2014年6月5日木曜日

主人公が積極的につくりだす迷宮――安部公房『密会』



 「鬣」第39号に掲載された。

『密会』は、ある夏の朝、呼んだおぼえのない救急車がいきなり乗りつけ、妻を連れ去るというカフカ的な状況からはじまる。安部公房がリルケとともにカフカの影響のもと文学的出発をしたことはよく知られている。

だが、同じくある朝突然に毒虫に変身する、あるいは逮捕されるカフカの主人公が不得要領ながらもおかしな状況をなんとか打開しようとするのに対し、『密会』の主人公は、むしろ、おかしな状況をよりややっこしく、面倒なものにしていると言った方が実状に近い。

妻が運び込まれた病院が特定され、病院の外に出ていないことがほぼ確実となったとき、男は妻を見つけだすために直接的な手段をとることはしない。つまり、病院を隅から隅までまわって見つけようとはしない。運び込まれた外来待合室から妻がふっつりと姿を消すには共謀者が必要であり、あるいはそれは当直の若い医師で、不倫が行なわれているのではないかと疑われるや、目立たない用務員の服に着替えてその医師を見張るのだが、細かい部分では必要以上に論理性にこだわる男は、なぜ妻が若い男と密会をするのに救急車で病院に乗りつけるといったまわりくどい方法をとらねばならないかについては一向に疑問を感じないのだ。

結局、その医師は関係がなかったようなのだが、そこで軌道修正がなされるわけではない。病院では患者と外部の者との密通が多く、性的不能である副院長は彼らの性衝動に興味をもち、盗聴器をいたるところにしかけている。男はその録音記録にアクセスすることを許される。だが、それがどれだけ迂遠な探索方法であるかは、一時間分を聞くのに七時間かかることでもわかろう。しかも、その進捗具合をノートに書きつけることまで承知し、そのノートでこの小説は構成されている。要するに、勃起しているペニスの感覚を電気信号に変え、大脳につなぐことでオルガスムを得る実験をし、切断した他人の下半身をつなぎ合わせて馬人間となった副院長や、骨が流体化して重力の作用で縮んでいく溶骨症という奇病を患っている少女と同じく、男もこの奇妙な世界の立派な住人なのである。

結局、途中から妻の行方を追うことよりは、副院長の性的玩弄物になるであろう少女を救いだすことに目的は移り、闇のなかで、溶けてしまった骨のまわりに幾重にも肉や皮をたるませた原形をとどめない少女を愛撫することでこの小説は終わっていく。

「ここは自分を信用して、兎を閉じ込めたのが、他に逃げ道のないシルクハットだったことを飲込んで欲しい」という一節があるが、カフカよりは論理をイメージに変換するルイス・キャロルに近い小説だと言えるかもしれない。あるいは、初期の安部公房作品に特徴的であったリリシズムが顕著なこと、裏底に気泡バネを仕込んだジャンプ・シューズや馬人間、人間関係神経症や溶骨症など、実際にはないがその存在を実感できる喚起力をもち、いったんそれを受けいれさえすれば論理的に機能する細部などは安部公房が愛したボリス・ヴィアンを連想させる。

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