スピルバーグの『宇宙戦争』は、舞台がイギリスからアメリカに移っていること、主人公が知識人ではなく労働者であること、離婚しており、二人の子供のよい父親となれていないことなど細かい相違はもちろんあるが、思いのほか原作に忠実な映画化である。最初は紳士的に見えるが、徐々に異常性をあらわにしていく人物をティム・ロビンスが演じていたが、あの人物像も、異常事態を前に精神をおかしくしていく副牧師、地下に潜ってレジスタンスするのだと言葉では勇ましいが実行力に欠ける砲兵という原作に出てくる二人の人物を合わせたものである。
公開当時、主人公のトム・クルーズが子供たちに反抗されながら格好悪く逃げまわってばかりいること(最後にはきっちり娘を救いだすのだが)、戦いが奇想天外な策略によって、思いもかけぬ発見によって勝利に導かれるようなすっきりした結末を迎えないことに不満を漏らす者も多かったと思うが、そうした地味さは原作と共通している。しかし、この地味さがウェルズの作品を色あせないものにしている。一個人を主人公にすることで、宇宙からの来襲が地球の政治や軍事力のありかたといった通俗的な問題に矮小化されることなく、「人間の視野の拡大」を明確に浮かびあがらせるものとなっているからだ。
また、この作品によってタコ型の火星人像が定着したと言われるが(実際、主人公と話し、その形状を聞いたある男が「タコだな」と言葉にする)、その描写を読むとそれほど単純ではない。灰色の熊ぐらいの大きさで、頭にあたる部位はまんまるで、鼻の孔はない。この頭あるいは胴体の後ろはぴんと張った太鼓の皮のようになっており、それが耳であるらしい。尖った上唇をしたV字型の口の下に顎はなく、口からはよだれを垂らしており、ゴルゴンの蛇のように群生する十六本の触手が八本ずつの束になって、大きな目には異常に強い輝きがあるといった細部は、容易にタコに収拾されないような「いかにも活力があり、強烈で、非人間的で、ちぐはぐで、醜怪」(井上勇訳)な異生物の姿を提示しており、紋切り型の嫌悪を催させる異物としたたかに一線を画している。特に物語に関係するわけではないが、火星人が持ちこんだ機械のなかに、人間のもっとも大きな発明のひとつである車輪がないといった指摘などは宇宙という未知の世界に奥行きを与えるものとなっている。
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