2014年4月30日水曜日

幸田露伴『七部集評釈』21

のりものに簾透く顔おぼろなる  重五

 一句の情は解釈をまつまでもなく明らかである。簾は乗り物の簾である。前句は野草に蝶が遊ぶことが人を愁いに誘ったが、この句は他から見るその人のありさまをあらわしているだけだが、言葉のあり方、切り取り方に佳趣がある。簾近くに顔を寄せるとその面影がすけて見える。この駕籠のなかの人を上﨟といい、左遷で遠くにながされた人などと解釈するのは行き過ぎていて、ただ前句の野草に遊ぶ蝶に愁いをおぼえ涙する人であり、後句からは後句でどのようにも変化するものである。

2014年4月29日火曜日

ブラッドリー『論理学』27

 第一巻判断第二章判断の定言的仮言的形式から。

 §1.前の章では、我々は判断の主要な特徴を簡単に記そうとした。この章は我々の結論を支え深めることとなろう。ここで扱われる問題は、部分的には、ヘルベルトによって提起されたよく知られた議論に出くわしたことのある者にはおなじみのものだろう。この章の長さと難解さでは成功はおぼつかないが、長さにしろ難解さにしろ、この問題の現代論理学における重要さが十分正当化してくれているのだとあらかじめ言うことを許してもらわなければならない。

 判断はなんらかの事実や実在について何ごとかの述べている、と我々は自然に仮定している。それ以外のことについて肯定しようと否定しようと、そうした判断は取るに足らない主張となろう。我々はなにか言うだけではなく、現実のなにかについて言わなければならない。このように考えると、判断は真か偽でなければならないが、その真や偽は判断自身のうちにはあり得ないことになる。それは判断を越えたなにものかへの参照を含んでいる。そして、我々が判断をするそのものは、事実以外のなにがあり得るだろうか。

 客観性や必然的つながりについての意識には、判断の本質があると言われることもあるが、最終的にはその意味を実在への参照から引き出しているのがわかるだろう。真理とは、ある意味、真であることを強制されなければ必然的ではない(第七章を見よ)。強制は強制するなにかがなければ可能ではない。その力をふるうのが実在で、判断はそれについてなされる。実際、S-Pそのものが事実に関して定言的に真であることを我々は主張したりしないし、それは我々の判断ではない。実際の判断は、S-Pは実在であるxによって我々の心に強制されるものだと主張するのである。それがどのようなものだろうと、この実在が判断の主語である。客観性についても同様である。S-Pというつながりが私の判断の外側にあるなら、それはどこにもないのとほとんど変わらない。それはなにかとの関わりで正当なものとなるのであり、そのなにかとは実在でなければならない。疑いなく、S-Pはこの事実の直接的な真実とはなり得ない。それもまた我々の主張することではないのである。実際の判断は、S-Pがxとの関わりのうちにあることを主張する。そして、再び、これは事実についての主張なのである。

 確かに、真実が実在についての真でなければならないという自然な仮定が存在する。僅かの反省で達することのできるこの結論は、この章の結論でもある。しかし、それに到達するためには苦闘があり、問題の精妙さに悩まされることがあり、ある点では恐らく幻滅や動揺に襲われることもあろう。

2014年4月28日月曜日

老子と萩原朔太郎――ノート12


 『老子』は、『荘子』とは異なり、抽象的で、なかなか具体的なイメージをもちにくい章句が多い。だが、第六章などは難解で、しかとなにを指しているかはわからないものの、魅力的なイメージを喚起するものだろう。

谷神は死せず、是れを玄牝と謂う。玄牝の門、是を天地の根と謂う。綿綿として存するが若し。之を用うれども勤きず。

 小川環樹は次のように訳している。

 谷の神は決して死なない。それは神秘的な牝と名づけられる。神秘な牝の入り口、そこが天と地の(動きの)根源である。それはほそぼそとつづいて、いつまでも残り、そこから(好きなだけ)汲み出しても、決して尽きはてることがない。

 「谷」と「穀」とは同音であって、「谷神」は「穀神」であり、万物を生成する神だと解釈する説(武内義雄)もあるらしい。だが、小川環樹は、「水は第八章にもみえるように、柔弱で自己を主張しない。しかもあらゆる物をおし流す大きな力のあるものの象徴であり、水のたとえは『老子』のいたるところにあらわれる。水は低いところに集まり、水の集まる場所が谷であるから、谷には水の力が集中しているわけで、その神の巨大なはたらきも理解できる。」とし、「『綿綿として・・・・・・』の句は、谷川を流れる水が、ほそぼそとしていても尽きないありさまを、心に想い浮かべつつ、無力にみえて実はそうでない、ある永遠のはたらきを説こうとするのである。」と解している。

 「牝」は雌である。となると、世界を生みだした母神、しかも水のイメージを湛えた水神的性格をあわせもった母神についての神話伝説の名残りを老子の言葉の背後に認めることができるかもしれない。津田左右吉は、儒教にはその痕跡すら見当たらない『老子』の宇宙生成論は、民間説話から取り入れたものではないかと推測している。

全体に「老子」、従つて又た一般の道家、の言説には民間的色彩が可なり濃厚であるので、「老子」に往々、母子とか、雌雄とか、牝牡とかいふ語が用ゐられ、又は腹、骨、目などの肢体、もしくは谿、谷といふやうな地相の名が取つてあり、「谷神不死、是謂之玄牝、玄牝之門、是謂天地根、」(六章)といふ有名な句も作られてゐる如く、一種特殊の表現法のあるのも、亦た或は俚諺俗話などに何かの由来があるのかも知れぬ。単なる譬喩の言としては頗る調子外れであり、又た他の典籍に類例も無いから、これは別に本づくところがあらうと思はれるからである。俚諺の興味は世相の裏面を穿ち、処世の道を示すところにあり、世故に長けたものの体験から出たものであることを思ふと、「老子」が俚諺から取つたところは、単に其のいひかたばかりでは無かつたことをも参考するがよい。
            (『道家の思想と其の展開』)

 確かに、母子、牝牡、肢体、地相などの語は、儒教には見られないものであり、こうしたある意味生々しい言葉が幽邃な宇宙論に結びついているところに『老子』の魅力があると言える。富士川英郎は「谷神不死」(『萩原朔太郎雑志』所収)というエッセイのなかで、『老子』の言葉の裏に原始母神への信仰を見てとった文章に石田英一郎の「桃太郎の母」があり、その説がドイツの中国学者エルヴィン・ルッセールの「龍と牝馬」という論文によるものであることを指摘したうえで、そのルッセールが訳した『老子』第六章を紹介している。

泉のわく谷の神は死なない
それは神秘な獣の女神である
神秘な獣の女神の胎は
天と地の根元である
絶えることのない絲のようにそれはいつまでも尽きず
なんの苦もなく作用いている。

 「神秘な獣の女神」となると、ぐっと具体的なイメージになるが、獣と限定されることによって、女性原理そのものをぎりぎりのところで「玄牝」とした表現を甘くしてしまっている印象をもつのも確かである。


 ところで、「谷神不死」というエッセイは、同名の萩原朔太郎のエッセイを紹介する文章である。このエッセイは雑誌「文章倶楽部」の昭和二年五月号に載ったもので、現在は筑摩書房版の『萩原朔太郎全集』第八巻に収められているが、それ以前はどんな単行本にも収録されなかったものらしい。実際、私がもっている新潮社版の『萩原朔太郎全集』(全五巻)には収録されていない。萩原朔太郎にとって、老子は重要な名前のひとつであり、『絶望の逃走』(昭和十年)というアフォリズム集の「偉大なる教師たち」という項目では、ドストエフスキー、ニーチェ、ポー、ボードレール、ゲーテ、ショーペンハウエルと並んで老子があげられており、「老子は大自然の山嶽であり、支那の国土が生んだ玄牝である。彼の居る思想の谷には、永遠不死の谷神が住み、宇宙と共に夢を見て居る。」と書かれている。また、昭和三年に刊行された第一書房の『萩原朔太郎詩集』の「『青描』以後」には、老子をテーマにした詩がある。

