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2018年8月24日金曜日

北野の神


・ある人北野にこもって本地の仏を祈ると
  かくらく(隠れていること)の泊瀬(はつせ)の寺の仏こそ北野の神とあらはれにけれ

2018年8月23日木曜日

打飯

・僧が米を持ち寄って食するのを打飯というのはなぜか。だとは出し合わせることから来る。八人の炉が話をだす(打)ことと火の字の分解(八人と読む)からである。

2018年8月22日水曜日

田楽


・豆腐を串に刺してあぶるのを田楽という。田楽は、下には白袴、その上に色あるものをうちかけ、サギ足で踊る姿(サギは一本足で立つことから)が特徴だが、豆腐の白に味噌を塗り立てるのは、その舞姿に似ているために田楽というか。夢庵(牡丹花宵柏)の歌に
  たか足を踏みそこなへる面目をはひにまぶせる冬の田楽

2018年8月21日火曜日

鵜と烏


・鵜のまねをするカラスが大水を飲むのはなぜか。
  水にいる道をばしらで山がらす鵜のまね学ぶ波の上かな

2018年8月19日日曜日

しっぽりとぬれる

・しっぽり(七歩)とぬれるとは何を意味するのか。釈迦誕生のとき、阿難陀龍王は湯を吐き、難陀龍王は水を吐いたので、この産湯にぬれながら、七歩歩いたことから来ている。浄土宗の無量寿経に、「従右脇生、現行七歩」とある。しとと濡れるのも七歩である。

2018年8月17日金曜日

うどんくらい(穀潰し)

・仕事が下手なものをうどんくらいというのは、異様にうどんの好きなものがあり、さすがに買ってまで食いたくもないので、さほど利口そうでもない坊主に向かい、そなた私の髪を剃ってくれぬか、頭を切ってしまったらうどんを食べさせてもらおう、なにごともなく剃られたら私が振る舞おうと言い合わせて、そりあがる手前でちょっと立ち、少々切られてやろうとしたらば、耳を一つ落とされてしまった。腹を立てることもなく喜んでうどんを食って済ませたのは、珍しいまでのたわけ者だった。

2018年8月16日木曜日

ヘチマの皮

・へちまの皮とも思わない(なんの役にも立たない、少しも意に介さない)は、紀の国(いまの和歌山県)の山のなかに、「大へち子へち」といって、峰が高く険しいつづら折りの伝い道があって、人馬の往来もたやすくない要害だった。このあたりで使われる馬は糠や藁どころか、大豆ほどの役にも立たず、実に骨ばかりだった。そこでこの辺の馬は皮を剥いでも、傷がつくばかりでなんの役にも立たないから、「へち馬の皮とも思わぬ」といった。

2018年8月11日土曜日

麻と節

・朝、謡はうたわないこと、また、朝うたうのは貧乏の相とも言い伝えられている。みな誤りである。本当は麻をまくとき、謡をうたわないことと戒められている。なぜなら麻は節(ふし)を嫌うので。

2018年8月10日金曜日

こぶとりじいさん

・鬼にこぶをとられること。目の上に大きなこぶをもった禅坊主がいた。修行に出たが、ある山中に迷い込んで宿もない。古い辻堂に泊まった。夜もすでに二時くらいになっていた。多くの人が来る物音がして、かの堂に集まって酒宴をする。坊主は恐ろしく思いながらも、仕方がないので、浮かぬ顔で、円いしとねで尻を押さえながら踊った。明け方になり、天狗たちが帰ろうとするときいう、おまえは陽気でよいのみ相手になる、また必ずやってこい、口約束ばかりでは偽りになるといけない、質をとっておく方がいいだろう、と目の上のこぶをとっていった。坊主は宝を得たような心地がし、故郷に帰った。彼を見る人は感じ入り、親類たちはひたすら喜んだ。

