2014年3月25日火曜日

ブラッドリー『論理学』18

 第一巻判断第一章判断の一般的性質から。

III.§18.我々は判断について予備的な考察をし、いくつかの誤った考え方を取り除こうと努めた。ここでは三番目の仕事として、この機能の発達について述べなければならない。既に明らかにしたように、判断は心的進化のあらゆる段階において姿を現わすわけではない。精神が比較的遅く得るもので、成長期にあらわれる。それを人間と動物知性の境界をなすものととることは恐らく誤りだろう。どちらにしろ、我々は軽率にも神学的、そして反神学的偏見の領域に踏み込むこととなろう(第三巻第一部第七章を見よ)。精神を諸段階を通じて進歩する単一の現象として扱い、異なる動物をまたいだり区切ったりすることでこの進歩を線引きするような議論は避けたほうがいい。かくして、判断は、ある段階においては存在せず、よりあとの段階において働いていることは確かである。どこにこの移行があるかについては問うことなく、こうした段階の対照を指摘するだけで満足することにしよう。この脱線が我々が既に与えてきた判断についての考察をより際だたせることになろう。というのも、判断は真と偽、そしてその相違が知られていないところでは不可能だからである。そして、この相違は、観念が観念として認められておらず、心に事実以外の何ものもないところでは知ることができないものである。

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