいは、カエサルと同等の位にあると思いたがっているほら吹きの秘書官が三人の筆耕に同時に口述しようとし、尊敬に値するような仕方で一人の相手をするのにも自分の持っているものではまったく足りないことが痛いほど明らかになったときのこの惨めな山師のことを読者は想像してみてほしい。」とド・クインシーは言っている。

 6.もし二重の教義がうまくいったとしよう。しかしそれには、真と偽とをわける鍵が誰かに伝えられなければならない。いずれにしろ彼は、そうした解釈の伝統が、中断を被ることなしに、何世代ものあいだ続くと考えるほど人間が偶然に左右されることに関して無知だったのだろうか。実際、もしそうした伝統があったとしても、現在では失われてしまって、修復できないほどになっている。どの部分がフラトンの本当の意見なのか、どれが当面の反対や対立を避けるための表面的な同意なのか、あるいは単に会話を長引かせるためだけのものなのか、誰にも理解できない。意味が不明瞭であっても、考え方に統一性がある哲学なら、真の教義にたどり着く可能性はあるが、二重性のある哲学では、理解から決して曖昧さを取り除くことはできないのである。

 『国家』は実際的な問題が扱われていること、しかも直接的な政治批判となっていない点において、他の著作よりは上記のような二重性を免れているといえる。

 だが、プラトンの信奉者が抱いているような純粋性については、どうみてもその痕跡さえ見出せないだろし、先見の明については、それを定義されていない観念の意味にとるならば、十分以上にある。


 第一巻は正義についての議論で占められている。正義の問題は一人だけの生活ではあらわれることなく、人間が社会的に結びつこうとするときに始めたあらわれる問題である。従って、国家が取り得る様々な可能性を考察するときに正義の問題から始めることは理にかなっている。国とても一国で成り立っているわけではない。戦争が起こるかもしれないし、その準備のためには余計な課税や負担がかかることもあり得よう。戦いのなかで敵を殺すともなれば、正義の基本原則を傷つけることになるかもしれない。その上で、ド・クインシーは正義の基本的な問題を「市民同士のつながりから最大級の力を引き出すにはどうしたらよいか。人の力を最高度までに高めるには、あるいはそうした方向に導くにはどうすればいいか。そして、最後に、こうしたことすべてを人間個人の権利をできうる限り侵害も棚上げもなしにするにはどうすればいいかである。」とまとめている。

 この問いかけにプラトンの『国家』は答えているだろうか。

 ソクラテスは、アリストンの息子グラウコンとともに、月の女神ベンディスの祭りを見物にペイライエウスまで出掛けていた。帰ろうとするとき、ケパロスの息子ポレマルコスから是非とも夜祭りも見ていくように引き留められる。そして、対話編に通例のように、ソクラテスとその他の者たちの対話が始まる。すでに年老いているケパロスは老年について語るが、彼にとって老年は、立派な家柄の市民であるために適度に豊かであり、生まれつきさほど激しい欲望をもっていないことによってそのつらさが幾分軽減されている。いずれにしろ、特にこの問題は深く追求されることなく、ケパロスは息子のポレマルコスに対話を譲り、正義について語られ始める。

 彼はシモニデスの意見として、「友には善いことをなし、敵には悪いことをなすのが、正義にほかならない」(藤沢令夫訳、プラトンからの引用は以下同じ)と主張する(訳者の注釈によれば、この意見は広くギリシア人を支配した伝統的な見解であったという)。しかしこの意見はソクラテス流の反問によって曖昧なものになっていく(たとえば、人間に判断の誤りはつきもので、友や敵、善や悪について間違うことは多々ある)。

 ここで、二人の対話をいらいらしながら聞いていたトラシュマコスが割り込んできて、「強いものの利益になることこそが、、いずこにおいても同じように〈正しいこと〉なのだ」と主張する。しかし、ソクラテスは、羊飼い、料理、航海などの例から、自分たちのことよりも、支配されるものの利益を考えるのが普通ではないかと反論する(たとえば、羊飼いは羊が健康で丈夫に成長することにまず関心を払うだろう)。こうした議論の末、「〈正義〉は徳(優秀性)であり知恵であること、〈不正〉は悪徳(劣等生)であり無知である」というとりあえずの結論が提示される。

 国家について考える際に、その土台ともなる正義がなければ、終わりのない戦争状態に巻き込まれてしまうこと、また正義がなければ、神々の好意を受けることができないことからも、是非とも正義についての考察が必要であることは認めながらも、すでにこの第一巻目からしてド・クインシーはプラトンに対して手厳しい。すなわち、

