2018年7月13日金曜日

さほ姫のすそ吹き返しやはらかなけしきをそ〃と見する春風  貞徳


前書き「春たちける日よめる」

佐用姫は佐賀県唐津市厳木町にいた豪族の娘。

537年の10月、新羅が任那に侵攻したという知らせが入り、命を受け新羅に出征する大伴狭手彦と恋仲になったが、出征で別れる日、鏡山の頂上から領巾(ひれ)を振って船を見送り、船を追って呼子までいき、加部島で七日七番泣きはらして石になってしまった。

10月に朝廷が報告を受けたとすると、次の年の春、出征したのだろう。

春が立つということと、狭手彦の旅立ちをかけている。


次の歌も同じ趣旨。

 さほ姫のわらひかけつ〃山のはをあらはす方に春や立つらん あけら菅江

「山笑う」という芽吹き始めた春の山の形容で、季語となっている言葉もかかっている。

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