2014年5月11日日曜日

いやみと味――久保田万太郎


落語には大まかに言って二つの流れがある。ひとつは芸術的完成を求めていく落語であり、もうひとつはうまさよりは面白さが目立つような落語である。

一方を代表するのが桂文楽や桂三木助だとすれば、他方には古今亭志ん生や三遊亭圓歌、三遊亭金馬から落語そのものをばらばらに壊してしまった林家三平がいる。

落語の世界では、というのは、演者や観客や評論家までを含めていうのだが、芸術的完成の方が価値として上だと考えられていた。芸術(あるいは文学といった方がいいかもしれない)によって笑いを抑圧する構図があり、そうした構図を徹底的に批判したのが立川談志のような人だった。そして、そうした価値観をつくりだした人物として槍玉にあげられるのが安藤鶴夫であり、ときに久保田万太郎の名が付け加わることもある。

しかし、久保田万太郎について言えば、芸術と笑いのあいだに価値判断の線が引かれてはいないように思える。たとえば、昭和二十三年、桂文楽と柳家権太楼との鼎談で、明治以降随一の名人と言われている圓喬を、上層階級の人間とのつきあいで身につけた圓朝のいやみな部分を受けついだ噺家として一蹴している。

また、柳家三語楼(初代)や三升家小勝(五代目)を口を極めて罵っているのを読むと万太郎がなにを峻拒しているのかがわかる。

三語楼については「で腹が出来てゐません。ものをみる眼があいてゐません。まんぞくにものを咀嚼する力がありません。――これを要するに、あの男には、たゞ見え透いたさかしらがあるばかりです」と言い、小勝についてはよりによって追悼文で「あの、クスグリだらけの、でたらめの、肚のない噺のどこがうまい?/あの、泥臭い、下司な芸がどうして江戸前だ?/あの、いけぞんざいな、もとのかゝつてゐない、およそ纏つた噺の出来ない名人がどこにある?」と痛罵するのだ。

つまり、上っ面の調子のよさ(いやみもそこから生じる)と存在自体から滲みでてくる「味」の相違にこそ決定的な判断基準があったのである。人工的につくりだされた味はこのうえなくいやみなものだけにそれを峻別する必要があった。

この万太郎の了見は筋が通っている。というのも、万太郎の小説や戯曲こそ、すべて味だけで成りたっているものだからだ。『末枯』には、盲目になった柳家小せん(初代)をモデルにしていると思われるせん枝という噺家が「白銅」という噺の稽古をつける場面がある。この噺は、金もないのに吉原に行きちゃっかり女郎屋にあがった男がそれを友人に語るどちらかというと馬鹿馬鹿しい話なのだが、その引けすぎの吉原の様子をせん枝はこのように語る。

「四辺はシインとして来る。音のするものは、手にとるやうに聞える、トオン、トン、トン、トンと上草履が階子を上つて行く音、犬の鳴声、金棒の音、新内の流し。――揚屋町の例の家を越して、左へ曲つた角店だ。二階障子へボンヤリ燈火が映つてゐる。」

沈黙と音、障子へ映る燈火など存在から発散される味というしかないものであり、『末枯』ひいては万太郎作品の本質を見事にあらわしている。ちなみに、この噺はほとんどする者がなく、かろうじて古今亭志ん生が演じたのを聞くことができた(「五銭の遊び」という別題になっている)。志ん生は小せんの直弟子ではなかったが、稽古場に通っていたというから、あるいは『末枯』そのままに小せんにこの噺を教わったのかもしれない。だが、もちろんというべきか、志ん生は先に引用した部分をまるっきり飛ばしている。

0 件のコメント:

コメントを投稿