2014年6月10日火曜日

世紀末と食について――ノート14

 『鬣』第39号に掲載された。

 モース・ペッカムは、十九世紀の哲学者や文学者たちが投げだされた、あらゆる権威が破綻してしまった状況を地獄よりもたちの悪い荒野にいることに例えている。というのも、「地獄には少なくとも秩序と意味があるからである。価値が欠けていることは、神とともにある価値の存在があることを意味している。地獄は非価値の場所ではない。そこにあることは苦痛でしかないかもしれないが、居場所があるには違いない。罪は美徳の存在を意味しているが、荒地には美徳も罪も存在しないのである。」(『悲劇的ヴィジョンを越えて』)

 荒野にいる者たちは、そこから脱出する道を求めてさまよい歩く。美徳も罪もない荒野で向かう方角を決め、歩きつづけることは、一方ではその動機づけを維持するための、ある意味病的とも言えるかもしれない観念の固着を生みだし(こちらの方向で正しいはずだ)、他方ではさまよい歩かざるを得ない状況に対する悲しみや絶望感が吐露されることにもなろう。しかし、美徳も罪もない場所での悲しみや絶望感は、いかにそれが真正なものであろうとすぐに風化してしまうことになる。そこには対抗して提示されるような新たな価値がないからである。

 吉田健一がヨーロッパの十九世紀を衰弱の世紀とし、この世紀の精神をもっとも典型的に象徴するロマン主義を批判するのは、こうした風化した観念が生の実質を蝕み、取って代ってしまったからだった。悲しみや絶望感とはいっても、それを克服することによって生の実質を取り戻すためのリアルな障碍なのではなく、単なる符丁に過ぎない。したがって、言葉つきこそ深刻だが、上っ調子の抵抗感のないものとしてロマン主義は特徴づけられる。

   併し観念だけを観念的に用ゐて他の言葉に力を持たせることは出来ない。或る言葉の権威に寄り掛かるのは言葉といふもの全体に対して鈍感になることで、もし例へば絶望といふ言葉はどこにどう使つてもそれだけの働きをするものといふ態度を取るならばそれと他の種類の言葉を区別する必要を認める理由も失はれて、それならば花が咲いても家の窓から明りが差してもそれもたださう言つた景物に過ぎなくなる。又さういふ言葉の使ひ方をすれば詩では調べがいいといふやうなことでそれを読むものが運んでいけて散文でも一般に或る風に受け入れられてゐる観念を別なもの、或はもつと正確には言葉として扱つて生かすことを避けさへすれば読者に背かれる心配がない。かうして反逆の文学などといふものではなくて浪漫主義の文学の特徴は抵抗がないといふことにあり、科学と政治で一種の画一主義に走つた十九世紀のヨオロツパは文学の面でも別に神経を苛立たせるものを見出さなかつた。
                    (『ヨオロツパの世紀末』)

 こうしたロマン主義の軽薄さを鮮やかに反転させたのがポオやボードレールということになる。ロマン主義中心の文学観によれば、彼らはロマン主義的なテーマを集大成し、形式的な完成にまで導いたということになろうが、吉田健一(あるいはこの点では彼に決定的な影響を与えたと言えるヴァレリー)にとっては、ポオやボードレールはロマン主義の延長線上にあるのではなく、まったく異なった定位を示したのである。彼らは、荒野を固定観念をもってさまよい歩くこともなければ、悲しみや絶望を歌い上げることもしない。はじめて荒野で生きることを選択したのである。悲しみや絶望の代用品として集められていたロマン主義テーマは、実際にそれを生きることでまったく異なった意味合いをもつことになる。

    もしボオドレエルの詩に苦悶や絶望があるならば我々は正常な人間として辟易する筈であり、それがあるとも見られるのはボオドレエルが自分の周囲に、或はこれは全く同じことであるが、自分の精神のうちにさうしたものがあつたので丁度花の下に立つた西行のやうにそれを材料に使つて言葉を探したに過ぎない。彼は馬の腐り掛けた死骸まで自分の愛人に宛てた詩に織り込むことが出来て、それを読んで我々の精神も彼のに支へられてたじろがない。(同前)

馬の腐りかけた死骸は、悲しみや絶望感の比喩でもなければ言い換えでもなく、なにはさておき馬の腐りかけた死骸であり、そうした正確な目を働かせることがとりも直さず生の実質を保証する。荒野で生活することを決意した人間たちが生の実質、吉田健一の著作の題名でいうなら『時間』や『変化』を、観念に惑わされることなく正確に認識しはじめたのが十九世紀末だということになる。吉田健一の文章ではおなじみの酒を飲むことや食べることもまた生の実質の枢要な部分を形づくるものだと言えよう。


 アメリカの料理エッセイストM・F・K・フィッシャーは1937年のエッセイ集の序文で広く食について書かれた本を六種類に分類している。現在でもおおよそ状況は変わっていないのではないだろうか。