2018年8月9日木曜日

焼き米


・連歌師里村昌叱のところへ焼き米を三袋送ると、
   いち早きこめらうどものなす業(わざ)を奥歯に入れてかみふくろかな
また俳諧に
      まはる度にぞ米を見せける
   さしてなきとがする臼に縄つけて

2018年8月7日火曜日

法性寺

・山城国(いまの京都)伏見の近くに法性寺というところがあった。どうしてこのあたりは寺の名で呼ばれるのか。老いた男に出会い、彼が言うには、むかしここには庄屋があった。焼き米がだい好きで、一日中かんでいたので、一日の終わりには噛みくたびれ、ほおに含んだまま寝ていた。ねずみがにおいを頼りに食い破り、大きな穴が開いた。その朝使用人たちが集まってくるなかに、傷などを扱うのに長けた男がいた。風邪をひいたら悪いだろうと、まずは障子をつくって傷の口に立てたので、ほうしょうじという。

2018年8月6日月曜日

風の子



・わらべは風の子と言われるのはなぜか。ふうふ(夫婦)のあいだにできるから。

2018年8月5日日曜日

糠味噌


・禁中の上﨟たちは「ささぢん」=糠味噌のことを「待ちかね」というが、もてあつかうこと、「こぬか」ということから来るか。

2018年8月3日金曜日

痩せ法師と酢

・痩せ法師が酢を好むとは、八瀬の寺は昔から禁酒である。僧のなかには酒を好み、我慢できないものもいた。常にとっくりをもっていた。問われることがあると、「酢にて候」と答える。毎日のようにこの問答を繰り返しているうちに、やせの法師は酒のみだということわざができた。

2018年8月1日水曜日

よしにせよ


・ものを無用というかわりに「よしにせよ」というのは、
   あし垣も戸ざしもよしやするがなる清見が関は三保の松原
この歌から心得るべきである。三保の松原の興のある景色を眺めれば、関に向かうには及ばない、ということから清見が関は「よしにせよ」というのである。

2018年7月31日火曜日

こぼれさいわい

・「こぼれさいはひ」とはなにをいうか。むかし女の子が三人一つ枕で寝ていた。姉が自分の上に富士山が転がり落ちた夢を見たというので、人をやって夢判断をさせた。それは富んだ男が旦那になる吉夢だと祝うので、次の娘はあれほど大きい富士の山が姉一人の身だけで収まるわけはない、両方に寝ていたものにも落ちたことだろうと喜んでいたら、果たして三人ともめでたく富貴の男を得た。そこからこの言葉はできた。

2018年7月30日月曜日

湯入り

・なんでも水に入ったものを湯入り(船底の水に浸ったもの)というのはなぜか。沖なかで(燠のなかで)だめになったということから来るか。

2018年7月29日日曜日

ぬかる



・何ごとも油断して、対応が遅れることを「ぬかる」という。俊成卿の歌に
   せき入る〃苗代水(なはしろみづ)やこぼるらんぬかりて道の乾くまもなし

2018年7月27日金曜日

奈良漬け

・瓜の粕漬けを奈良漬けというのは、奈良の春日の瓜がよいからである。

2018年7月25日水曜日

梵天瓜

・大和国から産出する「ほてん」という瓜があり、延暦寺の最澄の弟子慈覚大師、天長十年四十のとき、身体が衰弱し、視野が暗くなった。もう命が長くないことを悟り、叡山の北の谷に草庵を結び、三年のあいだ行をして終焉のときを待っていると、ある世、夢に天人があらわれた。霊薬だと与えられた。その形は瓜に似ている。半分を食した。味は蜜のようであった。人があって告げるには、梵天王の妙薬である。夢からさめると、まだ味が残っていた。やせた姿は健やかになり、暗かった視野は明るくなった。その半片を土にまくと、完全な瓜が生じたが。いまの梵天瓜(マクワウリ)がそれである。元享釈書にある。(梵天と「ほてん」をかけた。)