桃李の道
           ――老子の幻想から

聖人よ あなたの道を教へてくれ
繁華な村落はまだ遠く
鶏や犢の声さへも霞の中にきこえる。
聖人よ あなたの真理をきかせてくれ。
杏の花のどんよりとした季節のころに
ああ 私は家を出で なにの学問を学んできたか
むなしく青春はうしなはれて
恋も 名誉も 空想も みんな楊柳の牆に涸れてしまつた。
聖人よ
日は田舎の野路にまだ高く
村村の娘が唱ふ機歌の声も遠くきこえる。
聖人よ どうして道を語らないか
あなたは黙し さうして桃や李やの咲いてる夢幻の郷で
ことばの解き得ぬ認識の玄義を追ふか。
ああ この道徳の人を知らない
昼頃になつて村に行き
あなたは農家の庖廚に坐るでせう。
さびしい路上の聖人よ
わたしは別れ もはや遠くあなたの沓音を聴かないだらう。
悲しみしのびがたい時でさへも
ああ 師よ! 私はまだ死なないでせう。

 『史記』列伝の李将軍の賛にある、徳のある人間のもとには自然に人が集まることを例えた「桃李もの言わざれども下自ら蹊を成す」という表現も念頭に置いているのだろうが、慕わしくまた懐かしい人物として老子が描かれているのは興味深い。

仏陀
            或は「世界の謎」

赭土の多い丘陵地方の
さびしい洞窟の中に眠つてゐるひとよ
君は貝でもない 骨でもない 物でもない。
さうして礒草の枯れた砂地に
古く錆びついた時計のやうでもないではないか。
ああ 君は「真理」の影か 幽霊か
いくとせもいくとせもそこに坐つてゐる
ふしぎの魚のやうに生きてゐる木乃伊よ。
このたへがたくさびしい荒野の涯で
海はかうかうと空に鳴り
大海嘯の遠く押しよせてくるひびきがきこえる。
君の耳はそれを聴くか?
久遠のひと 仏陀よ!

 たとえば、同じ「『青猫』以後」で、数篇後に置かれている「仏陀」は老子にくらべるとだいぶんよそよそしいものになっている。「むなしく青春はうしなはれて/恋も 名誉も 空想も みんな楊柳の牆に涸れてしまつた。」と自分の胸中を語ることもないし、「聖人よ」と呼びかけることもなく、桃や李の花が咲き、娘の機歌が遠く聞えてくるような牧歌的かつ夢幻的な風景が拡がっているわけでもない。関の関所の監督官である尹喜に頼まれて書いたという『史記』の記述が歴史的事実であるかどうかはともかく、『老子』という書物がひととの偶然の出会いによって成立していることがパーソナルな慕わしさを老子に感じさせることになっているのだろう。彼は、宗教的確信をもって、自らの教えを無数の群衆に向けて語ったわけではなかった。


 ちなみに、郭沫若は『歴史小品』のなかの一篇、「老子 函谷関に帰る」で老子と尹喜の後日談を小説にしている。尹喜は老子の薫陶よろしく、人を避けて隠遁生活を送っている。そこに老子が戻ってくる。手には牛の尻尾を握っている。老子が絵画に描かれるときには牛にのった姿であることが多いが、その尻尾はまさしく老子が旅立っていったときの牛のものだ。老子は水も草もない砂漠で牛が倒れてしまったこと、与える食べものもなく、なすすべもなく見守ることしかできなかったこと、しまいには自分も空腹に耐えられなくなり、牛の太腿を切りつけると、その血を飲んで命をつないだことを語る。そして、「わしは完全に利己主義の小人なのだ。わしのこの書物は、完全に偽善の経典なのだ。わしは、自分が天下唯一の直なる人間であることを見せたいばかりに、ことさらに西の方に道をとったのだ。砂漠に行って特異さを目立たせてやろうと考えたのである。やれやれ、わしは大きなそろばん違いをした。門を出ずにいては、結局、天下を知ることはできないものだ。かなしいことに、わしが想像していた砂漠と、現実の砂漠とは、完全に別のものであった。」(平岡武夫訳)と自分の思想を完全に否定し、「人間界に帰って行って、まじめに、ひとつ、人間の生活をしようと思う」と言うや、人を誤らせるものだといって自分の書いた『道徳経』を持ち去ってしまうのだ。残された尹喜は、「歴史あって以来の大賊(哲?)老子め、きさまはその『偽善経』を抱えて行ったが、また本屋に行って、麦餅をいくつかかたりとるのだろう。フン、・・・・・・」と毒づく。思いきって老子を俗物にしたのが工夫だが、理論と現実との相違というごく平凡なテーマに落着いてしまっているとも言える。

2014年4月26日土曜日

毒虫の正体――カフカ『変身』


『鬣』第36号に掲載された。

グレゴール・ザムザは「毒虫」に変身した。しかし、「毒虫」とは具体的にどんな虫なのだろうか。原文のドイツ語はUngezieferで、有害な昆虫や鼠のような小動物までを含む言葉であるらしい。

研究者たちのあいだでは一般的にこの「毒虫」はゴキブリのことだとされている。実際、私も『変身』を幾度読み返したかわからないが、いつの頃からかゴキブリをイメージして読むようになっていた。

ところが、ナボコフによれば(『ヨーロッパ文学講義』野島秀勝訳)、ゴキブリのはずはないという。確かに、カフカは「あおむけに寝ている背中は鎧のように固く、首を少しもたげて見ると、腹は、茶色にまるくふくれ上り、弓なりにたわめた何本もの支柱で区切られた様子・・・図体にくらべて情けないほど細いたくさんの脚」(川村二郎・円子修平訳)と書いており、大きな脚をもち平たい形をしたゴキブリとはまったく異なっている。共通するのは色が褐色だという点だけである。

また、小説の後半で新しく雇われた老いた雑役婦がザムザの姿を見て「タマコロガシのおじさん!」と呼びかける場面もある。もっともタマコロガシは、糞玉を転がすのに大きな後ろ足をもっているからふさわしくないだろう。

日本でいえば、さしずめ、夏の燈火によく集まってくる茶色の小さなコガネムシ、あれが大きくなったと思えばいいだろうか。だが、ゴキブリとコガネムシ、どちらの方がより小説に豊かな意味合いを与えることになるのだろうか。というのも、両者のあいだでは小説の印象が相当異なったものとなるからだ。

グレゴールは、父親が五年前に倒産したときの債権者のひとりのもとに勤めており、父、母、妹の生活を支えている。外交販売員として忙しく飛びまわっている旅の合間、たまたま自宅で泊まったときに虫に変身してしまったのである。それを思えば、家族の対応はあまりに冷酷である。父親は虫になったグレゴールが人間の意識をもっていることなど思いも寄らぬように手荒に扱う。グレゴールがもっとも愛していた妹は、最初のうちこそ気遣いを見せていたが、物語の中盤から義務的で投げやりな「世話」しかしなくなる。母親は、ときにグレゴールの心中を見抜くようなこともあるのだが、実行力がまったくない。ナボコフが言うように、家族こそがグレゴールにとりついた寄生虫であり、彼を「からからに」してしまったのだ。

しかしながら、もし変身したのがゴキブリであった場合、家族たちの反応を当然とは思わないまでも、後ろめたい気持とともに彼らに加担することになるだろう。他方、コガネムシの場合、たとえば、天井に気分よくうっとりと張りついているとうっかり床に落ちてしまう場面などはある種愛嬌を感じさせるものとなろう。それゆえ、家族たちの非人間性が余計に際立つことになろう。おそらくこうした意味の振幅が「毒虫」という言葉には込められている。

