2018年7月11日水曜日

殺人の追憶ーートマス・ド・クインシー『藝術の一分野として見た殺人』




 一八一一年十二月七日の真夜中近く、ロンドン東部のラドクリフ・ハイウェイで靴下店を営むマーの家で殺人事件があった。殺されたのは二十四歳のマー、同じく二十四歳の妻、生後三ヶ月の幼児、若い徒弟の四人である。女中のメアリーは夜食用の牡蠣を買いに行っており留守だった。いずれも、鈍器で撲られ昏倒させられたあと、喉を切り裂かれていた。

 十二日後の十二月十九日の夜、ラドクリフ・ハイウェイから少し離れた酒場で、その主人である五十六歳のウィリアムソン、六十歳のその妻、五十代の家政婦の三人が同じ手口で殺された。同じ家に住んでいた若い職人は窓から逃れ、人々が駆けつけたため、九歳の孫娘も殺されずにすんだ。

 マー家に残されていた凶器の船大工用の槌には、JPのイニシャルが記されており、ノルウェー人の船大工、ジョン・ピーターセンが帰国する際に下宿に残していったものだとわかった。同じ下宿から見つかった血のついたフレンチ・ナイフ、証言にあった靴の特徴(きゅっきゅっと鳴る)などからこの下宿屋に住むウィリアムズが逮捕された。彼は監獄のなかで首を吊って自殺する。

 連続殺人の表現が珍しくない今日からすれば、七人の犠牲者というのはそれほどのこととも思えないが、切り裂きジャックがあらわれるまでおよそ八十年先だつこの事件はイギリス中に大きな反響を巻き起こした。権力者や貴族たちによる権謀術策の一環としての殺人や、権力と富を存分に使った快楽のための殺人は古代から枚挙にいとまがないが、一般市民が単独で行ない、しかも動機も目的もよくわからないことがこの事件を非常に斬新なものとしたのだろう。もっとも、PD・ジェイムズ&TA・クリッチリー『ラトクリフ街道の殺人』(国書刊行会)には、犯人とされたウィリアムズにかけられた嫌疑が予断と偏見に満ちたものであったことが立証されているという(私は未読)。

 この事件が犯罪史のみならず、文学史においても記憶されているのは、トマス・ド・クインシーが大きく取り上げたためである。「『マクベス』劇中の門口のノックについて」(一八二三年)ではこう言われている。

        遂に、一八一二年のことだが、ウィリアムズ氏がラトクリフ・ハイウェイの舞台にデビューして、あの余人の及ばぬ殺人劇を演じ、不滅の名声を贏得たのである。この殺人場面について、序でながら言っておかねばならぬが、これが一つの点で悪い効果をもたらした。即ち、殺し場の通人の趣味を甚だむつかしくして、以後この筋の演技のいずれにも満足させぬようにして了ったのだ。彼の深紅色に比べると、他のすべての殺人は蒼ざめて見える。さる識者がかつて私に愚痴をこぼしたものだ、「あの時以降トント駄目になったな、語るに足るものは何一つない」と。だがこれは間違っている。なにしろ、すべての人が偉大な芸術家であり、ウィリアムズ氏の天才を具えているのを期待するのは理にかなわぬから。 小池銈訳
 更に一層詳細にこの事件が描きだされたのは『藝術の一分野として見た殺人』の補遺においてである。このエッセイは三つの部分に分かれ、「第一論攷」は一八二七年、「第二論攷」は一八三九年、補遺は一八五四年、つまり、事件から四十三年後に書かれた。ちょうど「イマーヌエル・カントの最後の日々」が、まるで見てきたかのようにカントの臨終の有り様を描きだし「想像の伝記」の先駆的作品になったように、この補遺は現場に居合わせたかのように殺人の様子を描きだしている。

 ポオが探偵の視点から事件を解釈するという仕掛けによって探偵小説を創始したように、ド・クインシーは殺人者や被害者の視点に立つクライム・ノベルの先駆けだと言えるかもしれない。もっとも、ド・クインシー特有のユーモアやペダントリーがふんだんに鏤められているために、著者とは独立した登場人物をそこに認められるかというといささかおぼつかなくはあるが。

