2014年4月20日日曜日

幸田露伴『七部集評釈』20

のりものに簾透く顔おぼろなる  重五

 一句の情は解釈をまつまでもなく明らかである。簾は乗り物の簾である。前句は野草に蝶が遊ぶことが人を愁いに誘ったが、この句は他から見るその人のありさまをあらわしているだけだが、言葉のあり方、切り取り方に佳趣がある。簾近くに顔を寄せるとその面影がすけて見える。この駕籠のなかの人を上﨟といい、左遷で遠くにながされた人などと解釈するのは行き過ぎていて、ただ前句の野草に遊ぶ蝶に愁いをおぼえ涙する人であり、後句からは後句でどのようにも変化するものである。

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