第一巻判断第二章判断の定言的仮言的形式から。
§5.こうしたことが現実を構成するいくつかの点である。真理はその一つをももっていない。それは観念の世界に存在する。観念は、我々が見てきたように、単なるシンボルである。一般的であり形容詞的で、実体でも個的でもない。その本質は意味のなかにあり、その存在を越えている。観念とはその存在を無視し、その内容を削減した事実である。現実から切り取られた事実内容の一部に過ぎず、なにか別のものを指し示すのに用いられる。観念は実在ではあり得ない。
もし判断が二つの観念の総合なら、真理とは非実在物の接合に存することになる。金は黄色である、と私が言うとき、確かにある事実が私の頭には浮んでいる。しかし、普遍的な金や普遍的な黄色性は実在ではなく、他方、私が実際にもっている黄色や金のイメージは、心的な事実として実際に存在しているにもかかわらず、不運にもそれは、私がなにかについて言おうとしているような事実ではない。既に見たように(第一章)、私は、金のイメージは私の心のなかで他の黄色のイメージと心的に結びついている、と言おうとしているのではない。私の心的な事実とはまったく別に、金一般はある種の色をもっている、ということを言っているのである。私は心的事実のある部分を取り除き、残った形容詞的部分をつなぎ合わせ、それを総合的な真理と呼んでいる。
しかし、現実は形容詞のつながりではなく、そのようにあらわすこともできない。その本質は実体的で個的である。しかし、我々は形容詞をあやつりそれを普遍と一緒にすることで、自律的で個的な性格にたどり着くことができるだろうか。もしできなければ、事実はどのような真理においても直接には与えられないことになる。定言的な真理は存在し得ない。だが、形容詞は実体に依存しているので、実体は含意されている。そこで、真理は事実を間接的に指し示すことになろう。真理における形容詞的なものは現実を前提としており、この意味であらゆる判断は仮定に基づいていることとなる。判断とはすべて仮言的であり、直接に扱っているのは非実在だと告白することとなろう。
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