2014年8月28日木曜日

幸田露伴『評釈冬の日』初雪の巻17

初花の世とや嫁のいかめしく 杜國

 「嫁」は「よめり」と読むべきであり、動詞から派生した名詞と読まなければここではよくない。「よめ」と読んで、字足らずなので脱字があるとして、「初花の世とてや嫁」とするひとがあるのは間違っている。この句もまた句づくりがはなはだ巧みで、場景の転変と収め方が非常に際だっている。「とや」という一語が、霊妙である。

 一句は、ああ、初花の世になったことだ、あの嫁入りの行列の美しく立派なことよ、というだけのことだが、言外には、地蔵をつくるのは多くは幼くして死んだ幼児のためにすることなので、まだ立たないうちに落ちる花もあれば、まさに開いて照り輝く花もあるという感じをあらわす意味もある。しかし、句の上では、こつこつと地蔵をきる町の、もともと賑わっているわけでもない通りを、飾り立てた花嫁に付き添いの女たち、仲人、親戚、供の男など、なるたけいかめしく装っていくをのをあらわしただけである。

 だが、もしこの句が「初花の世とて嫁のいかめしく」であれば、状況や起きていることは同じだが、余韻がなく言葉がつきて、意もまたつきている。「初花の世とや嫁のいかめしく」とあることで、作者が句中に顔をださず、別に行き交う路上のひとがあって、この嫁入りを見て、前句の地蔵をきる音を聞き、いうにいわれぬ感じを抱けるのを見る心地がする。

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