2014年3月28日金曜日

吉田健一とバルトのユートピア的な酔い――ノート10






 『鬣』第34号に掲載された。

 吉田健一の短篇「酒宴」に見られるような、献酬の相手が酒の入ったタンクに、自分はそれらのタンクを取り巻く途方もなく大きな蛇に変身してしまう酒宴は、ディオニュソスの祭儀の陶酔に近いと言えるかもしれない。だが、ニーチェのいう「彼等の市民としての過去は、彼等の社会的地位は全く忘れられている。彼等はあらゆる社会的領域の外に生きているところの、時間のないところの、彼等の神の奉仕者になっている」という記述と吉田健一の酒宴とでは似て非なるところがある。というのも、たしかに吉田健一の様々な酒宴においても、その人間が過去になにをし、どんな仕事をしている人間なのか問題にされることはないのだが、「あらゆる社会的領域の外に生きている」とは到底言えないからだ。

 『瓦礫の中』は、敗戦直後の日本で、防空壕に住んでいる夫婦がひょっこりと新しい家を手に入れるまでの話なのだが、家を手に入れるのは瓢箪から駒がでる付けたりに過ぎず、内容といえば、吉田健一の小説の多くがそうであるように、人の組み合わせを変えながら、酒を飲むことに尽きている。だがその酒宴は、ラブレーのような、大量の臓物料理と葡萄酒と排泄物とが隣りあっているような野放図なものではない(たとえば、ガルガンチュワの母親であるガルガメルが産気づくのは酒宴の最中であり、産婆たちが赤ん坊だと思い「随分と悪臭を帯びた皮切れのようなもの」を引っぱるのだが、それは臨月だというのに臓物料理を食べ過ぎた彼女の「糞袋」が弛んで脱肛を起こしていたのだった)(『ガルガンチュワ物語』渡辺一夫訳)。

 小説の冒頭で、寅三とまり子の夫婦は、同じく家を焼かれ防空壕のなかに住んでいる隣家の伝右衛門さんを夕食に誘う。彼らは酒を飲みながら漢詩を引用しあったりするのだが、突然伝右衛門さんがこんなことを言いだす。

    それはあの頃の服装を見れば解るでしょう、服装に限ったことじゃないけれど。あの十八世紀のは威張るのが目的じゃなくて自分も含めて、自分の着心地のことも考えて人を喜ばせる為のものだった。だから文明なんです、その時代の日本も同じで。あんな風に男も女も髪に白粉か鼠色の粉を振り掛けるのは可笑しいとお思いになるかも知れないけれど、あれを蝋燭の光、それも何も暗いっていうんじゃない、電気の光を何十燭っていうその何十本でも何百本でも蝋燭を付けたんですからね、ただ電気よりも光が柔くて、その光がああいう頭に映っている所を考えて御覧なさい、それがどんな具合になるか。これは日光だってそれ程じゃなくても同じ効果がある。そして文明が発達すれば夜の生活が大切になるんですからね。あの髪であんな服装をしている。それで男は首と手首の所に白いレースが出ていて男の服も繻子か天鵞絨を多く使った。どっちも髪と同じことで光を柔げるんですよ。貴方に女の服装のことを言うことはない。そういう男や女が馬車から降りて来る、或は輿から出て来る。

 続けて伝右衛門さんは、「モツァルトの音楽って人を驚かせないでしょう」と「まり子でない聞き手ならば突拍子もないと思ったかも知れないこと」を言う。しかし、吉田健一の酒宴に招じ入れられるのは、こうした言葉を「突拍子もない」と思わない者だけなのである。ヨーロッパ十八世紀の文明が光という物理的事象を、さまざまに工夫を凝らした服装で馴致したように、吉田健一の酒宴では、アルコールがもたらす生理的事象、酒癖の悪さ、むかつき、諍いなどが馴致されている。そうした文明の作法を知らない者は吉田健一の世界には参加できない。寅三は占領軍相手の仕事をしているが仕事相手のジョーと交わすのも文明の作法をわきまえた者同士の言葉なのだ(「貴方は『大鴉』って読んだことがあるかね、」とジョーが聞いた。/「それはある。そうすると、酒を飲みながら文学の話をしてもいいんだな、貴国でも。」/「弊国ではいいさ。貴国では」/「そりゃいいさ、文人墨客がすることだよ。」)。吉田健一的人物とは、社会的地位や陽気でがさつな「ヤンキー」というステレオタイプからは自由だが、文明という「社会的領域」に棲息することが必須の条件となっているのである。かくして、彼らの会話には「突拍子もない」ことなどなにもなく、人間関係にまつわる葛藤もない。もちろん議論などもなく、酒を酌み交わして会話することは同じ世界に住むことを確認するだけのものなのだ。

 というわけで、ニーチェ的な暗い陶酔と吉田健一の酒宴とは異なるのだが、その分、ロラン・バルトのいう水で割ったワインを飲むことでもたらされる「ほとんど神聖ともいえる甘美なまでに特異な状態」に近しいものがある。「酒宴」という短篇では、吉田健一の小説では例外的といってよく、飲んでいる者が次々に酔いつぶれ、生の葡萄酒を飲む場合と同じ難点、つまりは酔いの陶酔からのあまりにも早すぎる不本意な失墜に見舞われるのだが、本来的な吉田健一の酒の時間とは、そうした失墜には無縁な「甘美なまでに特異な状態」の持続から成り立っている。

