2014年6月16日月曜日

幸田露伴『七部集評釈』32

巾に木槿をはさむ琵琶打  荷兮

 巾は元の意味は小さいきれであり、ゆえに手を拭うものを手巾といい、すなわち手拭であり、食器を覆うものを巾羃といい、すなわちいまの俗語の布巾である。髪を隠すものも巾といい、すなわち頭巾であり、露を受けるもの、髪を覆うものがそれである。ここで巾というのは、字通りに採れば髪を覆うもので、頭巾も巾の一種なので頭巾の上略と考え、蝉丸の像などがかぶった頭巾と心得るべきである。

 木槿は俗に木はちすというもので、花に紫白紅があり、小さな樹で藩の籬にするものであって、人家に少なくない。琵琶はひとつには琵琶を弾ずる人、二つには琵琶をつくる職人である。

 打つという語の意味は甚だ多く、そのなかにものをつくりだすという意味がある。饂飩を打ち、蕎麦を打つというのは、打ってつくりだすものではないが、打つといい、手打ちとさえいう。鍛冶をかぬちというのは金打のつづまったもので、刀をつくるのも刀を打つという。これは打ってつくるものである。仮面をつくるを面を打つといい、その職人を仮面打という。これは彫ってつくる。綿を打つのは弓の弦を撃って弾くためにか、その職人も綿打という。ここでも仮面打などのような言葉の使い方をしていると心得、琵琶をつくる職人と解釈すれば難はない。

 しかしそれでは一句の意味が通じにくい。琵琶を弾くものを琵琶打という例もあるので、論ずるまでもないと思われるが、太鼓、小鼓、羯鼓(台において両面を打つもの)などとは異なり、弾くことを打つとは言いがたいように思われるので、躊躇される。『源平盛衰記』妙音院太政大臣師長西国へ流罪のくだりに、「琵琶を据えて撥を取り、弦を打ち鳴らした」とあるのを引いて、琵琶を弾ずるを打つといっても難がないとする古註は、証拠の挙げ方が強引で、頼るべきではない。

 字としての打を論ずると、打火などのだと同じ用い方で打曲という言葉もあり、打曲は曲を演奏することである。もし木槿を挿むではなく、巾に木槿を挿琵琶打とあれば、汝揚王の故事の本拠となる文中に打曲の字が見られることから、その字を用いたと解釈して、巾に木槿を挿み琵琶打く(ひく)と読むことも可能だが、古来の諸本みな「挿む」とむの字が厳然としてあるので、琵琶打の一語はどうしてもなにかするものの名詞として読まざるを得ない。とすればいささか無理はあるが、琵琶打は琵琶を弾ずる人と解するのも一解である。

 木槿は理由もなくここにでてきたわけではない。唐の南卓の『羯鼓録』に、「汝南王璡は寗王の子であり、容姿に優れ、藩邸でも傑出していたが、玄宗に特に鍾愛され、自ら教え導いた。またその賢明で悟ること早く、音楽に優秀なことをしって。遊行にも従わせ、一刻も手放すことがなかった。かつて絹の帽子をかぶって曲を打した。帝自ら紅の木槿を摘んで、帽子の上の笡に置いた。どちらも滑り落ちてしまい、長らく技術を磨いた。遂に舞山光一曲を奏して花を落とすことはなかった。貞大いに喜び、笑って金を与え、誇って真に花奴にして、資質は明敏、肌と髪は光って細く、人には非ず、必ず神仙の流れを汲むものだろう、といった」とある。

 笡は魚を追い込む網代のように真っ直ぐに薄い竹を編んだもので、廂帽のようなものだろう。玄宗は音楽に精通し、特にその性質が俊邁であり、琴を好まず、羯鼓のように焼けつくような響きの明らかなものを喜んだという。花奴は璡の幼いときの名である。そのことをもとにして、蘇東坡が李公択詩をつくって戯れた奉答の詩に、「汝陽はまことに天人のようで、絹の帽子に紅槿をつける」という句もある。羯鼓は、宋璟が言うところによれば、頭は青山峰の如く、手は白雨点の如くなるをよく奏するものとした。頭は動かず、手は急であることをよしとしたのである。汝南が帽子の上の花を落とさないでいたことに、玄宗が大いに喜んだのももっともだろう。

 この句この故事を踏まえてつくったことは疑いないが、おおよそ楽器のなかで打つというのは鼓のたぐいで、方響なども打つというべきだが、大琴は鼓すといい、琴、箏、琵琶、阮咸琵琶などは弾ずというのが普通で、巾を木槿にはさむは、例の俳諧で差支えないが、琵琶打は読むものを迷わす。琵琶を弾ずる人を琵琶法師というが、それも平家琵琶以後のことであり、琵琶を弾じたる人を琵琶なんとかと賤しく呼んだことも聞いたことがない。

 結局琵琶打の一語が耳に疎いために、妥当は解釈を得られない。だが、一句は汝南王璡の故事に基づいてつくったことは明らかだというべきである。汝南王の紅の木槿はは帽上の極めて滑りやすいところに置かれ、それを髪の巾にはさむとし、汝南王のように端然と弾くほどの妙技があり、頭をどれほど振っても花の落ちぬようにとの心構えのおかしさを俳諧とした。また汝南王が打ったのは羯鼓であり琵琶ではなかったのを、琵琶としたのはこれもまた俳諧の作為で、また実際に羯鼓はあまりわが国では用いられず、琵琶は風雅の人の間で行なわれたものなので、このようにつくった。

 帽子を巾に、羯鼓を琵琶に、妙技の面影を凡庸な技の戯れとするのは、すべてこれ俳諧の作為で、前句の詩仙堂のすべて唐めいた月見の会に、琵琶弾くものがあって、坐客の一人が、汝南王の故事を思いだして、戯れにその頭上に木槿の花を挿したが、弾くものはそのままに曲を奏する、そこを「木槿を挿む琵琶打」といったもので、一句の中心は木槿にあり、木槿は詩仙堂の籬などにあったのだろう。月としては木槿は夏だが、俳諧には秋の季のものとして用いている。この句前句は詩仙堂に雅人の観月の会をするものと見て、秋の句を承け、木槿に唐めいた一座の興趣をあらわした。

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