 この補遺には相当数の事実についての間違いがある。四十年以上も前の事件であること、印刷物の媒体しかなく、簡単に情報を参照できなかった時代であったこともあろう。事件が起きた年、被害者たちの年齢などは記憶の間違い、記憶の摩滅が大いにありそうである。先の引用でも事件の起きた年を一八一二年としているが、実際は一八一一年である。被害者たちの年齢はほぼ全てが誤っており、第二の事件で殺されたウィリアムソンに至っては、56歳であるのに70歳以上とされている。

 より根本的な間違いは、マルゴ・アン・サリヴァンが『殺人と芸術:トマス・ド・クインシーとラトクリフ・ハイウェイ殺人事件』(一九八七年)でまとめているところによると、次の六つである。

 (1)第一の事件で女中のメアリーが買物に出た際、通りの反対側に街灯の光に照らしだされたウィリアムズの姿を認めたことになっているが、実際にはそんな事実はなかった。

 (2)ウィリアムズは、第二の事件で犠牲になったウィリアムソンの店の常連であり、友人と言える近しい間柄だった。ド・クインシーの文章では「知り合い〈であった〉といえないわけでもあるまい」として、事件当夜足繁く店にあらわれたと報告されている「幽鬼のように蒼白な男」をウィリアムズだとしている。実際にウィリアムソンも殺される前、不審な人物を見かけたと言っていたらしいが、それがウィリアムズだとしたら当然ウィリアムソンにはわかったはずである。

 (3)ウィリアムズは「絹で贅沢な裏打ちのなされた」上着を着て殺人を犯したとされているが、それは刑務所官が記した逮捕された後のウィリアムズの服装とは合っているが、殺人者を目撃した人間の証言とは合っていない。

 (4)凶器となった槌の出所が判明し、それによってウィリアムズが逮捕されたとされているが、実際にはそれ以前に、多数の容疑者の一人として逮捕されていた。

 (5)ウィリアムズの死後、捜査によってその下宿から血のついたポケットとフレンチ・ナイフが見つかったが、それらは別々に、異なった日に発見された。ところが、ド・クインシーでは「胴着のポケットの裏地には、件のフレンチ・ナイフが血糊で貼りついていた」と一緒にされている。

 (6)遺体を調べた外科医は、喉を切り裂いたのはナイフではなく、剃刀だと結論したが、ド・クインシーでは逆に「喉を掻き切るのに使われたのは剃刀ではなく、それとはまったく別の形をした器具であった」としてある。

 いずれの修正も、「彼の立ち居ふるまいが品の良い物柔らかさという点で際立っていたことは、彼の性格の全般にわたる狡猾さ、ならびに粗野を嫌う洗練された態度とも、調和するものであった」というド・クインシーによるウィリアムズ像に寄与するものだろうが、一体ド・クインシーはこのウィリアム像のどこにその「天才」を認めたのだろうか。

 『藝術の一分野として見た殺人』とは、道徳的問題を括弧に入れて、殺人を美的に扱うことである。しかし、ド・クインシーは、一見、猟奇的趣味と自我崇拝とが混然とした世紀末デカダンス趣味(マリオ・プラーツが『肉体と死と悪魔』で縦横に論じつくしたような)を先取りし、悪魔や吸血鬼といった超自然的な色合いをそこにつけ加えなかったわけではないにしろ(「いついかなるときも、彼の顔は、血の気のない蒼白さを保っているのだった。」「あの男の血管をめぐって流れているのは、・・・緑色の樹液みたいなものだったのでしょう。」)、そうした特徴はそれに見合っただけの結果をもたらすわけではない。つまり、ここでの「藝術性」とは、非凡な能力をもった個人が洗練された趣味をもって見事な殺人を遂行することにあるのではない。

