2015年3月30日月曜日

フレッド・アステアとジンジャー・ロジャース


フレッド・アステアの映画といえば、なによりジンジャー・ロジャースとのコンビが一番好きなのだが、不思議なことにジンジャー・ロジャースの顔が、思いだそうとすると、いつもぼやけて曖昧な靄のなかに包まれてしまうのだった。

ところが、ジェーン・フューアーの本を読んでいて、その謎がある部分解決されたように感じた。というのも、彼女によると、アステア=ロジャースの映画は、アステアとダンスとの同一化を結晶化するように働いているからだ。

この同一化には二つのしるしがあり、ひとつは、アステアの身体が意識によるコントロールを離れて、意志によることなく踊りはじめることにある。『トップ・ハット』にあるように、気がつくとアステアは踊っている。

この無意識のダンスが、踊りと生きることを同一化するとすれば、第二にあるのは、アステアにとって、ダンスと救済とが分かちがたく絡みあっていることだ。作詞家こそ異なれ、天、つまりheavenの要素がアステアのダンス映画には突出している。Cheek to Cheekでは冒頭から、ダンスと天上への旅が同じであることが歌われるし、アステアが天使的な役割をすることも多い。

こうした指摘をされると、ダンスとともに生きるのではなく、ダンスこそが生きることであり、しかも天使的存在が相手ともなれば、ジンジャーといえども、その存在感を顔にまで充実させることができなかったに違いない。

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