2014年8月20日水曜日

幸田露伴『評釈冬の日』初雪の巻14

月は遅かれ牡丹ぬす人 杜國

 月は遅れ、いま少しでてくれるな、さて牡丹盗人となろうということである。前句を転じて、小三太に盃を取らせ、酔いをよそおいて戯れると見なしての付け句である。「月は遅かれ」の言葉づくり、何となく謡いめいて面白く、あるいはどの曲かにこの一句があるかどうはわからないが、いまは思いつかない。旧解、誤解うがち過ぎの解があることが多いが、わざわざ論じない。

 牡丹、菊などは花木のなかに特に培養の力で美しく咲き出るものなので、これを育てて大いに誇る者もあり、また欲しがっても惜しんで与えないものである。この句の牡丹盗人がただの盗人ではなく、盗んでいることを見られたとしても笑って済むくらいの格の人物であることは、自ずから句づくりに見える。それを見過ごして、飲酒しながら盗人を待つ様子だといったり、花盗人を咎めない主の寛い心のあらわれだといったような註がでるようになった。句の姿は幾度となく打ち直して句の心に応ずるようにつくってある。であるから、句の姿を熟視すれば、自ずから句の心が浮かびでて見えるだろう。

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