        見事な殺人の構成のためには、ただ単に、殺す阿呆と殺される阿呆、ナイフ、財布、暗い小路などといった道具立て以上のなにかが必要だということを、人びとは理解するようになってきています。紳士諸賢、意匠、配置、光線と陰翳、詩情、情緒といったものがいまや、そうした性格の試みには不可欠となっているように思われるのです。(中略)詩の分野におけるアイスキュロスやミルトンのように、また絵画の分野におけるミケランジェロのように、ウィリアムズ氏は、自らの藝術を途方もない崇光さの域にまでいたらしめたのです。(「藝術の一分野として見た殺人」鈴木聡訳)


 しかし、ミルトンやミケランジェロとは異なり、ウィリアムズは自らの「藝術」をその手で支配したわけではなかった。どちらの事件でも一家全員を皆殺しにすることに失敗し、生存者とウィリアムズとは近い距離にまで接近する。

 即ち、第一の事件では、買物から帰ってきたメアリーが扉一枚を隔てて殺人者に対する。「扉の一方の側には、孤独な殺人者である彼が立ち、別の側には、メアリーが立っている。」

 第二の事件では、同居していた職人が三階から殺人現場の一階にまで様子を見に下りてくる。「この状況は、かつて記録されたいかなるものをもしのぐ、慄然とするようなものであった。くしゃみや咳、いやそれどころか息使いひとつだけでも、この青年は、命の助かる可能性も、必死にもがく余裕も与えられず、屍体と化すことになるだろう。」この二例はいずれも『マクベス』で、マクベスがダンカン王を殺害したあと、マクベスとその夫人に聞こえるノックの音と同じ効果をあげる。

        ・・・二人とも悪魔の姿にふさわしい、かくて悪魔の世界が忽然と出現する。だがこのことをどうやって伝え、どうして肌身に感じさせるか。新しい世界が登場できるように、この世が暫く退場せねばならない。殺人者たち、そして殺人行為は、孤立させねばならない。一方、日常生活の世界も突然停止し、眠り込み、失神し、怯えた休戦状態に追い込まれたと感じられる、時間は抹殺され、外界の物との関係は断続されねばならぬ。かくて総べては自発的に、この世の情熱の深い休止と中断の中に引籠もらねばならない。このようになってこそ、さて兇行が行われ、暗黒の所業が完成すると、闇の世界は天空の浮雲模様の如く過ぎ去り、門口のノックの音が聞こえる。これは反動の始ったこと、人間的なるものが悪魔的なものの上に捲返し、生の鼓動が再び打ち始めることを耳に知らせるのである。われわれの生きている世界が再び座を占めることは、しばしその世界を中断していたあの畏るべき間狂言を先ず身に沁みて感じさせるのである。(「『マクベス』劇中の門口のノックについて」)


 殺人の被害者は恐怖に満たされており、そこにはすべての生物に共通な自己保存本能しかない。恐怖に満たされた被害者と「激情――嫉妬、野望、復讐、憎悪――の大嵐が荒狂っている」殺人者によって閉じられた世界に亀裂が入る特権的瞬間を経験できるのは殺人者だけであり、それを二度も生じさせたが故にウィリアムズは「天才」的である。つまり、完璧な計画と趣味を自由に操れる個人としての才能が藝術となるのではなく、犯罪としては失敗である偶然の要素を招き入れ、二つの世界を接触させることで始めて殺人は藝術的たり得る。

 ド・クインシーにとって始めから犯人の意図や目的などはなんら問題ではなく(ウィリアムズについてもそうした点は何も触れられていない)、閉ざされた世界の流動化にもっぱら目が注がれていた。殺人をこうした流動化の一種として考えると、偶然をあたかも必然であるかのように招き寄せたウィリアムズの天才は、必然をあたかも偶然であるかのように配置したシェイクスピアの天才と交錯するのであり、必然といい偶然といっても、ある世界でこそ安定していても、他の世界と接触するや容易に反転し流動化することをド・クインシーは言っているかのようである。

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