2014年5月30日金曜日

ブラッドリー『論理学』36

第一巻判断第二章判断の定言的仮言的形式から。

§10.しかしながら、まず、定義をしておかなければならない。我々が使ってきた語句は、故意に曖昧なものだった。我々は、究極的な主語である実在、知覚の対象を、移ろいゆくあらわれと同一のものと考えるべきだろうか。それはあり得ないこと、そうした見方では諸事実について考えることはできないことを我々は見ることになろう。ここでは、この間違いに反対するための予備的議論をしよう。

 時間の系列にあらわれる主語、我々が観念を述語として帰する所の主語は実在でなければならない。もし実在であるなら、それは形容詞的なものではないに違いない。反対に、自律的で個的なものでなければならない。しかし、個別の現象、つかのまのあらわれは個的なものではなく、それゆえ我々が判断で使用する主語ではない。

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