『鬣』第36号に掲載された。
グレゴール・ザムザは「毒虫」に変身した。しかし、「毒虫」とは具体的にどんな虫なのだろうか。原文のドイツ語はUngezieferで、有害な昆虫や鼠のような小動物までを含む言葉であるらしい。
研究者たちのあいだでは一般的にこの「毒虫」はゴキブリのことだとされている。実際、私も『変身』を幾度読み返したかわからないが、いつの頃からかゴキブリをイメージして読むようになっていた。
ところが、ナボコフによれば(『ヨーロッパ文学講義』野島秀勝訳)、ゴキブリのはずはないという。確かに、カフカは「あおむけに寝ている背中は鎧のように固く、首を少しもたげて見ると、腹は、茶色にまるくふくれ上り、弓なりにたわめた何本もの支柱で区切られた様子・・・図体にくらべて情けないほど細いたくさんの脚」(川村二郎・円子修平訳)と書いており、大きな脚をもち平たい形をしたゴキブリとはまったく異なっている。共通するのは色が褐色だという点だけである。
また、小説の後半で新しく雇われた老いた雑役婦がザムザの姿を見て「タマコロガシのおじさん!」と呼びかける場面もある。もっともタマコロガシは、糞玉を転がすのに大きな後ろ足をもっているからふさわしくないだろう。
日本でいえば、さしずめ、夏の燈火によく集まってくる茶色の小さなコガネムシ、あれが大きくなったと思えばいいだろうか。だが、ゴキブリとコガネムシ、どちらの方がより小説に豊かな意味合いを与えることになるのだろうか。というのも、両者のあいだでは小説の印象が相当異なったものとなるからだ。
グレゴールは、父親が五年前に倒産したときの債権者のひとりのもとに勤めており、父、母、妹の生活を支えている。外交販売員として忙しく飛びまわっている旅の合間、たまたま自宅で泊まったときに虫に変身してしまったのである。それを思えば、家族の対応はあまりに冷酷である。父親は虫になったグレゴールが人間の意識をもっていることなど思いも寄らぬように手荒に扱う。グレゴールがもっとも愛していた妹は、最初のうちこそ気遣いを見せていたが、物語の中盤から義務的で投げやりな「世話」しかしなくなる。母親は、ときにグレゴールの心中を見抜くようなこともあるのだが、実行力がまったくない。ナボコフが言うように、家族こそがグレゴールにとりついた寄生虫であり、彼を「からからに」してしまったのだ。
しかしながら、もし変身したのがゴキブリであった場合、家族たちの反応を当然とは思わないまでも、後ろめたい気持とともに彼らに加担することになるだろう。他方、コガネムシの場合、たとえば、天井に気分よくうっとりと張りついているとうっかり床に落ちてしまう場面などはある種愛嬌を感じさせるものとなろう。それゆえ、家族たちの非人間性が余計に際立つことになろう。おそらくこうした意味の振幅が「毒虫」という言葉には込められている。
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