ブロートはカフカとの出会いを、ソクラテスに出会ったプラトンに例えているが、その対話篇にほとんど姿をあらわすことのないプラトンとは異なり、ブロートは自分をだすことにとくに躊躇を感じないらしい。そもそも、この伝記では、祖先と幼年時代を語った部分を除けば、友人となった大学時代からカフカの死に至るまで、ほとんどカフカはブロートとともにいるのである。自分の思い出のなかの、自分と同じ体験を共有したカフカだけが問題なのであって、しかもその友人としてのつきあいからは確固としたカフカ像が既に確立していたから、取材によって自分の知らない友人の側面を探ろうとする気もさほどなかったのではないかと思われる。
一九五四年の第三版(初版は一九三七年)でつけ加えられた補遺では、グスタフ・ヤノーホの『カフカとの対話』が自分の書かなかった空白の時期を埋め、「再び私はカフカがしゃべっているのを聞き、彼のキラキラ光る生き生きしたまなざしが私に注がれるのを見、カフカの静かな、痛々しい微笑を感じ、彼の叡智から衝動や感激を受けるように思われたのである」と評価しながらも、ヤノーホは「カフカに、最初の詩を見せて批評を仰ぎ、議論し、おかげで他の考え、他の情熱に身も心も捧げていたカフカを徹底的に邪魔することになったのである」と意地の悪いことを言っている。
自分のカフカ像を提示するに急なためか、二十年以上の交友記にしては印象的なエピソードが少ないのも残念な所だ。たとえば、カフカはよく時間に遅れてきたが、それはいかなる物、仕事、人間でも不当に扱ったり、見切りをつけることができなかったので、どんどん時間に追い詰められてしまうのだという観察や、カフカが「非逆説的、いやむしろ反逆説的」だという指摘などは意表を突くものなのだが、いかんせんそれを目が醒めるようなエピソードでは語ってくれないのである。
それでも、それがあるだけでこの本の存在価値があると言えるエピソードがある。それは、『審判』の第一章を友人たちの前で朗読したとき、友人たちは腹をかかえて笑い、カフカ自身もあんまり笑いすぎて先を読み進めることができなかったというものだ。
しかし、ブロートはその笑いが「ほんとに善良な、快い」ものではなかったとしながらも、それでもそこに「善良な笑いの一成分」「現世の喜び」が混入していたのだとつけ加えることであたら面白いエピソードを理に落ちたものにしている。
西洋文学には、神話的な原型とも言えるような二人組が存在する。ドン・キホーテとサンチョ・パンサ、ファウストとメフィストフェレスなどがそうで、彼らはある意味お互いをグロテスクに映しだすことによって強力なモーターとなって物語を突き動かす。ブロートはグロテスクなカフカを端正に映しだすことで、原型的な二人組になることに失敗している。
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