前書き「春たちける日よめる」
佐用姫は佐賀県唐津市厳木町にいた豪族の娘。
537年の10月、新羅が任那に侵攻したという知らせが入り、命を受け新羅に出征する大伴狭手彦と恋仲になったが、出征で別れる日、鏡山の頂上から領巾(ひれ)を振って船を見送り、船を追って呼子までいき、加部島で七日七番泣きはらして石になってしまった。
10月に朝廷が報告を受けたとすると、次の年の春、出征したのだろう。
春が立つということと、狭手彦の旅立ちをかけている。
次の歌も同じ趣旨。
「山笑う」という芽吹き始めた春の山の形容で、季語となっている言葉もかかっている。
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