2014年4月25日金曜日

アウグスティヌスと科学

 John Forrester,Truth Gamesから。




 嘘つきのパラドックス——文の形で言うと「真理は存在しない」——はアウグスティヌスによって真理は永遠であることを確立するために用いられた。「真理は永遠たり得ないのだろうか。もし真理が真理でないときがあるなら、真理が存在しないという真理が存在することになろう・・・そしてそれは不可能である。従って、真理は永遠であり・・・それゆえ神は存在する。」これははったりを消し去る一つの方法であり、厳然たる変化のない真理の愚鈍さを確立する。ウィリアム・バックランドは岩に刻まれた地球の歴史の証拠は、岩は嘘をつかないゆえに人間によって書かれた証拠よりも好ましいことを知っていた。科学者や神学者は、自然がはったりをかけうるという可能性を消し去るために、自然の無意識な愚鈍さを守り、我々が自然と行う真理にかかわるゲームに誤った誘導をする可能性がある。ミクロ物理学の物騒な実験でさえ——現実のものであれ思考上のものであれ——エレクトロンの位置は科学者の行動に依存し、観察者/被観察者は相互作用するシステムであるという見解へと導くのだが、エレクトロンは物理学者が仕事をしているときには常にはったりを行っていると推察するまでにはいたらない。
 ノーバート・ウィナーは、有益な区別を導入し、我々が科学と呼ぶある種の真理のゲームを考察する際にそれを利用した。私がすでに行ったように、デカルト的形而上学、アインシュタイン的物理学の欺く神、悪意のある神という切迫した問題に注意をひくために、彼は、科学者は宇宙の秩序を発見するゲームにおいて、「アウグスティヌスの」対立者として自然をみざるを得ないことを指摘した。アウグステゥヌス的見解では偶然や悪は宇宙の非完璧性や不完全性からきている(この宇宙における人間の存在も含めて)。対立するマニ教の見地では、偶然や悪は慎重で悪意のある知性や悪魔の仕業とみた。科学者は自然の諸力ははったりをしないという重大な仮定をした。自然はアウグスティヌス的だと仮定したのである。「悪魔[たとえばマックスウェルのデーモン]は制限なく欺く能力を持っており、疑いのない力を探し求める科学者は宇宙のなかで混乱するしかなく、探求に時間を無駄に費やすだけである。自然は解読されることに抵抗を示すが、外的世界と我々とのコミュニケーションを妨害する新たな解読することが不可能な方法を見いだすほどの巧みさはない。」

2014年4月23日水曜日

ブラッドリー『論理学』26

 第一巻判断第一章判断の一般的性質から。

 §26.これ以上は先走るべきではない。伝統によってお下がりのように伝えられてきた「連合の法則」の虚構性については後に示すことになろう。ここでの我々の対象は、ついでではあるが、判断における観念のシンボル的な使用は、精神の初期のものではないにしても、心的発達の自然な帰結だということである。知性の最初期から働いているのはこの種のものであり、イメージではない。イメージは決して魂に保持されないし、それは可能でもない。そのなかにある諸要素のつながりはすべて置き去りにされる。もし望むなら、それを我々の想像力の無能力といってもいいし、知性の本質である精神の観念化する働きといってもいいが、どの段階においても、なんらかの毀損なしに、個物であるために必要な細部の除去なしに事実が保持されることは不可能だということは変わらない。我々の成長の早い段階にまで、あるいは生命というものの初期の段階に下りていく程、より典型的で個的でない、細かな区別がなくより曖昧で普遍的、広範囲でシンボル的なものが経験の貯蔵庫となっている。意味がまず事実以外のものとして認められるという意味でシンボル的なのではない。分析が関係のある細部と関係のない細部とを区別し、より単純な要素を見いだし、知覚によるものよりも広範囲にわたる総合を行なうという意味での普遍でもない。存在を抜きにして意味をとり、個物を個物として扱わないという意味での、常に所与のものを超越し、どこでであろうと一度経験したものはいつどこででも真であり確実で、最初期の知性も最後期の知性も生の領域では端から端までまったく同一のものであるという意味で普遍的、シンボル的なのである。

2014年4月22日火曜日

対角線に鬼の足あと――俳句

 『鬣』第35号に掲載された。

銀色に氷った夜のなますかな

閨怨や穴の向こうの違い棚

娘修行ヨードチンキのもやのなか

神仙伝封のあいてる袋とじ

太郎なき次郎の朝の屋根の雪

悪徳も美徳もよろめく花のなか

亀鳴くや雑(ぞう)談(だん)をするむつかしさ

全き天全きバナナのプランテーション

シナチクの川さかのぼる豚の精

2014年4月20日日曜日

幸田露伴『七部集評釈』20

のりものに簾透く顔おぼろなる  重五

 一句の情は解釈をまつまでもなく明らかである。簾は乗り物の簾である。前句は野草に蝶が遊ぶことが人を愁いに誘ったが、この句は他から見るその人のありさまをあらわしているだけだが、言葉のあり方、切り取り方に佳趣がある。簾近くに顔を寄せるとその面影がすけて見える。この駕籠のなかの人を上﨟といい、左遷で遠くにながされた人などと解釈するのは行き過ぎていて、ただ前句の野草に遊ぶ蝶に愁いをおぼえ涙する人であり、後句からは後句でどのようにも変化するものである。

2014年4月19日土曜日

ブラッドリー『論理学』25

 第一巻判断第一章判断の一般的性質から。

 §25.どちらの側に立っても、心的存在としての観念は他のあらゆる現象と同様個物であることは認められる。論議はその使用に限られるのである。私は、それが個物にとどまっている限り、単純な事実であり、観念では全くないと主張する。そして、経験を敷衍したり変容したりするために用いられるときには、決して個的な形で用いられないのである。A-Bが知覚にあらわれるとき、過去の知覚の結果であるB-Cが個的なイメージb-cとしてあらわれ、呼び起こされたこれらのイメージが現在のあらわれに結びつくのだと言われている。しかし、これ以上の誤りはあり得ない。bとcの個別性を形づくるしるし、関係、相違がA-B-Cの合成のうちにあらわれる、あるいはどのようにしてか、それを生みだすために用いられるというのは真実ではない。そのcとしての内容を別にしたイメージcは心的現象の非限定的な細部をもっている。しかし、A-B-Cにおいて使用されたのはそれではなく普遍としてのcであり、知覚A-Bがそれによってcを再個別化する。もしそうなら、実際に働いているのは、普遍的観念間のつながりだと言わなければならない。我々は、無意識にではあるが、明示されたときには既にシンボルの意味を有しているのである。

 後の章でこのことははっきりさせようとは思っているが(第二巻第二部第一章を見よ)、問題が重要なので、あえていくつかの例を挙げておきたい。昨日私の犬が猫を追いかけたか敵と戦ったかした場所に今日着き、その知覚が観念を「呼び出し」、犬は必死に駆け出そうとする。彼の経験は白い猫か、大きな真鍮の首輪をした黒いレトリバーのものであったろう。今日のイメージは多分それほど明確には「呼びだされ」なかったが、いくつかの細部は確かにあり、それが経験を再現するのだろうと我々は思う。今日はそこに黒い猫がおり、犬の方はいつもと変わらなかったとしよう。白いイメージはまったく見当違いのものである。あるいは今日は別のもう一匹の犬がいて、ただその犬が同じようにしてにらみつけるので、私の犬がそれを攻撃するとき、彼は知性ではなく行動においてより普遍的だということになる。というのも、全体のイメージではなく、内容の一部が彼の心では働いているからである。彼は小さな犬、白い犬、毛並みのいい犬には目をとめないかもしれないが、そのとき、大きさ、黒さ、毛並みの荒さは典型的な観念として確かに彼のうちで働いているだろう。確かに、観念は個物であり、それは知覚とは異なり、それを区別できないことが動物の欠点だと言うことはできる。しかし、なぜ区別することに失敗するのだろうか。テリアくらいの知性があれば、白の猫と黒の猫、ニューファウンドランドと牧羊犬の区別くらい見てとることができないだろうか。「いいや」と言う者があるかもしれない、「注意を向けさえすれば彼にはできる、たとえ両方ともいたとしても、彼は注意を向けていないのだ」と。しかしもしそうなら、相違が用いられず働かないままに残されているなら、それは働いているもの、使われているものが、相違のなかで永続し、後に普遍的な意味となる内容の一部だということの明らかな証拠ではないか、と私は言わなければならない。

