前書き「みづから画ける羽子のこのうへに」
羽子板でうつのはムクロジの核に羽をつけたもので、「きの子」は木の子で、羽はついているが、空にとどまることはできないということか。
神田にお玉が池といふ有り。誠はあたまの池なり。昔、この辺に住みける人の親父のあたまに池ができて、鮒や金魚が大ぶん住んで珍しいことゆへ、遠近より群衆をなして見に来る。息子、外聞かた/\気の毒なれば、見物の来ぬやうにしたいと思ふ折ふし「私は山の手から承り及んで、親父様のあたまの池を拝見に参りました」息子「遠方からせつかくお出なされましたが、親父様、世上の沙汰を気の毒に思はれまして、夜前、あたまの池へ身をなげられました」 (武藤禎夫編『江戸小咄辞典』)
「そうだねェ、お前わからなけりゃァ、絵解きをして聞かしてやるがね、あのねェ女の方が紐なんぞを縫ってることがあるだろう」 「へえへえへえ」 「最初縫うときにァ、針目を上にして、ね?チクチクチクチク、いま運針というがねェ、針をこう運んでるだろう」 「へえへえへえ、へえ、そうですねェ」 「縫い上がるとどうするィ?物差しをあてがって、ひとつこう、ひっくり返すだろう、な?そうすると、細紐がこう出来上がるねェ」 「へえへえへえ」 「あれとおんなしだァな」 「どういうわけでおんなしですゥ?」 「困ったねェ、お前わからないかい?――」 「わかりませんねェ」 「だからさァ、かりにね、頭の、池だねェ、頭に池があるとする」 「へえへえへえ」 「これをお前、人間がめくれめくれていきゃァみんな入っちまう」
喜劇は普遍の土台を切り崩すものではなく、普遍(自ら)の具体への反転である。それは普遍に対する異議申し立てではなく、普遍そのものの具体的な労働或は作業なのだ。或は、これを一言で言えば、喜劇とは作業中の普遍である。この普遍は活動している存在として表象(再現)されているのではなく、まさにいま働いている。(アレンカ・ジュパンチッチ『仲間どおし』)
我が儘な貴族についての真の喜劇は、実質的に次のような型に従うべきである。自分が真に、本来的に貴族だと信じている貴族が、まさしくその信念において普通の愚かな人間だということだ。別の言葉で言えば、貴族に関する真の喜劇は、この概念の普遍的な側面そのものが人間性、肉体、主体を生みだすという具合に処理されるべきである。ここでは、身体は魂の欠かすことのできない基盤ではない。それぞれの内にある確固たる信念こそが魂を可能な限り肉体的なものとする地点なのだ。人間的弱さという水たまりのなかに幾度となく落ちる貴族の具体的な身体は、単にぬかるみに横たわる経験的な身体ではなく、より以上に、貴族である自分、自らの「貴族性」への信頼である。この「貴族性」が普遍そのものの精髄として喜劇によって生みだされる真の喜劇の対象である。(『仲間はいり』)
立派な涙は何であるかと云ふと、詰り感情の深い渓の美しい水です。立派な怒と云ふのは何であるかといふと、道義の念の燃え上る壮(さかん)な熱ではありませんか。さて立派な笑と云ふのはさう云ふ熱でも水でもない、さう云ふものの好い調和を得たところに咲く優麗美妙な一つの或美しい華ではありますまいか。即ち解脱の光景ではありますまいか。今日までの日本の人の間には火の働きも水の働きも弱かつたので、為に解脱の光景も立派でなかつたのではありますまいか。今後の人は中々昔の人とは違ふ、泣ッ面も怒り面も大分激しくなつてまゐらねばなりませぬ。であれば随つて笑も今までとは違つて大きな光景を現はし来らなければならぬです。それ等の事から考へますると、明治になつて既に三十何年になりますが、今までは滑稽の文学が出てまゐらないのも寧ろ当然のことであり、又幸福と云つても宜い位であるとおもひます。何故ならば若し明治以来の火や水が少い僅かな火や水であつたならば、もう疾(と)うに相調和して仕舞つて、美しい光景たる滑稽のものが出来て現はれて居る筈である。けれども未だに何等の滑稽の作も現はれて居らぬ所を見ると、是から先になつて出て来るのではないかも思ひまする。明治はまだ若いのです。まだ泣いて居るのです、怒つて居るのです。笑の文学が出るほど熟して居ないのです、是から先に段々出て来るのです。