  食べることについて書かれた本には二種類ある。ブリア=サヴァランを真似しようとしたものとそうでないものである。前者は彼の機知を奇抜さに、愉快な逸話を退屈な思い出に変える。後者は繊細であるべきところで粗雑で、射貫くような観察よりは無愛想な統計を選ぶ。
    また、なにを食べるかについての本がある。こちらにも二種類あり、前者はレシピが書かれたものである。未消化な事実の寄せ集めであり、非常に実用的で、濡れてもいいような表紙やグレービー・ソースのような色の紙を使ってあり、分量や食物の評価からはじまり、病弱な者への配慮で終わっている――かくも衛生学にこだわることの奇妙さよ!それらは通常ドイツ、イギリス、あるいはアメリカのものである。
    他方は、簡潔で、クリーム色や光沢のある紙を使った非実際的な装幀であり、当世風の版画による挿画まである。それらは食卓のよろこびについての機知あふれる哲学からはじまり、自分の妻が寝取られているかもしれないと感じている裕福で年老いた銀行家が、妻を知る七人の紳士を招いて催す内々の夕食でのメニューで終わっている。それらは通常フランスの本である。粘液質な前者とは異なり、実用性には劣るが、より楽しいものとなっている。
    もうひとつ、非常に興味深い主題、誰が食べるかについても二種類の面倒な別形がある。前者は、熱心な出版社によって少なくとも半年に一度はカタログの「回想」の部分にそっと載せられるような本である。そのページはよく知られた名前の重みでよろめき、もみくしゃになっており、トリュフ、シャトーディケム、フィナンシエール・ソースの鶉などのうっとりするような香りが各章から立ちのぼっている。あなたはモンテ・カルロのバルコニーに無頓着な気取りをもって座り、三人の王子、一人の億万長者と差し向かいで話し、ロンドンで愉快な祝杯をあげる、彼女に神のご加護があらんことを! あるいは、黙々と食べ続ける閣僚たちでいっぱいになったジョージ王朝風のダイニング・ルームで、繰り返されることで世紀末のエピグラムとなった気の利いた言葉が取り交わされる。このジャンルは非常に衰えている――だがよく売れると言われている。
    誰が食べるかについてもう一種類の本は、時折、より不快に感じられることもあり得る。それは通常、二、三人の自称グルメによって書かれている。オックスフォード近くの趣のある古い宿屋やらカンヌ近くの趣のある古い宿屋に立つ著者の写真が載せられる。生真面目、かつ厳正な権威によってボルドー対ブルゴーニュの問題、バルザックをいつ飲むべきかが論じられ、葡萄酒、酒手、カクテルの野蛮さについての恐怖などあらゆる疑問について見事な確信をもって回答する。言うまでもないだろうが、それらの著者は若く、知的な楽しみや歓楽には事欠かず、自転車で食べ歩きをしている。(『食べることの技芸』)

 「なにを食べるかについての本」二種類のうち前者は、料理の手順やできあがりがいちいち写真で再現提示される大量に出まわっている類のレシピ本があてはまるだろう。後者は実用性では及ばないが、より楽しく、食についての哲学や機知が感じ取れる玉村豊男や小泉武夫の著作などがあてはまろうか。

 「誰が食べるか」に関する二種類の本の前者については、日本では少なくとも明治以降には社交界がなく、自伝を書くという伝統も確立されていないために、著名人とさまざまなソースの匂いが入りまじってそれを描いた人物が生きた時代の香気を立ちのぼらせる類の本にはめぼしいが、内田百閒、小島政二郎、東海林さだおの食にまつわる文章などは、特に物珍しいものが食べられているわけではないのに、彼らにしかありえようのない食に対する実存的な姿勢が見事にあらわされている。後者は、ミシュランであるとか、山本益博であるとか、またラーメン店やB級グルメを食べ歩くタイプのガイド本があてはまる。

 「食べること」について書かれた二種類の本というのが、実は一番わかりにくい。ブリヤ=サヴァランを真似しない「無愛想な統計を選ぶ」本とは、さしずめ、『味覚の生理学』というブリヤ=サヴァランの本の題名を文字通りに受け取り、機知や逸話なしにもっぱらヴィタミンの効用や栄養について「科学的に」取り扱う本があげられる。それではブリヤ=サヴァランを真似るとはどういうことなのだろうか。ブリヤ=サヴァランの本は従来『美味礼賛』という邦題で知られていたが、原題は『味覚の生理学』という素っ気ないもので一八二六年というロマン主義とその楯の両面である実証科学(いまや科学だけが信頼できる価値であり、すべてを科学に還元してしまおうとする強迫観念に至る)の最盛期に刊行された。とはいえ、この著作は空疎な観念とも、食にまつわるすべてのことを科学に還元してしまおうとするような生硬さからも一線を画している。というのも、この本の大きなテーマのひとつは、食にまつわる快楽を探求することにあるからである。味覚というものは、諸感覚のなかでもっとも多くの楽しみを与えてくれると述べたうえで、ブリヤ=サヴァランは食の快楽を次のように列挙する。

     一 食べる快楽は、節度をもって楽しめば疲労を伴わない唯一の快楽である。
     二 この快楽にとって時機・年齢・境遇の区別はない。
     三 それは少なくとも一日一回かならずやってくる。たとえそれが一日に二度三度となろうとも大して不都合なことにはならぬ。
     四 それはすべての他の快楽とまじることができる。他の快楽がない場合はわれわれを慰めてもくれる。
     五 その印象は他の快楽の印象よりもながもちするし、また意志に依存する度合が高い。
     六 食事しながら感じるのは、名状しがたいある独特の安逸感である。ものを食べることによって、われわれは消耗を回復し命を延ばしているのだ、と本能的に意識するところからこの安逸感は生じてくる。(松島征訳)


 快楽というのは個人的になり、倒錯しがちなものなのだが、バルトも言うように、ブリヤ=サヴァランはなぜか「健康な」合理性のうちにとどまっている。

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