 また、ある動物がある日台所の火で火傷をしたら、次の日には火のついたマッチを怖がるかもしれない。しかし、二つのことはいかに異なっていることか。似ているところより異なっているところが多い。マッチの火は最初に召喚され、それが台所の火と混同されることがないと影響を及ぼさないとでもいうのだろうか。あるいは、個別的なものではない要素間のつながりが最初の経験によって心に生みだされるとでもいったほうがいいのではないだろうか。しかし、もしそうなら、最初から普遍は用いられ、事実と観念、存在と意味の相違は発達していない知性においても無意識に働いていたのである。

2014年4月17日木曜日

無関心と嫌悪感――ラーメンと私

 『鬣』第35号で「ラーメンと私」という特集があって書いた。

 私はラーメンに関心がない。もっと正確に言うと、ラーメンについて語ることに関心がない。純粋に食べものとしてラーメンを麺類のなかで順位づけてみると、蕎麦よりははるか下、うどんよりもまだ下、焼きそばや冷麺よりはちょっと上というところだろうか。たまに家で食べることもあるが、もやしやキャベツなどの野菜と豚肉を相当量炒めて乗せるので、醤油ラーメンだろうが味噌ラーメンだろうが豚骨ラーメンだろうが、すべて外貌はタンメンになるのだ。

 外で食べることも滅多にない。今年はまだ一度もラーメン屋に入っておらず、記憶している限り、去年も一度しか入っていない。学生のときにはよく(といっても月に一度くらいか)、その独特の豚臭さとゴムのような麺の食感が好きで熊本発の桂花ラーメンに行った。なぜか新宿に三店も店をだしていて、末広亭の近くの店に行くことが多かったかしら。いまでもその味が懐かしくなることがあるが、なにしろ新宿を通ることがあまりなくなってしまったので、懐かしく思い返して終いである。


 各メディアでいわゆる「名店」として紹介されている店では、春木屋と麺屋武蔵で食べたことがある。どちらも連れが一緒で、ひとりだったらまず入らなかっただろう。テレビなどで有名店が紹介されると、長い行列ができているが、私には食べもの屋で並ぶ人間の気が知れないので、それだけでげんなりする。さらに、いち食べものとしてのラーメンにはさしたる関心はないが、こうした有名店をめぐって形成されているラーメン文化についてはひどく嫌悪感がある。すべてが貧乏くさいのだ。山本益博だったか、ラーメンとは前菜、スープ、メイン・ディッシュ、主食、サラダが一品に融合した見事な発明だ、といった意味のことを言っていたが、いかにもつましい発明で、フランス料理のフルコースだってゲロでだせばみんな一緒になってるわ、と合っているのだか合っていないのだかよくわからない啖呵が切りたくなる。黙々と食べ、そそくさと出ていかされるのも、なにか食欲を処理されている感じで、壁に穴がひとつだけ開いている性風俗を連想させる。テレビで、本気で語っているのだか本気で聞いているのだか見当もつかないが、有名店の店長だかが、ラーメン道を語っているのにいたっては噴飯もので、そんな能書きを垂れるくらいならなにでダシをとっているのかちゃんと後輩に教えろよ、それを聞いたくらいでは真似できないのがラーメン道ってもんだろう、と先ほどにくらべればより適切に思われる啖呵を切りたくなるのだ。

2014年4月16日水曜日

ブラッドリー『論理学』24

 第一巻判断第一章判断の一般的性質から。

 §24.英国では、「経験の哲学」の真理の伝統に忠実なあまり偏見が積み重ねられ、ほとんど事実に対する訴えかけが無効になっているのではないかと私は恐れる。しかし、私はいかに無益なことであろうと事実を述べるつもりである。個々のイメージが連合するというのは真実ではない。低次の動物において普遍的な観念が決して用いられないというのも真実ではない。決して使用されないのは個的な観念であり、その連合で、個別性が刈り取られる過程以外では何ものも連合されることはない。最後の言葉については以下において詳述しなければならないが、ここでは、個的な観念が原始的な精神に最初から備わったものだという誤った主張を扱うことにしよう。

 第一に、低次の動物が個物について観念を有していないことは歴然としているように思える。ある事物が世界に一つのものであること、他のすべてのものと異なっているのを知ることは、単純な仕事ではない。それに含まれる識別について考えてみるなら、それが精神に後になってあらわれたことがわかるに違いない。そして、事実に立ち戻ってみると、我々は優秀な知性をもった動物たちが明らかにそれをもっていないこと、あるいは少なくとも、それを有していると考えるに足るどんな根拠もないことを見いだす。過去の知覚から生じ現在の知覚を変容する非限定的な普遍、曖昧に感じとられる型は、明らかに彼らの知的経験の過程である。幼い子供がすべての男性を父さんと呼ぶとき、子供が父親を個的なものとして知覚し、他の男性も個的なものとして知覚するが、当座はついていた区別が混乱するのだと仮定するのは、事実の歪曲以外のものではない。

 しかし、これはいま問題になっている本当の論点を指しているとはいえない。個物を知ることは精神段階の後の達成だとは認められるだろう。粗雑な知性にとっては、ある型の観念をもち、それに合わないものを排除した上で、この型を唯一無比の個物と認めることはほとんど不可能である。実際に問題となっているのは、初期の知識においてつくられたイメージの使用法についてである。それは普遍として使われているのであろうか、それとも個物として使われているのであろうか。

2014年4月15日火曜日

幸田露伴『七部集評釈』19

      蝶は葎にとはかり涕かむ  芭蕉

 『源氏物語』の末摘花の君が、世に見捨てられ、宮仕えの人もなくなり、住んでいるところも葎に荒れはてたのを、昔をなつかしく思って訪れてきた人に、前句の尼が語ろうとして悲しむ様子だという古解はよくない。前々句の人と前句の二の尼が相語って、この句はその答えと答えるさまをあらわしたとするためにそうした解釈も生じる。すべて連句の方は前句に付け、前々句に糸のように連なり、輪のように巡ることは非常に忌むべきこととされており、決して前々句には関わらないものである。もしそうでないなら、連句は物語のようになり、ただひとつの出来事を描くに止まり、なんで多くの人間が集って行なう興があろうか。「涕かむ」は泣くである。前句は、近衛の花の様子などまったく知らない人が、昔は宮仕えしたという老尼を春のうららかなるとき、尋ね様々なことを聞くうちに、その老尼が、庵の前の葎にとぶ蝶を見つつ、自分も昔は身の軽い蝶のように輝く春の庭の花のあたりにも往き来したものだが、いまはこんな葎の庵に潜んで年を経てしまった、と問われもしないことを述懐してしまうのも老いの癖と、鼻をかみつつくだくだしく訴える滑稽の悲哀をいったものである。よくよくこの句を味わうと、哀れさとおかしさが絡みあって、春昼の老尼が昔の夢を思う無限の情景わきでて尽きることがない。