劇の内容や全体の統一などに頓着なく、贔屓役者の芸だけを享楽する、と云ふやうな芝居の見方は邪道かも知れないが、私はさう云ふ見方にも同情したい気持ちがある。個々の俳優の芸の巧味と云ふものは、全体の「芝居」とは又別なものだと云ふ、――「芝居の面白さ」とは別に「芸の面白さ」と云ふものが存すると云ふ、――何とかもつと適切に説明する言葉がありさうに思へて、一寸出て来ないのが歯痒いが、まあ云つて見れば、何年もかかつて丹念に磨き込んだ珠の光りのやうなもの、磨けば磨く程幽玄なつやが出て来るもの、芸人の芸を見てゐると、さう云ふものの感じがする。そしてその珠の光りが有り難くなる。由来東洋人は骨董品につや布巾をかけて、一つものを気長に何年でもキユツキユツと擦つて、自然の光沢を出し、時代のさびを附けることを喜ぶ癖があるが、芸を磨くと云ひ、芸を楽しむと云ふのも、畢竟はあれだ。気長に丹念に擦つて出て来る「つや」が芸なのだ。さう云ふ味を喜ぶ境地は西洋人にも分るであらうが、我々の方が一層極端ではないのであらうか。
思想から超越した歌舞妓芝居である以上、若し新歌舞妓と云ふ語に適当なものを求めれば、羽左衛門の持つた感覚による芝居などを指摘するのが、本たうでないかと思ふ。彼の時代物のよさに、古い型の上に盛りあげられて行く新しい感覚である。最歌舞妓的であつて、而も最新鮮な気分を印象するのが、彼の芸の「花」であつた。晩年殊にこの「花」が深く感じられた。実盛・景時・盛綱の、長ぜりふになると、其張りあげる声に牽かれて、吾々は朗らかで明るい寂しさを思ひ深めたものである。美しい孤独と言はうか――、さう言ふ幽艶なものに心を占められてしまふ。此はあの朗読式な、処々には清らかな隈を作る《アクセント》――その〈せりふ〉の抑揚が誘ひ出すものであることを、吾々は知つてゐた。羽左衛門亡き後になつて思へばかう言ふ気分を舞台に醸し出した役者が、一人でも、ほかにあつたか。
今日でも踊の素養のある俳優は沢山ある。寧ろ菊五郎以上に踊れる俳優もあるらしい。それにもかゝはらず、どうも彼の道行の勘平のやうな柔かみのある舞台をみることが少い。ふつくらとした柔かみ――それを現代の人に求めることは、些つとむづかしい註文であるかも知れない。勿論、単に作物の価値からいへば、おかる勘平の道行のごときは、江戸の作者がお軽に箱せこなどを持たせて、宿下がりの御殿女中等をよろこばさうとした、一種の当込みものに過ぎないのであつて、竹田出雲の原作の方がすこぶる要領を得てゐるのであるから、それが舞台の上から全然消え失せたとしても、左のみ惜しいとは思はれないのであるが、前にいふやうなふつくらした柔か味のある舞台――それを再び見ることがむづかしいかと思ふと、わたしは一種愛惜の感に堪へないやうな気がする。と云つて、今のわかい俳優達のうちに、一生懸命になつて今更おかる勘平の道行を研究する人があるべき筈もないから、たとひそれが舞台にのぼせられる場合があつても、単に一種の踊のお浚ひに留まつて、わたし達が五代目菊五郎の舞台から感得したやうな云ふに云はれない柔かみと云ふやうなものを味ふことは出来まい。観る人もまたそれを要求しないかも知れない。一体に芸の柔かみと云ふやうなものは、需要供給ふたつながら近年著るしく減退したらしいから、今わたしが書いてゐるやうなことも、現在では殆ど問題にならないかも知れない。それであるから、むかしの人はそれらを非常な問題にしたものであると云ふことを、今の人たちの参考までに書いてみたのである。
かう考へて来ると、発生的には自然芸術である我が歌舞伎劇の、現代の我々に及ぼす感銘も容易に論結出来るのである。殊にドストエフスキーの中で最も二義的な時空の制約を帯びた『悪霊』の如き作品と、純粋な戯曲作法の論理の最も複雑した「忠臣蔵六段目」の如き舞台を比べて見給へ。前者が時間的に行つた「色」の理論が後者にあつては空間的に行はれてゐるのである。この舞台へ現れる途方もなく一徹な人々が私の頭の中で交錯諧調して、フランクの音楽の半音階的進展の如く、あらゆる人間世界を展開するのである。殊に俳優の型、その他歌舞伎特有の種々な形式は、人物が実在的なものでなく、却つて人間の要素であることを我々に示す。今や前掲の松王に注ぐ涙は、徳川時代には自然であるが現代では純粋である。こんなこじつけともいへる比較をするのも、只私は自然が如何にしてその儘純粋になるか、及び、純粋は如何に所謂「唯心的」なものではなくして唯物的なものかが感じて欲しいのである。
