「鬣」第33号に掲載された。
もし色々な面でより余裕があったなら、そしてもっと大事なことだが、わたしの俳句に対する情熱がずっと強いものだったら、この本を俳書を集める手引きとすることだろう。三つの面でこの本は興味深く参考になった。
第一に、その小説や戯曲や批評にはいくらか親しんでいるものの、俳句についてはまったく知らなかった文学者の違った側面を教えられた。内田百閒や永井荷風の俳句は読んでいたが、岡本綺堂、巖谷小波、田中貢太郎、日夏耿之介の俳句をこの本ではじめて知り、そのすばらしさに眼を見張った。
水神の山車魚河岸を出でにけり 岡本綺堂
神田川南も北も祭かな
昼もねて聞くや師走の風の音
川々の橋々柳々かな 巖谷小波
しんなりと女寝(いね)たり遠千鳥 田中貢太郎
煙突は線香に似て霞みけり
秋一夜壺のなかなる龍を琢(ウ)つ 日夏耿之介
猫てらや雲間にかすむろくろ首
第二に、かねてから名前を聞いており、気になっていた人物について手がかりを与えてくれている。ジッドやクローデルの翻訳家である山内義雄のエッセイではじめて知った岡野知十、内田百閒の俳句の先生である志田素琴、久保田万太郎や徳川夢声が参加した「いとう句会」の生みの親である内田誠、幸田露伴の文章にしばしばその名の見える沼波瓊音などがそれである。
ゆく春や小袖にのこる酒のしみ 岡野知十
すしの味殊に彼岸のあとやさき
寺多き山谷あたりや片時雨
二階から呼びかけられし日傘哉 志田素琴
ふところに菓子の包みや路うらら 内田誠
山吹やさす日静にまたくもる
虫の音の駒形あたり小提灯 沼波瓊音
蚊柱や緑雨の住んだ家を見る
第三に、わたしにはまったく未知であった場への扉を開け、広大な俳句の世界を垣間見させてくれた。
行年や夕日の中の神田川 増田龍雨
坂一つ四谷はちかき月夜かな 小泉迂外
春寒の言問橋を渡りけり 下島空谷
猪(ちょ)牙(き)船(ぶね)の進水式や春の水 大野洒竹
荷風黴び潤一郎黴び露伴黴び 池上浩山人
横町に横町のあり秋の風 澁澤澁亭
などとてもすべてはあげられない。惜しむらくは、読んでみたいと思っても、気軽に手に入れられる本がほとんどないことで、自らの余裕と熱意の足りなさに恥じ入りつつ、加藤氏の更なる開拓、紹介を待つことになる。
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