2014年4月14日月曜日

目から鱗が落ちる虚子論――仁平勝『虚子の読み方』



 「鬣」第35号に掲載された。

 虚子についてはごく表面的な知識しかもっていない。だが、明治以降の俳人のなかでは好感をもっていて、「流れ行く大根の葉の早さかな」「ゆらぎ見ゆ百の椿が三百に」「川を見るバナナの皮は手より落ち」などは好きな句である。とはいえ、これらも句集から直接見つけだしたものではない。なにしろ『五百句』や『六百句』などとあまりに素っ気ないので、各文学全集で個人の句集としては容易に手に入るものであるにもかかわらず、なかなか読み通すまでの根気がもてないのである。こんな半端な知識にもかかわらず、虚子が「客観写生」と「花鳥諷詠」を唱道し、それが現在に至るまで有季定型派として俳壇の主流になっているというごく一般的な見方に対してはなにか違和感を感じていた。というのも、虚子の言に従い「客観写生」と「花鳥諷詠」を守っているらしい俳句の多くが虚子よりも古めかしく、かつつまらなく思えたからである。

 しかし今回、仁平氏の著作、特に「季題の方法」を読んで目から鱗が落ちたように感じた。俳句に季語が必要だという考え方はいまでも主流であり、虚子の教えに忠実であると思われている。その根拠としては、俳句は四季折々の風物を捉える詩であり、季節感を表現するためだと言われる。季語とは俳句のいわば焦点であり、言い方を変えれば季語をどのように形容するかに俳句の肝があることになる。ところが、「季語とは季節感を表す言葉であるなどと考えていれば、虚子の俳句は理解できるはずがない」と仁平氏は言う。虚子の主張とは、季語と季節感を結びつけるようなものではまったくなく、季語とは俳句における形式的な約束のようなものであり、季語さえ入っていればなにを題材にしようが構わないというのが「花鳥諷詠の文学」の定義だというのだ。季節感とは特に関係のない「都会美」だろうが「機械美」だろうが、そこに季語さえあれば俳句になる。それではなぜ季語が必要かというと、それによって「歴史的連想即ち空想的趣味」の普遍性に俳句が開かれることになる、というのが虚子の考え方だが、つまるところそれは虚子の趣味であり、反論しようのない趣味に虚子は「居直った」のだと仁平氏は論じている。「花鳥諷詠」とは季節に敏感に反応することであり、季節感がどんどん失われているいまでは季語は用をなさなくなっている、などとひどく通俗的な見方しかもっていなかった私はこれを読んで仰天し、そういう事情ならばいっそ季語信奉者に宗旨変えしてもよいほどだと思った。それ以外にも、「客観写生」なるものが単に景色を叙しただけのものではなく、いかに精妙なレトリックの上に成り立っているか、また、子規と虚子の対照的な俳句観など、新鮮な切り口で面白く読ませてくれる本である。

2014年4月13日日曜日

ブラッドリー『論理学』23

 第一巻判断第一章判断の一般的性質から。

 §23.我々が述べてきたことは、心理学的な移行を順を追って述べることではなく、諸段階と諸機能の違いを明らかにすることだった。最後に、我々は致命的ともなる誤りを未然に防ぐよう努力しなければならない。判断をする精神段階と、真理に気づいていない精神段階の間の裂け目は橋を架けるのが困難で、我々の考察は事実をばらばらにしているように思える。自然の条件下ではどんな進歩も可能ではなく、天与の能力でどうにか段階を上がっていくのだとすると、我々は窮地に陥っていると考えられる。我々は、一方では、普遍的である明確な観念をもち、他方では、機械的な誘因の法則によってグループ分けをされる個的な印象とイメージからなる精神をもつことになる。こうした区別は事実上の断絶に等しい。いま述べたような高次の段階は存在することができないか、あるいは少なくとも、低次の段階から発達することはできない。

 以下の章で私は「観念連合」の全教義を批判するだろうが、ここではそれを先取りするしておこう。もし精神の低次の段階が多くの英国の心理学が述べるようなものであるならば、観念が判断において使用されるような段階に到達することはどうしても不可能だということは私も認める。これは私が強調し力説したい結論でもある。しかし、「連合」の流行の教義、個々のイメージが個々のイメージよって呼びだされ、それと結びつくという教えは、いかなる精神の段階においても真実ではない、と私は思う(第二巻第二部第一章を見よ)。我々の心理学以外にはそれは存在しない。魂の生活の最初期から普遍は用いられている。経験の結果が観念や普遍的なものに固定されているからこそ、動物は、進歩するとは言わないが、剥き出しの存在のなかで身を持していくことができる。

2014年4月12日土曜日

幸田露伴『七部集評釈』18

二の尼に近衛の花の盛りきく  野水

 二の尼は二位の尼君などではなく、尼となった官女のなかの第二の人物である。二というのは次というのと同じで、二の宮、二の町などという言葉の二の用法に照らして見るべきである。近衛は高貴な人間を打ちかすめていったもので、謡曲『西行桜』の「近衛殿の糸桜」とあるのをいったわけではない。前句の隣さかしき町に下り居る人を、既に宮仕えを辞して年月を経た者と見立てた。その人、つまり二の尼に、近衛の花の盛りのさまが問われたことを付けた。きくは問うことである。この句はどうということもない、ただ老人などが行きあうと自ずからそうした情景があるもので、そこを淡くまことしやかに写したる軽みの面白さがある。

2014年4月10日木曜日

道教と仙人――ノート11

 『鬣』第35号に掲載された。




  「人はしばしば坊主を憎み、尼を憎み、回教徒を憎み、キリスト教徒を憎む、だが道士は憎まない。/ この理くつが分れば、中国のことは大半わかる」(「而巳集」増田渉訳)と魯迅は言ったが、道教は実に茫漠としている。厳密には、老荘思想と神仙思想と道教とは区別されるものなのだが、それらをすべて呑みこんだ「一大貯水池」(幸田露伴)となっているのが道教なのである。

 そもそも宗教とはいうものの、なにが崇拝されているのかもよくわからない。アンリ・マスペロによれば(『道教』川勝義雄訳)、最上位の天宮である紫微宮は、そこだけで五億五万五千五百五十五万階を有し、各階には事務局があり、そこにはそれぞれ五億五千五百五十五万人の神官がいるのだという。それらの神官とどういう関係をもつのかよくわからないのだが、神は三万六千いると言われているらしい。八百万神と言われる日本の神も数こそは多いが、祖先や特定の場所に結びついたものであり、各個人の信仰対象としてはわかりやすいものだ。もちろん、道教にも土地神はおり、各地方で独自な祭祀が行なわれている。しかし、そうした結びつきが一般的というわけではないらしい。というのも、この三万六千の神は、天宮からしばしば下界におりてきて、世界各地の山や洞窟を仮の住家とし、道士たちの探求を更に遠くまで導いてくれもするのだが、同時に我々の身体のなかにも存在するからである。

 頭は天の穹㝫、足は四角い大地、伝説上の聖山であり天を支えるとされる崑崙山は頭蓋骨、天のまわりを廻る日月は両の眼、静脈は河、膀胱は海、髪と毛は星辰、歯のきしむ音は雷のとどろき、といった具合で、身体のなかに世界が入れ子として組み込まれており、そこにも神々が見いだされるという。こうした世界観が特有の食餌法、呼吸法、練丹術などにつながっていくのだろう。神的なものと卑俗な身体的なものが直接に結びつくのも道教の面白いところである。

 後漢の黄巾の乱のころの『老子』のある注釈に至っては、冒頭の言葉「道の道(い)う可きは、常の道に非ず」(小川環樹の訳では「『道』が語りうるものであれば、それは不変の『道』ではない」とされている)が、「道の道う可きは」は朝、おいしいものを食べることであり、「常の道に非ず」は、夜、便所に行くことである、といった玄妙な真理を即物的な身体に直結させるような珍妙な注釈がつけられているという。とにかく、外界にも、各人の身体のなかにも日・月・河・海・雷などの神々がいるわけであり、氏神や土地神を祀るような具合にはいかないのだ。こうなると同じ神々が人間の数だけいるということになるが、その仕組みも実は判然としない。「この問題は、道教徒が後になってからしかとりあげなかったように思われる。そのときかれらは、自分たちの神々のために、仏陀や菩薩がもっている『分身』という力を仏教から借りた。しかし古い時代の道教徒たちは、この事実を容認するだけにとどまり、それ以上の反省をしていない」とマスペロは書いている。