  寅三はいつも伝右衛門さんと飲んでいるともうずっと前からそこでそうやっている気になって、或は寧ろ前と後の感じがなくなってただ今だけがある状態でいるのが続き、こうしている今はその部屋の様子が益々はっきりして来るのが同時に霞むようでもあり、卓子の向うにいる伝右衛門さんと二人の間にあるウイスキーだけが心が安まる程明かに寅三が自分であることを保証してくれていた。それは独酌する時に似ていてそれであるから伝右衛門さんも無駄がなくその人になり、それから先は途方もないことを言い出して狂乱の境地に自分を忘れることも、ただ黙っていることも自分の選択次第で丁度そこの所に止って伝右衛門さんと飲みながら話を続けるのが充足というものだった。そういうことをいつまでもやっていられるものだろうか。それが上等な日本酒でなくてもウイスキーならば出来て、こういう飲みものには何か人を酔わせて置いて或る所で引き留める働きがある。

敗戦後の東京が舞台とあって、上等な日本酒が手に入るはずもなく、ここではウイスキーとともに時間が流れるのだが、吉田健一の文章においてウイスキーの位置はそう高くない。葡萄酒や日本酒とは異なり、食事とともに飲むには適さないこと、酒は上等になればなるほど味が複雑になり、味が複雑になればなるほど真水に近くなるという吉田健一独特の基準からするとそういう評価になるものと思われる。

それはともかく、バルトのいう「甘美なまでに特異な状態」が吉田健一のこうした記述と重なるものであるなら、そのユートピア的相貌がようやくあらわになってきたと言えよう。『表象の帝国』の日本が現実の日本を材料に気ままに切り取られたバルトによる幻想の日本であったように、水割りの葡萄酒を傾けるギリシャ人もまたバルトによる幻想のギリシャを形づくるものと言える。たしかに、水割りの葡萄酒を飲む習慣はあっただろうが、それを「甘美なまでに特異な状態」に結びつけたのはバルトのユートピア志向であったろうし、友人と酒を飲んで楽しい時間を過ごすことは一般的にあるだろうが、それを「前と後の感じがなくなってただ今だけがある状態」に結びつけたのは、同じく吉田健一によるユートピア衝動だった。


 バルトの「甘美なまでに特異な状態」は一九七七年から一九七八年にわたってコレージュ・ド・フランスで行なわれた講義『〈中性〉について』のテーマであったと思われる。生の葡萄酒がもたらす酔いについて、ド・クインシーからの引用を含めて次のようにいわれている。「危機的時間性を産みだすのは、葡萄酒である:『葡萄酒があたえるこの快楽は、つねに上昇的な進行を示し、その極限へと向かうが、そのあとではすばやく減退の方向をたどる。阿片が得させる快楽は、ひとたび姿をあらわすや、八ないし十時間はそのままとどまっている。一方は燃え上がるものであり、他方な均等で穏やかな光である。』・・・・・・したがって、葡萄酒は、臨界点をもつあらゆる酔いのモデルである。上昇、絶頂、虚脱。ド・クインシーはそうしたことを明確に理解した。」(塚本昌則訳)「均質で穏やかな光」こそ水割りの葡萄酒がもたらすものだったろう。

 〈中性〉とは、講義要約によれば、「意味の範列的構造、諸要素を対立させる構造をたくみに避けるか裏をかき、そのようにして言説の諸要素の対立を宙づりにすることを目指すようなあらゆる抑揚の変化」をいう。闘争を引きおこすような「〈断言〉、〈形容詞〉、〈怒り〉、〈傲慢さ〉」とは異なり、闘争を中断するような「〈好意〉、〈疲労〉、〈沈黙〉、〈繊細さ〉、〈眠り〉、〈揺れ動き〉、〈隠遁〉」に向かう言説である。

 トルストイ、ルソー、ベンヤミン、ボードレール、ブランショ、ジッドなど様々な文章が引かれているのだが、そんななかでももっとも多く言及されているもののひとつが老子と道教についてである。冒頭、「講義全体のために」として四つの文章が朗読されたが、ジョゼフ・ド・メストルの『スペイン異端審問に関するあるロシア人貴族への手紙、1815年』、トルストイ『戦争と平和』、ルソー『孤独な散歩者の夢想』とともに、ジャン・グルニエの『老子の精神』からの一節(アンリ・マスペロによる『老子』の翻訳を改編したものであるらしい)が取りあげられた。講義録では「老子自身による老子の肖像」という見出しがつけられている。

    他の人々は、まるで饗宴に参加するか、春楼に登ってでもいるかのようにしあわせだ。わたしだけが冷静で、わたしの数々の欲望ははっきりとした姿を取らない。わたしはまだ笑ったことのない子供のようなものだ。まるで隠れ家を持たないように悲しく、打ちひしがれている。他の人々はみな無駄なものを持っている。わたしだけが、すべてを失ったように思える。わたしの心は、愚か者の心だ。なんという混沌!他の人々は知的な様子をしているのに、わたしだけは間抜けのように思える。他の人々は見識に満たされているように見える。わたしだけがぼんやりしているのだ。わたしは、まるで休息の場所を持たないかのように、流れに引きずられているように思われる。他の人々はみな自分の仕事を持っている。わたしだけが、野蛮人のように愚鈍だ。わたしだけが他の人々と異なり、〈乳母〉〔である道〕を尊敬している。

 この愚鈍さ、無為は「明らかに、生きる意欲の反対ではない。それは死のうという願いではない。生きる意欲の裏をかき、巧みに避け、方向をそらすものである」とバルトは言い、二種類の無為=選ばないことを区別している。ひとつは性格の弱さによる、優柔不断からくる選ばないことだ。もうひとつの選ばないことは、「引き受けられた、穏やかな」選ばないことである。それは「純化させる節制、禁欲、求道ではない」。裏をかき、方向をそらす選ばないことであり、道教の不可思議さがそこにあらわれている。

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