始まりと終わりはトドロフの「叙述的変換」の好例であり、そこでは始まりと終わりが「同一であるが異なっている」という--それ自体隠喩的な--関係にある。しかしながらトドロフは変換の力動的な過程についてはほとんど言及していない。二つの相関する軸の間にあるのは、第二のより十分に意味づけられた隠喩を確立するために、第一の換喩としての隠喩の実現化--同時にかく得られた結果の仮定的、心理的実現化--をすることである。我々は非活動的で、「衰弱した」隠喩から出発し、換喩的な過程を通じて復元された差異によって隠喩を再活性化し、実行力のあるものにする。
どんな状況であれ、なんらかの隠喩、別の言葉で言えば、なんらかの始まりである。物語とはそうした状況の活性化であり、終わりもまた同じような状況に過ぎないのだが、物語によって意味が充填されている。
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