 第一に、あまりに乱雑で偶然に頼りすぎていて、後に続く論及の進み具合を予示しているとはとても言えない。

 第二に、あまりに言葉だけに、細かいところばかりにこだわりすぎている。

 第三に、後に続く部分と関連性がない。次に続く長い論考の入り口としては活力がなく無用なもので、議論の自然な移行が認められない。

2014年8月2日土曜日

ブラッドリー『論理学』56

 §31.実在は現前を超越し、我々を所与を越えた場所に連れ出そうとする。他方、我々は現前以外の場所では実在に接し、現実に触れることはないように思われる。知覚された実在を指し示すことができないとするなら、内容はどのように実在と関係をもつのだろうか。内容は間接的に実在を指し示すのだと答えなければならない。それは与えられたものそのものに向けられるのではない。現前しているものとの関係を打ち立てることによって、その所与にあらわれている実在に向けられるのである。それは現前に見つけだすことはできないが、実在を性質づけているために真であり、直接的な知覚との関係を確立しているために唯一無比である。感覚される空間を越えた空間の、現在だけでなく過去と未来を含む時間の観念世界は直接的なこれの性質に結びつくことによって現実の世界に結びついている。一言で言えば、内容の連続性は要素の同一性をあらわしていると捉えられる。

2014年8月1日金曜日

幸田露伴『冬の日評釈』初雪の巻8

奥のきさらぎを只なきになく 野水

 田螺をとって生活しているものが二月の寒さに泣く、という旧解のまずさは言うまでもない。また、実方中将奥州に下ったところ、五月になって民家が菖蒲を葺かないので、尋ねてみると、この地には菖蒲はないという。実方浅香の沼の花かつみというものを刈って、葺いたらいいと教えた。この実方帰都の望みが遂げられず、長保元年正月二十六日に奥州で死んだ。そこで魂が雀となり、殿上の食前に上がって食うなどと言われ、実方雀の話はいまも残っている。これらのことは『故事談』、『世継物語』その他雑書に見える。

 この句、奥のきさらぎを泣きに泣くものは実方朝臣の北の方などの面影だといわれる。この解もまたいささか行き過ぎている。浅香の沼に実方中将のこと、縁がないわけではないが、実方と田螺となんの関係があろうか、実方が田螺を移したこと、野中兼山が蛤のたぐいを移したような話は更に聞かない。とすれば、旧註の、実方中将の訃報を聞いて、かつて送った国の田螺は都に長らえ、都にいるはずの夫は奥州に果ててしまったが、記念の田螺の泣く音も涙を催すことだという北の方の嘆きの面影だとするのは、あまりに妙な説で笑いを催すほどである。実方は歌人であり風流であったが、旅の身の上で、奥州より都の妻に田螺を送るとは想像もできない。

 面影取りの句は、かならずしもそうした事実がある必要はなく、さもありそうな余情を描くものだとはいえ、これはありそうもない話である。この句はなくの言葉があるのをもって人事と解釈することから、前句の浅香と結びつけて実方朝臣の故事としてしまうのだが、なくは悲しみの泣くに定まったものではない、なくとだけとってもよい、田螺がひたなきになくということであり、「きさらきをひたなき」と仮名書きにしては非常に読みづらく、「只鳴」と書いては「鳴」の字に「なり」の訓もあることゆえ、「只なき」と書けば、「ひたなき」と読むしか読み方がないために、そうしたのだろう。

 「只なきになく」ものは田螺であり、実方の奥方ではない。田螺栄螺のたぐいは甲を閉じて身を守り、遠くに移されてもわからないようだ。栄螺が自らを守る智を誇って、目を開くとすでに炙られようとするところだったという笑い話もある。田螺もまた栄螺のたぐいで、遠くに移されてもわからず、無邪気に長閑になくそのおかしみを見て取って、都の水辺だということも知らないで鳴くことよ、と傍らから興がって、「奥のきさらぎを」と面白く句づくりした。

 「奥のきさらぎ」と表現したことに味があり、「きさらぎの夜を只鳴きになく」などであったら、俳諧味も詩味もまったくなくなってしまう。実方奥方の面影とすると、田螺の因縁を解釈する根拠がないのみならず、一句の味も索然として興がない。野水が「奥のきさらぎを」としたのは、虚のなかに実があって面白いのだが、実方奥方の面影と解しては、実のなかの虚となって趣きもない妄言となってしまう。実方の妻、都で夫の訃報を聞いたとすれば、実方は正月に奥州で死んだので、都のきさらぎを只鳴きになくとなり、どうして奥のきさらぎといえよう。田螺の声も聞けない人には、野水も地下で只泣きにないているだろう。只泣きを「たゞなき」と読まぬのもいい。