通行人が街頭で、警笛勇ましく火事場に向ふ消防隊を見るとき、思はず一種の美的な感動を感じる。この時消防夫は自然人の抽象であるが、見物人の頭の中では既に消防夫といふ概念は他の如何なる概念を以ても置換出来る物的材料となり、只消防夫の「型」が残る。しかもその型は消防夫一般が齎す美的概念ではなく、さつき見たあの消防夫の型の残した心象である。この時その心象は純粋現実となり、この見物人の憧れは自我の中にある純粋状態に対する憧れとなる。自然人はかくして純粋人に憧れる。
フエドロス さうだ、余り眼が明確に見え過ぎることが画家にとつて時に却つて妨害となる如く、余り四肢の運動筋を支配出来過ぎることは、俳優を錯乱させるだけでなく、彼の現在の行為を過去に押しやり、希望を習慣に変じ、表現を解析に封じ込める。不器用の必要はここにある。それは俳優と役との間を不断に隔離し、俳優の意向を常に同一角度に向け、彼の生の悦びを保証するものである。プロタゴラス君、羽左衛門の不器用を飲み給へ。然しこれが豊醇に見えるのは、これの功績の結果、彼の全存在の徳がこれに帰してゐるのであつて、決して不器用に伴ふ必然的な作用ではない。印刷のずれが時に両面を傷つけないでその立体性を示す効果がある如く、彼の不器用は常に彼自身と或る間隔を保ちつつ却つてその存在を確保する。 ソクラテス すべての衝動がすべての肉体に騎乗して遂にその窮極に達し、不器用さに臨んで夕映の空の如く歌を歌ふに至るとき、不器用さは彼自身より出でて如何なる小想念を以てもその全体を置換し得べき状態に達する。その時彼はもはや羽左衛門の不器用ではなく、与三郎の不器用となる。人が性格と呼ぶものはこれである。不器用は聖者の如く呟く。然し彼は自分が円いか四角か知らない。人が彼を無視し修飾することは容易だ。然し彼は雲の如く生まれた時を知らず死を恐れない。人が彼をその名で呼ぶとき彼は常に自分は外の名だと思つてゐる。
総浚へにあと幾日もないといふ朝だつた。けふだめなら所詮もうだめなやうな気がして聴いてゐた。味噌汁の大根を刻みながら、聴くと云ふよりもむしろ堪へてゐた。もつともいやなそこへ来かゝる。節はこちらももう諳んじてゐる。いやな声、〈へた〉を期待してゐるへんな感じだつた。それがさらつと何事もなく流れて行つた。できた!と思つた。そしたら、ぐいと手応へがあつた。包丁が左の人差指と中指の第二関節の皮膚を削つてゐた。白い大根が紅く少し汚れてゐて、右手が左手を一しよう懸命きつく掴んでゐ、痛さだかなんだか涙腺はゆるんで生温かい。手錠をかけられたやうな、左右くつついた手を挙げ、割烹着の上膊で顔のはうを動かして眼をこすつた。日向で見る絹糸よりつやゝかに繊細に、清元の節廻しは梨花の腑に落ちて行つた。これは湧く音楽ではない、浸み入る音である。大木の強さではなく、藤蔓の力をもつ声なのだ。人の心を撃つて一ツにする大きい溶けあひはなくて、疎通はあつても一人一人に立籠らせる節なのだ。すぐそこの茶の間で大柄にぽつたりしたひとが唄つてゐるとわかつてゐても、痩せぎすな人が遠いところで唄つてゐるやうにおもはれて不思議である。肌にぺと/\して来るいやらしさが脱けて、遠く清々しい。梨花の耳が通じたのではなくて、主人の技が吹つ切れたとおもふ。一ツこゝで吹つ切れたのだから、このひとの運は二ツ目三ツ目とよくならないものだらうか、そんな望みが湧いてくる嬉しさである。
遂に、一八一二年のことだが、ウィリアムズ氏がラトクリフ・ハイウェイの舞台にデビューして、あの余人の及ばぬ殺人劇を演じ、不滅の名声を贏得たのである。この殺人場面について、序でながら言っておかねばならぬが、これが一つの点で悪い効果をもたらした。即ち、殺し場の通人の趣味を甚だむつかしくして、以後この筋の演技のいずれにも満足させぬようにして了ったのだ。彼の深紅色に比べると、他のすべての殺人は蒼ざめて見える。さる識者がかつて私に愚痴をこぼしたものだ、「あの時以降トント駄目になったな、語るに足るものは何一つない」と。だがこれは間違っている。なにしろ、すべての人が偉大な芸術家であり、ウィリアムズ氏の天才を具えているのを期待するのは理にかなわぬから。 小池銈訳更に一層詳細にこの事件が描きだされたのは『藝術の一分野として見た殺人』の補遺においてである。このエッセイは三つの部分に分かれ、「第一論攷」は一八二七年、「第二論攷」は一八三九年、補遺は一八五四年、つまり、事件から四十三年後に書かれた。ちょうど「イマーヌエル・カントの最後の日々」が、まるで見てきたかのようにカントの臨終の有り様を描きだし「想像の伝記」の先駆的作品になったように、この補遺は現場に居合わせたかのように殺人の様子を描きだしている。