 「仏教から借りた」とあるが、仏教と道教は親和性が高い。もちろん、教理上または方術の成果をめぐって対立・議論の歴史もあるのだが、時代が下がれば下がるほど、両者は渾然となっていくかのようである。たとえば、清代の小説『紅楼夢』では混在している様子が顕著である。中国神話の創世神である女媧が天の破れを補うときに、大荒山で錬成した石が三万六千五百一個あったが、そのうちの三万六千五百だけ使い、一個だけは棄てられてしまった、というのが小説の発端である。錬成されて霊も通い歩くこともできる石は自分だけ棄てられてしまい悲嘆に暮れていた。それに行き会い、「形はまあ霊性をそなえた美玉だがな!ただ実性がどうもそなわっとらん」(飯塚朗訳)と言って、その石を長安の大貴族の家にもたらし、この大家族の盛衰を経験させるのが僧侶と道士の二人連れなのである。この二人連れは狂言回しのように、小説の各所に現われ、未来を見通したものとして登場人物の将来を暗示したり、ちょっとした手助けをすることもある。

 また、主要な一族のひとり、「寧国邸の賈蓉の若奥さま」が死んだときの葬式では、喪を発してから四十九日間、大広間に百八人の僧侶を招いて誦経してもらい、天香楼の壇では九十九人の道僧が十九日間罪業消滅の供養をする。遺体を移し、五十人の仏僧、五十人の道僧が七日ごとに法事を営む。また、三十五日目には、僧たちは地獄菩薩に頼んで三途の川の渡しを開いてもらう、道士たちは天帝に奉る上奏文を読み上げ、禅僧たちが香を焚き祈祷の文句を唱え、十二人の若い尼僧たちは、縁取りした衣をまとい、赤い沓をつっかけて、死者を極楽浄土へ導くための呪文を黙唱するといった具合で、死者が地獄に行くのか極楽に行くのか、はてまた天界に行くのかさえわからない、あるいはどこへ向かうにしても対応できるような準備がなされているのかもしれない。


 仙人もなかなか奇妙な存在である。キリスト教の聖人や仏教の聖僧などは信者たちに生活の規範を与えてくれる。それは彼ら自身がキリストや仏陀の教えを仲介しかつ実践する者だからである。聖書や仏陀の言葉が究極的な教えとしてあるから、遅疑逡巡はあるにしても、師の教えに従って向かう方向は見やすいだろう。ところが、道教の場合、究極的な言葉はないから(老子でさえ後になって神格化されただけの、神々のうちのひとりでしかない)信者全体の共有認識もない。神父や僧侶が説教するとき、たとえそこにいるのは自分の教区のそれ程多くもない人数であるにしても、可能性としてはすべてのキリスト教徒、すべての仏教徒に届くような説教にしようと努めるだろう。

 道教には三万六千の神がいると先に述べたが、道士はそれぞれ別個の神をもっており、それらを共有しているわけでもない。降霊術の霊媒が、自分を導き、コントロールする精霊をもっているのに似ている、とマスペロは述べている。それに入門したての道士たちが関係をもてるのは、神々のなかでも位が低く、人間に近い低級な仙人が多いらしく、より高位の神々とは顔を合わせることすらできないのである。つまり道士それぞれが関係をもてるのは、自分より下位や同位か、ちょっと上の先輩に限られているわけである。

 そうした先輩の教導によって、どこまで続くかわからない階梯をのぼっていくのが道教の修行というわけだが、最終的にはどんな境地に至るのだろうか。キリスト教の聖人伝では、信仰が奇跡によって報いられて終わるというパターンが多い。超自然的な神は現世では報いられなかったかもしれない彼の信仰や善行を見ていたのであり、その証しが奇跡となってあらわれる。「主のみむねに従って」生きていたことがあきらかになる。いわば神とのつながりを明示できたものこそが聖人と呼ばれるのだ(あくまでも『黄金伝説』のような中世の聖人伝の話だが)。

 神仙伝のたぐいを見ると、仙人の多くに共通しているのは長生と空を飛ぶことであって、たしかに現実の我々の姿を顧みればそれも奇跡には違いないが、あくまでそれは長年にわたる身体的な修行の成果なのであって、超越的な神の啓示ではない。長生も空を飛ぶことも、それ自体ではなんら倫理的な意味をもたないから、神仙伝を読んでいてもそこに登場する仙人たちが、果して尊敬すべき立派な「聖人」であるかは軽々に判断を下せないのだ。山のなかから引っ張り出され、寄席に出て仙術を披露し、金が儲かるに従いだんだん横着になっていく落語の『鉄拐』ほどではないが、宮廷に迎え入れられて満更ではない様子の仙人も神仙伝のなかには登場する。

 長生や空を飛ぶことは倫理的意味をもたないといったが、もちろんそれらは道教徒の唯一の模範である自然をまねぶことであろう。長生は自然が常に変らないことを、空を飛ぶことは自然が流動的に変化し続けていることを習得して得た業であり、自然に学び同一化せよ、という倫理はあることになる。長生や空を飛ぶことを越えて、自然のことを体得しつくした「神人」がどのような存在であるかは、マスペロが「坐忘論」の一節を引用している。

    完全な力をもつ道は、身体(形)と精神(神)を変える。身体は道に貫通されて、精神と一つになる。身体と精神が合体して一つになった人は神人とよばれる。そのとき、精神の本性は空虚で、昇華しており、その実質は変形によって破壊されることがない(すなわち死なない)。身体は精神に全く等しいから、もやは生も死もない。目につかなくても実際は、身体が精神に同じく、表面的には精神が身体に同じである。水のなか、火のなかを歩いても、害を受けることがない。太陽に向かって立っても、(身体は)影をつくらない。生きつづけるか、死ぬかは、かれ自身の自由であり、往くと帰ると(すなわち、死ぬのとまた生きかえるのと)のあいだに中断がない。泥にほかならぬ身体も、「すばらしい空虚」(の状態)に到達しているようだ。いわんや、超越的認識が、深さにおいても拡がりにおいても、いよいよ増大してゆくことはいうまでもないのだ!

 なんとなく、『ウォッチメン』のDr.マンハッタンを連想させるが、生も死もなく、影も産みださず、水のなかも火のなかも自由に動きまわれる神人が我々の現実の生活に通用するようなどんな倫理的教えをもたらしてくれるか皆目見当がつかない。食餌法呼吸法ならまだしも、具体的な社会関係のなかで自然に従った行動を取るとはどういうことなのか、自前の術で社会との関係なしでもなんとかできる仙人たちではどうも参考にならないのである。そうなると道家的な思想を実際に生きた人びとに目が向くことになる。

 『史記』の列伝には老子の伝があり、それによれば、老子は楚の苦県の人で、周の宮廷にある図書館を管理した記録係だったという。孔子が礼について問い、「きみの高慢と欲望、ようすぶることと多すぎる志をのぞくことだ。そんなことはどれもきみの身にとっては無益だ。わたしがきみに教えられることは、それくらいのことだ」(小川環樹訳)と老子が答えたというが、これは事実としては疑わしいという。周の都に長いあいだいたが、周の国力が衰えると、立ち去って関まできた。関はいまの陜西省にある函谷関、あるいは散関だという。そこの関令尹喜に「あなたはこれから隠者になられるのでしょう。わたしのために無理とは思いますが書物を書いてください」と頼まれて残したのが『老子』だったという。このくだりをブレヒトが「老子遁世の途上における『道徳経』成立の由来」でユーモラスな詩にしている。後半だけ引用する。

