2014年4月25日金曜日

アウグスティヌスと科学

 John Forrester,Truth Gamesから。




 嘘つきのパラドックス——文の形で言うと「真理は存在しない」——はアウグスティヌスによって真理は永遠であることを確立するために用いられた。「真理は永遠たり得ないのだろうか。もし真理が真理でないときがあるなら、真理が存在しないという真理が存在することになろう・・・そしてそれは不可能である。従って、真理は永遠であり・・・それゆえ神は存在する。」これははったりを消し去る一つの方法であり、厳然たる変化のない真理の愚鈍さを確立する。ウィリアム・バックランドは岩に刻まれた地球の歴史の証拠は、岩は嘘をつかないゆえに人間によって書かれた証拠よりも好ましいことを知っていた。科学者や神学者は、自然がはったりをかけうるという可能性を消し去るために、自然の無意識な愚鈍さを守り、我々が自然と行う真理にかかわるゲームに誤った誘導をする可能性がある。ミクロ物理学の物騒な実験でさえ——現実のものであれ思考上のものであれ——エレクトロンの位置は科学者の行動に依存し、観察者/被観察者は相互作用するシステムであるという見解へと導くのだが、エレクトロンは物理学者が仕事をしているときには常にはったりを行っていると推察するまでにはいたらない。
 ノーバート・ウィナーは、有益な区別を導入し、我々が科学と呼ぶある種の真理のゲームを考察する際にそれを利用した。私がすでに行ったように、デカルト的形而上学、アインシュタイン的物理学の欺く神、悪意のある神という切迫した問題に注意をひくために、彼は、科学者は宇宙の秩序を発見するゲームにおいて、「アウグスティヌスの」対立者として自然をみざるを得ないことを指摘した。アウグステゥヌス的見解では偶然や悪は宇宙の非完璧性や不完全性からきている(この宇宙における人間の存在も含めて)。対立するマニ教の見地では、偶然や悪は慎重で悪意のある知性や悪魔の仕業とみた。科学者は自然の諸力ははったりをしないという重大な仮定をした。自然はアウグスティヌス的だと仮定したのである。「悪魔[たとえばマックスウェルのデーモン]は制限なく欺く能力を持っており、疑いのない力を探し求める科学者は宇宙のなかで混乱するしかなく、探求に時間を無駄に費やすだけである。自然は解読されることに抵抗を示すが、外的世界と我々とのコミュニケーションを妨害する新たな解読することが不可能な方法を見いだすほどの巧みさはない。」

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