大田南畝の『俗耳鼓吹』から。
○地口が変じて語呂になる。語呂とは、言葉の続きによって言ってもいないことが言ったように聞えること。例えば、
九月朔日いのちはおしゝ (河豚は食いたし、命は惜しし)
市川団蔵よびにはこねへか (うちから誰ぞ呼びにはこねへか)
ある年、浅草正直蕎麦の亭で語呂万句があった。そのときの宗匠の句、語路万たま子だった。のろまのたまごということである。この頃の佳句として、人が語るのを聞くと
いなかざむらひ茶みせにあぐら (しなざやむまひ三線まくら)
ぶざな客には芸者がこまる (芝の浦には名所がござる)
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