 10
慇懃な頼みである。無下に断るほどには
老師は若くはなかったらしい。
なぜなら声高に言ったのである。――「問う者には
答えるのが当然」童は言った――「寒くなりますし」
「よかろう。ほんのしばしの休息なれば」
 11
そこで賢者は牛の背を下りると、
七日にわたり二人して書いた。
税吏は食事をはこんだ(この間ずっと
密輸者をののしるにも声をひそめた)
かくして仕事はすすめられた。
 12
かくてある朝、童は税吏の手に、
八十一句の箴言をわたしてやった。
それから僅かな餞別をおしいただき
松のかなたの岩陰に曲がって行った。
「またとない饗宴(もてなし)であった」とささやきながら。
 13
僕らはしかし、ただもてはやしはしない。
表紙に載ったその名もまばゆい賢者ばかりを。
賢者の賢は他人(ひと)の手でしか発揮されない。
ゆえに税吏よ、君にもとくと感謝しよう。
君が求めてこれらの文を綴らせたのだもの。」(矢川澄子訳)

2014年4月9日水曜日

ブラッドリー『論理学』22

 第一巻判断第一章判断の一般的性質から。

 §22.こうした心理学の難問を詳細に議論することは興味深いことであるが、より確かなことに進んだ方が報いは大きいだろう。第一に、誤った観念の保持は現実との比較を促し、あらわれ、真、偽の知識へと導く。第二に、言語はそうした真偽の源ではないが、少なくともその対照を確実にし先鋭化する。集団をなす動物が観念を言葉にできたら、ある意味その言葉は思考よりも永続的なものであり、それが表現しようとした事実に対して自律したものとなろう。異なった個人の言葉にされた考えはときに衝突するものである。それらは互いに異なっており、単純な事実についても同じではない。嘘や欺瞞の濫用はどんな頭の鈍い者にも言葉や観念は可能だし真でもあり得るが、幻影で事実との関わりの全くない非実在的なものともなり得ることを理解させる。この点において、言葉と思考は他のものとは異なることが見て取れる。それらは存在するだけではなくなにかを意味するのであり、その意味だけが間違っていたり正しかったりする。それらはシンボルであり、こうした洞察が厳密な意味において判断を形づくる。

 もう一度繰り返すが、初期の段階においては、イメージはシンボルでも観念でもない。それ自体が事実であるか、事実がそれを放逐する。知覚においてあらわれる実在は観念を自身に結びつけるか、単にそれを実在の世界から追い払う。しかし、判断は、観念があらわれだと認めてはいるが、にもかかわらずそれを性質づけようとする。それは観念を実在に配し、それが真であることを肯定するか、それが単なる観念であること、事実がその意味するところを排除することを告げる。事実でもある観念内容、現実にはなにも意味しない観念内容がそれぞれ判断においてあらわれる真と偽である。

2014年4月7日月曜日

幸田露伴『七部集評釈』17

  となりさかしき町に下り居る  重五

 「となりさかしき」を嶮しとしたのは曲齋であり、心得顔して卑しく騒いでいたというのは鶯笠である。高野、吉野などの奥の院へ願があって通う人が、その下の町にいて高山の寂寞とした夕暮れを見ている様子といい、「隣嶮しき坊に宿仮り」とつくるべきを「町に下り居る」としたのは、次の句に下での生活を付けさそうとしたのだというのも、一応は納得できる。悪賢い者ばかりが住む町の籬を隔てて宮仕えする者が下居して住む、というのも一とおりは通じる。どちらの説も間違いとはいえない。けれども、そのどちらが句をつくった者の本意なのかと考えると、高山の寂寞とした夕暮れとするのは、前句との関わりも適切には思えるが、町という言葉がふさわしくないし、次の下居の住いを付けるとするにはそうした断わりを入れなければそぐわないし、勾配のある地に家並みがあることは山ではあることだが、それを隣嶮しきということも言葉柄がそぐわないように思われる。

 隣黠しき町であれば、町という語もよく利いて、あたりには似ぬ上品な人が居ることが描きだされ、﨟たげなる様子で口数も少ない人の誰に話しかけるでもなく、黄昏時、ひとり静かに三日四日の細い月を眺める風情も垣間見えれば、黠しきとするのが作者の本意であろうか。下居とは、宮仕え、奉公した者が止めて宿に下ることをいい、また完全に止めるわけでなく、三四日の休暇を取って家に帰った者をも言う。位を譲られた帝もおり居の帝と言うが、それはここでは関係ない。「下り居る」というところに、月を見て今宵はもう三日だなどと日を数える心も少しは籠もっているのだろう。付け方は極めて軽いものである。

2014年4月6日日曜日

ブラッドリー『論理学』21

 第一巻判断第一章判断の一般的性質から。

 §21.観念が知識の対象となり、真と偽が判断に入り込んでいく過程を段階をおって詳細に述べることは困難であろう。この困難さの他に、常に生じる事実に関わる問題がある。ある発達の段階があるとき、判断は既に存在しているかどうかである。真と偽との区別は一般的に言語の習得と結びつけるのが正しいのだろうが、どこで言語が始まるのか述べることは困難である。そして、言語以前の段階においても、結果的に確かに感覚と観念との区別を示唆するような心的現象が存在する。

 来るべき変化に対する予期を常に厳密な拠り所として用いることはできない。多くの場合において、現在に対立する未来の知識を誤って仮定することがあるのは明らかなようである。少なくとも、感情を伴った、あるいは感情によって変化したあらわれが、結果的にもっとも明確な観念と同じくらい実際的であるのは確かである。しかし、ある種の動物ではより強い徴候が存在する。獲物の捕獲に目に見えないような仕掛けが使われるとき(32)、異なった状況、いま実際にあるものと予期されるものとが心になければならないことは確かである。そして、欲望が満足されない場合には、対象に向かい合ったときのように単なる感情が魂中に行き渡るわけではない。現在の知覚とは相容れない欲望されたもののイメージがつきまとい、注意をひき、苦痛感は両者の違いが認められるまでは対照をより激しいものにするに違いないと思われる。我々がここで述べることができるのは、恐らく変化の外面的なしるしということになろう。動物を飼っているものならば、彼らが常にそしてますます用いることになるのが命令法だということを観察し損うことはあるまい。彼らは、少なくとも、なにを欲しているか知り、助けを予期し、それが応じられないときは驚いているように思える。観念が欠如し、感情が切迫しているために正常な状態が損われているために、こうした解釈はときに現象をねじ曲げることにもなろう。

 しかし、もしそうだとすると、判断とは言語以前に発生しなければならず、人間に特徴的なものだとされなくなるのは明らかである。そして、言語が発達した後であっても、我々はしばしば判断なしで済ますのである。我々の思考の最も低次のものであっても、そしておそらくは最も高次のものであっても、言葉なしで行なわれることはあり、とすると、言葉が発達する前に、判断の本質的特質は既に存在していることになる。

 我々はこのことから生じる議論には関わらない。判断ということで我々がなにを意味しているのかを知りさえすれば、それがどこに最初にあらわれ、どの動物が最初にそれを得たのかは我々の目的にとってはほとんど関わりのないことである。この問題は容易に解決することのできないものであるが、ついでにある考え方を示唆しておこう。ある動物の心のなかに、感覚にあらわれているものと同時にイメージが存在し、そのイメージは部分的には感覚と同一であるが、それと齟齬もし、あらわれとの関わりにおいて行動へ導くものであることを示しただけでは十分ではない。こうしたことが全てあったとしても、まだ本質的特質が欠けているからである。イメージは単なるあらわれとは見られず、まったく実在ではないか、感覚より実在性のないものだと見られるかもしれない。というのも、もしイメージが知覚との関わりにおいて捉えられると、両者は一つの連続した事実として理解されるかもしれないからである。獲物は追跡されかつ捕えられたものと見られ、実際の対象は欲望されたものに変わるよう思える。失敗がそれを不可能にしたときに、結局の所欠けているのはイメージと対象との知的同一化である。こうした論理的過程を離れても、我々は二つの現実が心のなかで衝突し、その戦いが感じられることがある。それに異議を唱え、放逐することはあるかもしれない。しかし、頭のなかにしかないあらわれに事実を従属させたり降格したりすることはない。この場合、判断が生じることはないだろう。