見事な殺人の構成のためには、ただ単に、殺す阿呆と殺される阿呆、ナイフ、財布、暗い小路などといった道具立て以上のなにかが必要だということを、人びとは理解するようになってきています。紳士諸賢、意匠、配置、光線と陰翳、詩情、情緒といったものがいまや、そうした性格の試みには不可欠となっているように思われるのです。(中略)詩の分野におけるアイスキュロスやミルトンのように、また絵画の分野におけるミケランジェロのように、ウィリアムズ氏は、自らの藝術を途方もない崇光さの域にまでいたらしめたのです。(「藝術の一分野として見た殺人」鈴木聡訳)
・・・二人とも悪魔の姿にふさわしい、かくて悪魔の世界が忽然と出現する。だがこのことをどうやって伝え、どうして肌身に感じさせるか。新しい世界が登場できるように、この世が暫く退場せねばならない。殺人者たち、そして殺人行為は、孤立させねばならない。一方、日常生活の世界も突然停止し、眠り込み、失神し、怯えた休戦状態に追い込まれたと感じられる、時間は抹殺され、外界の物との関係は断続されねばならぬ。かくて総べては自発的に、この世の情熱の深い休止と中断の中に引籠もらねばならない。このようになってこそ、さて兇行が行われ、暗黒の所業が完成すると、闇の世界は天空の浮雲模様の如く過ぎ去り、門口のノックの音が聞こえる。これは反動の始ったこと、人間的なるものが悪魔的なものの上に捲返し、生の鼓動が再び打ち始めることを耳に知らせるのである。われわれの生きている世界が再び座を占めることは、しばしその世界を中断していたあの畏るべき間狂言を先ず身に沁みて感じさせるのである。(「『マクベス』劇中の門口のノックについて」)
劇作家としてのディドロは無視しうる存在であるし、ぎりぎり、この偉大な百科全書派の試論群を知らなくても、哲学史はなんとか把握出来る。しかし、『運命論者ジャック』を無視すれば、小説の歴史は理解不能にして不完全なものになると主張せざるをえない。この小説が、もっぱらディドロの作品の一つとして扱われ、小説の歴史全体のなかで研究されていないのは不運なことだ。この作品の真価は、セルバンテスの『ドン・キホーテ』、フィールディングの『トム・ジョーンズ』、ジョイスの『ユリシーズ』、ゴンブロヴィッチの『フェルディドゥールケ』といった著作と比較することによって初めて認識できるものなのだ。 (一つの変奏曲への序文 『ジャックとその主人』 近藤真理訳)
<遊びの呼びかけ>--ローレンス・スターンの『トリストラム・シャンディ』とドニ・ディドロの『運命論者ジャック』は、現在のところ私には、十八世紀のもっとも偉大な二つの小説作品、壮大な遊びとして構想された二つの小説のように思われます。この二つの作品は、空前絶後の、軽妙さの二大頂点です。これ以後の小説は、ほんとうらしさの要請やら、写実主義的背景やら、厳密な年代学やらで自分を縛ってしまいました。この二大傑作に含まれていたさまざまの可能性は捨て去られてしまいましたが、この二つの傑作は、今日、私たちが知っているものとは別の小説の展開(そうです、ヨーロッパの小説のもうひとつの歴史を想像してみることもできるのです)を作り出すことができたのです。 (『小説の精神』)
要するに私小説とは、空想力にとぼしい作家が、題材を私生活のなかにとり、社会との烈しい対決もなしに、自分一個の感情のおもむくままに体験から編み出した人生観やら、感想やらをのべたてたものだといえば、それですみそうである。銭湯に昼間からやってきて、十九円のフロ銭で一時間も二時間もネバリ、若い学生などで組しやすそうなのがいると、そばへよって何となく世間話などしはじめ、やがて自分の家のグチなどクドクド話しはじめる、そんなあまり金まわりのよくない御隠居さん、これが私小説家の原型である。ひじょうに魅力的だが、問題は小説家など嘘つきばかりで額面通りに受け取れないことだ。
赤黒く焼けた膚をつつくと、ずるりと滑って脂ぎったネズミ色の皮が剥がれ、白いぶよぶよした肉があらわれる。いつもならここで、ひるむところだ。しかし僕はひと思いにパクリと口にほうりこんだ。歯にさわると気のせいか、キュッとあの断末魔の鳴き声みたいな音がする。