2014年5月15日木曜日

漬物と怪物――吉田健一



『私の食物誌』という単行本は、同じ題で読売新聞に連載された原稿用紙二枚半ほどの短い文章(新たに八篇が書き加えられ、ちょうど百篇になっている)が全体のおよそ三分の二強を占めており、こここそが数多くある吉田健一の食べものエッセイのなかでも最良の部分を占めるものだと言えよう。

北は北海道から南は鹿児島まで、各地で食べた旨いものの記憶が「北海道のじゃが芋」「鹿児島の薩摩汁」といった具合に紹介されていく。しかし、各地の名産をまんべんなく網羅していくのとは違っていて、おそらくそれほど縁のない土地ということもあるのだろうが、四国と東北の食べものはほとんど言及されていない。逆に数多く取りあげられているのは、関西、石川県から新潟にかかる日本海側、中国地方の瀬戸内海周辺、北関東、そして東京である。なかで北関東は、群馬の豚、鶏、高崎のベーコン、ハムと肉とその加工品にほぼ限定されている。

関西、北陸、瀬戸内海、東京が多いのは、吉田健一がもっとも多く取りあげているのが、酢であれ、塩であれ、味噌であれ、麹であれ、野菜なり肉なり魚なりを漬けたもの(栄螺や烏賊や蟹の塩辛、ままかりや小鯛の酢漬け、真魚鰹や野菜の味噌漬け、京都の漬物や奈良漬けやべったら漬け、山葵漬けに蕨の粕漬け、等々)、そして酢漬けの変種である鮨の類(東京の握り鮨、鱒鮨、雀鮨、鯖鮨)だからである。豚の角煮、めばるの煮付け、おでん、佃煮、いいだこの煮ものなどを醤油を中心にした煮汁に熱を加えて行なう漬物ととらえるならば、百篇のなかで大きな意味での漬物が圧倒的な数を誇っている。そして、そうした技術を洗練させてきたことから関西や北陸が頻繁に取りあげられることになる。

これらの多くは味が濃いという印象をもたらしかねないが、酢や塩や味噌によって素材の味を消すのではなく、その味を一層はっきりさせるのであり、それゆえに、酢や塩や味噌の味に屈しない素材を生みだす固有の土地が重要になってくる。フランス料理や中華料理が素材にさまざまなものを付けたし、なにかしかとはわからない複雑な味を構築してくのに対し、日本料理の特性とは、素材に一手間加えることで、素材の味を一層際立たせることにあると吉田健一は考えているようだ。言うまでもないことであるが、これらはどれも白いご飯にも酒にも合うものなのである。

もうひとつのテーマがこの本にはある。それはこれらの食べものが失われていくことについての無念さである。特に東京に関してはその思いが強く、ことに大阪や京都や金沢など古い味や街並みを守っている場所に接するとそれがひときわ痛感されるらしく、「大阪のかやく飯」の一節では、ごく普通においしいものを毎日食べられる「贅沢」を外見だけは派手な「豪華」に売り渡してしまった東京に住む者を「貧民」と言い切っている。

この文章が連載されたのは昭和四十六年のことで、高度経済成長の時代が終わろうとする時期だった。実際、ここで取りあげられているもののうちでどれほどのものが吉田健一が味わったときのままで残っているのか、私には見当もつかない。それゆえ、次第に、絶滅した恐竜を語った吉田健一の別の著作『怪物』を読んでいるような気分にもなるのである。

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