2014年4月4日金曜日

夢としての映画――清水宏『有りがたうさん』



清水宏は長年私にとって幻の名前だった。はじめてその名を知ったのは三十年近く前のことになる。ノエル・バーチというフランスの映画批評家が、日本映画についてのモノグラフを書いており、これがまた現代思想を駆使した難解な本で、冒頭に用語解説が置かれていることを言えば、おおかたの様子はわかってもらえると思う。そんなわけで、内容についてはほとんど記憶がないのだが、そのなかで、小津安二郎、溝口健二、成瀬巳喜男、黒澤明、大島渚などと並んで一章を割かれていたのが清水宏だった。

それ以外の監督の作品は多かれ少なかれ見ていたのだが、清水宏については名前さえ聞いたことがなかった。気になりはしたもののビデオもでていなかった(DVDはまだない時代だ)。それに、マキノ雅弘、山下耕作、深作欣二、中島貞夫など新旧取りまぜた東映ヤクザ映画を夢中で見ていたので、松竹の監督である清水宏の作品をどうしても見ようという熱意もなかった。

その後、それももう十年以上前のことになるだろうか、中野翠のエッセイで、上映会に行った彼女が熱をこめて絶賛しているのを読んで、片隅に追いやられていた記憶が蘇ることになる。何作かDVDも発売され、数年前にようやくその作品に接することができたのだが、予想を遙かに上まわるすばらしさに驚嘆した。

 『簪』も『信子』もよかったし、『按摩と女』(一九三八年)には高峰三枝子を正面からとらえた奇跡のように美しいショットがあったが(二〇〇八年の石井克人監督、草彅剛主演の『山のあなた 徳市の恋』はこの映画のリメイクで、私は予告編しか見ていないのだが、奇跡が繰り返されるような奇跡は起きていないように感じられた)、なんといっても陶然としてしまったのは『有りがたうさん』(一九三六年)だった。

上原謙演ずるバスの運転手は、バスが通る際道をあけてくれる人ごとに、ありがとうと声をかけるので、ついたあだ名がありがとうさん、彼のバスが伊豆の下田から二つの峠を越えて、鉄道の通る町まで行くだけの話である。乗り合わせた客には、渡り芸者(桑野通子の粋なたたずまい)、口うるさい髯の男、東京に身売りに行く娘とその母親などがいて、どうやら淡い気持ちでお互いに引かれあっているらしい上原謙と身売りに行く娘との仲が桑野通子のひと言によって嘘のように結びついてしまうというのが筋といえば筋である。

バスといえばブニュエルの『昇天峠』も傑作だったが、この映画はより超現実的で、夢幻的である。ゆっくりした独特の台詞回し、路上で行なわれている女歌舞伎の口上、休憩時間に崖下に向かって娘と上原謙が石を投げる場面など、夢のような映画は数多くあれど、この映画のように、夢が現実に貫入して、ふわりと身体を数センチ浮き上がらせるように感じさせるものは滅多にない。

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