2014年4月4日金曜日

夢としての映画――清水宏『有りがたうさん』



清水宏は長年私にとって幻の名前だった。はじめてその名を知ったのは三十年近く前のことになる。ノエル・バーチというフランスの映画批評家が、日本映画についてのモノグラフを書いており、これがまた現代思想を駆使した難解な本で、冒頭に用語解説が置かれていることを言えば、おおかたの様子はわかってもらえると思う。そんなわけで、内容についてはほとんど記憶がないのだが、そのなかで、小津安二郎、溝口健二、成瀬巳喜男、黒澤明、大島渚などと並んで一章を割かれていたのが清水宏だった。

それ以外の監督の作品は多かれ少なかれ見ていたのだが、清水宏については名前さえ聞いたことがなかった。気になりはしたもののビデオもでていなかった(DVDはまだない時代だ)。それに、マキノ雅弘、山下耕作、深作欣二、中島貞夫など新旧取りまぜた東映ヤクザ映画を夢中で見ていたので、松竹の監督である清水宏の作品をどうしても見ようという熱意もなかった。

その後、それももう十年以上前のことになるだろうか、中野翠のエッセイで、上映会に行った彼女が熱をこめて絶賛しているのを読んで、片隅に追いやられていた記憶が蘇ることになる。何作かDVDも発売され、数年前にようやくその作品に接することができたのだが、予想を遙かに上まわるすばらしさに驚嘆した。

 『簪』も『信子』もよかったし、『按摩と女』(一九三八年)には高峰三枝子を正面からとらえた奇跡のように美しいショットがあったが(二〇〇八年の石井克人監督、草彅剛主演の『山のあなた 徳市の恋』はこの映画のリメイクで、私は予告編しか見ていないのだが、奇跡が繰り返されるような奇跡は起きていないように感じられた)、なんといっても陶然としてしまったのは『有りがたうさん』(一九三六年)だった。

上原謙演ずるバスの運転手は、バスが通る際道をあけてくれる人ごとに、ありがとうと声をかけるので、ついたあだ名がありがとうさん、彼のバスが伊豆の下田から二つの峠を越えて、鉄道の通る町まで行くだけの話である。乗り合わせた客には、渡り芸者(桑野通子の粋なたたずまい)、口うるさい髯の男、東京に身売りに行く娘とその母親などがいて、どうやら淡い気持ちでお互いに引かれあっているらしい上原謙と身売りに行く娘との仲が桑野通子のひと言によって嘘のように結びついてしまうというのが筋といえば筋である。

バスといえばブニュエルの『昇天峠』も傑作だったが、この映画はより超現実的で、夢幻的である。ゆっくりした独特の台詞回し、路上で行なわれている女歌舞伎の口上、休憩時間に崖下に向かって娘と上原謙が石を投げる場面など、夢のような映画は数多くあれど、この映画のように、夢が現実に貫入して、ふわりと身体を数センチ浮き上がらせるように感じさせるものは滅多にない。

2014年4月3日木曜日

ブラッドリー『論理学』20

 第一巻判断第一章判断の一般的性質から。


 §20.瞬間のあらわれ、感覚対象は過去の経験の世界において受け入れられ、過去の経験は観念を誘引する形式としてある。最も低い精神の段階でも、最高時の精神にあるように、与えられたデータとつくりだされた構築物の間には明確な相違がある。しかし、心のなかにそうした相違があることとそれを知覚することとは別のことである。初期の知性には、感覚と観念のこの対照はまったく存在しない。ABというあらわれがdという感情を引き起こすことで、δεという行動を生む、あるいはb-dという観念の移行がABDに変わる、gがBを打ち消しcが加えられれば、a-gという行動によってACになる。しかし、こうした例において、他の可能などんな例を取っても、過程は完全に隠れたままである。生みだされたものは、他の感覚事実と同じレベルの所与の事実として受けとられる。

 最初に知覚された対象が、最終的に構築された対象と比較されることができるなら、事実が実際に起ったことなのか心によって作りだされたものなのか疑う余裕ができることになる。ましてや、知覚が捉えなかった観念が伴っているかどうかについてもである。拒否された連想、矛盾する付け足し、間違った解釈、後悔の残る行動が心の前に留め置かれるとき、反省が始まり、それは発達のゆっくりとした結果には先立つものだろう。錯覚の感覚は観念と現実の、真と偽の対照を呼び覚ますことになろう。しかし、こうしたことはすべて不可能である。というのも、初期の心の主要な特徴は完全に絶対的に実践的なものだからである。事実は直接的な行動を生みだす以上に魂に場所を占めない。過去と未来は現在の変形として以外には知られていない。与えられたもの以外には実践的な関心を呼ぶものはなく、関心のないものは存在しないのである。かくして、何ものもその元々の性格を保持するものはない。現在の欲望との関係にある対象は過去の冒険が失敗したか成功したかに合わせてたゆみなく変化する。それぞれの場合に合わせて縮小したり拡大したりはするが、所与の対象のままであることは変わらない。そして、それに同化した観念があらわれの一部となり、それが排除した観念は単に存在しないことになる。

 精神のより後の段階、知性をもった野蛮人の夢の世界の教義は、存在はするが非実在的である観念というのがすっきりと容易に理解される考えではないことを痛感させる。犬くらいのレベルになると、理論的な好奇心の欠如に行き当たる。あらわれとして見ることができなくなれば、それはすぐに非実在となってしまう。観念は対象の影だと言うことができる。野蛮人にとっては別の種類の対象であり、犬にとっては事物であるか何ものでもないのである。犬は、多分確実な結果にたどり着くことはないだろうこの反省の過程に入ることもない。彼らの心が困惑し虐げられ、とても我慢できないような状況になっても、彼らはいまいるのとは違う別の世界に希望を繋ぐことはできないし、いま目の前にあって感じられるものは魂にとっては何の関係もないものなのだと信じ、それを呪文のように繰り返すことも夢見ることもできない。私には彼らの実際的な苦しみを彼らの心に満足のいくようにどう解決したらいいのかわからない。しかし、彼らの論理体系は、もしもっているのなら、単純なものだろう。というのも、「匂うものは存在し、匂わないものは存在しない」という公準によって始まり終わるものであるのは確かだろうからである。

2014年4月2日水曜日

幸田露伴『七部集評釈』16

黄昏を横に眺むる月細し  杜國

 一句の情、前句との係り、解釈に及ぶまでもなく明らかである。淀の舟かなにかから三日四日ころの月を眺めたものである。いい景色の句である。古解で、「この場所は淀川堤で、人物は遊びがてらの山歩きからかえったもので、酔っぱらった無駄口に、どこの昼舟も皆川を上がってしまったのに、今頃のぼるというのは、あの船子はきっとちんばばかりなのだろうと笑う様だ」いうのは、前句の解釈を誤ったまま、引き続いてあらぬ方に力を入れて評釈したものである。前句を安らかに解釈することができれば、それが誤りであることは自ずからわかる。

2014年4月1日火曜日

女郎蜘蛛とは君ぼくの仲――俳句

 『鬣』第34号に掲載された。

魔の山の月光の射す月時計

大亀を燻製にする火の帝

永い春曽呂利と競う糞尿譚

坂道で賭け玉突きのリベルタン

冬の日の薄座布団の後家殺し

ぽっくりで糸鬢奴の里帰り

水の城浮き寝台の目的地

中折れの下駄で駆け込む法善寺